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第11話
辺りは真っ暗だ。
懐中電灯で灯した箇所だけが確かに見える。
少しだけ湿っぽいが、真昼と比べると随分涼しい。
コロコロと、どこかで虫の鳴き声がする。
「エンマコオロギ…が鳴いてるね」
「えんま、コオロギ……?」
「今コロコロ鳴いてる虫」
「ふうん」
京一と瀬良は、スマホと懐中電灯だけを持って、寝ていた部屋の障子からこっそり出てきたのだった。
昼に海辺を歩いたサンダルで、家と家の間の、狭いコンクリートの道を歩く。
足元を懐中電灯で照らして、声を潜めながら会話する。
「虫の鳴き声しか聞こえねえな」
「そりゃそうだよ、2時半だよ今。皆寝てるんだよ」
「そっか……。…ははっ、なんか、いいな」
「何が?」
「俺らだけみたいじゃん。人類」
「人類」
「おう」
「……京一、寝ぼけてるの?」
瀬良は、憐れみが込められたような声音でそう言って、京一の顔に懐中電灯を向けた。
「眩しっ。寝ぼけてねーわ、俺は既に2時に起こされてんだぞ。お前のせいで」
京一は瀬良の懐中電灯を下に向けて、瀬良を睨みつける。目が少し慣れてきたようで、瞳に瀬良の輪郭がぼんやりと映った。
「2時に?なんで僕?」
「おまっお前がぎゅってしてきて苦しくてっ」
「ぎゅ?…ってなに?」
「だから、だ、抱き締めてきたんだよ、身動き取れなかったんだぞ」
「え、あ……、僕…そんなことしてたの……」
「そうだぞ」
「ごめん……京ちゃん……」
瀬良の、頼りない声を聞く。瀬良の方を見てみれば、気まずそうな顔をしてこちらを見ていた。
「え…、まあ、別に……?うん…」
京一はふいと視線を外して、照らされた地面を見た。軽く流されると思っていたのに、気まずそうにされると、何だか調子が狂う。
何か他の話題を振らなければ――と、京一は考えた。
「あ!そうだ、お前に言いたいことあってさ。夜にメールが届いたんだよ。海の都市伝説の」
「海の都市伝説?それは僕が消したはずだけど」
「それがさあ、ほらっ見てみろよ」
京一はスマホをポケットから出し、例のメールを瀬良に見せようとした。
「あ、あれ?確かに見たのに」
深夜に見たはずのメールが無くなっている。
京一は唸って、眩しいスマホの画面を睨みつけた。
「寝ぼけてたんだろ、さ、早く行こう」
「ほ、ほんとにあったんだぞ」
京一は、先へと進む瀬良を追いかけた。
「僕の都市伝説は3時に海へ行くことが条件。検証するんでしょ、京一」
「…んだよ、お前ほんとはノリノリだな?」
「違うよ。もし時間に間に合わなったりしたら、京一は駄々こねる」
「こねるか、ばか」
京一は瀬良の腕をこづいた。
瀬良が、ふふっといつものように柔らかく笑って、ポケットに手を入れた。
瀬良がスマホを取り出した際に、何かが地面に落ちる音がした。
「あれ、これ持ってきてたのかよ」
京一は、地面に落ちたお守りを拾い上げた。
昔、京一が瀬良にあげた、金の花が縫われた赤いお守りである。
「うん。出かける時はいつも持っていくよ」
「ふーん。……あのさ。これ、お前にやった日のこと、覚えてるか」
そう言って、京一は瀬良にお守りを返した。
2人は再び歩き出した。足元を懐中電灯を当てて、静かに話す。
「ああ、確かその日は、今と同じように京一と遊んで、おばあちゃん家に泊めさせてもらったんだよね。あ、後……僕が熱を出した」
「そ。遊んでたら、熱出してぶったおれた」
「あは……。あの時は、ほんとにごめんね」
「いーよ。……倒れる前は覚えてるか?何してたのか」
「確か…かくれんぼをしてたんだろ。でも、倒れる前後の記憶が無いんだ。京一が運んでくれたって後から聞いて……」
「そうか……」
「それがどうかしたの。僕、何かした?」
「別に。覚えてないんなら、いい」
「なにそれ。気になる」
「何もねーよ……」
「……京一のバカ」
瀬良が、ぽつりと小さく呟いた。
「は?今なんつった?」
「なにも?」
「嘘つけ。馬鹿って言ったろ」
「……京一は、何か言いたいのに飲み込む癖があるだろ、」
「な…なんだよ、それは瀬良もだろ」
「え……僕も?」
「そーだよ、瀬良クン」
「……じゃあ、僕もバカだな」
顔はよく見えないが、瀬良が微笑んだ気配がした。
──言いたいことがあるのに、飲み込む癖。
そのせいで、もしかしたらずっと遠回りをしてきたのかもしれない。
でも、きっと……言っても、言わなくても、結果は変わらないだろう。俺の場合は。
京一は、自分に言い聞かせるようにそう思った。
「いい夜だね」
瀬良の声が、静謐な夜に溶けて心地よく鼓膜に響く。
「やっぱ田舎の夜は最高だろ」
「そうだね、星空も綺麗に見えるし……あ、今日満月だ」
「おー、キレーな満月」
瀬良が上を向くのに釣られて見れば、瞬く星々の間にぽっかりと丸い月が浮かんでいる。
じんわりと輝く月の光が、美しい夜空のキャンバスを滲ませる。
「……月が綺麗だね、京一」
穏やかで、少し艶のある瀬良の声を聞く。瀬良の方を見れば、目がパチリと合う。
「ん?おう、綺麗だな」
「ふふ……」
「なに笑ってんの」
「なんでもないよ」
こういう、中身のない会話を、瀬良とずっとしていたい。
京一はそう思った。
♢
足元に波が迫る。
昼間は蒼く輝いていた海も、今は墨汁の水溜まりのように見える。
少し冷えた潮風が鼻腔を通る。
波音が、夜の気配を連れてゆっくりと鼓膜に流れ込んできた。
「いいぐらいに着いたな」
京一はスマホの画面を開いてそう言った。
2時50分。検証まで、あと10分ある。
「はやく3時になればいいのに」
「ああ。はやく検証したいよな」
「はやく帰って2度寝したい」
どんだけ寝たいんだよ、と京一が言うと、瀬良が答える代わりに欠伸を1つした。
「都市伝説を検証すんのってやーっぱワクワクすんな」
「もう僕が嘘って言ったけどね」
「いいだろ、えーと何だっけ。安遠海岸にて……?」
「『午前3時ちょうどに、足を海に入れ、願い事を言えば叶う。この時、嫌われると足をすくわれ、その者の思い出の地に隠される。誰かに見つけてもらうまで、永遠に。』でしょ。」
「あーそうそう。つーか、隠されるって何?」
「別に。特に意味は無いよ、神隠しみたいな感じにしようと思って書いただけ」
京一は、ふうん。と言い、足元の砂をサンダルの足で蹴散らした。幾粒かが、押し寄せる波へ飛び散る。
ふと空を見上げると、月に雲がかかろうとしていた。
月光が、薄暗い雲にゆっくりと塗りつぶされてゆく。
「あ、そうだ。せっかくだし何か願い事しようぜ。3時ちょうどに海に入って願い事したら叶うんだろ」
「作り話だけど。……京一は何の願い事をしたいの?」
「んー……、瀬良の受験がうまくいきますように……かな」
「え……」
「今日…じゃなくて昨日か。昨日受験のこと言ってくれた時、驚いたけど……」
京一は言いかけて、一瞬、口を噤んだ。
「その……。俺、瀬良の受験が合格できるように、応援するから。俺――俺なんかにできることがあれば、何でも言ってくれよな!」
京一はそう言って、瀬良へ向けて笑顔を見せた。
ザザ……、と少し大きい波音がした後、京一のつま先に波が触れた。
「京一は……」
「ん?」
「京一は、本当にそう思ってる?」
真横に居る瀬良が、こちらを向いている。
暗くて顔がよく見えないが、瀬良の瞳が今自分を映しているのだと、何となくそう思った。
「本当に、そう思ってる……」
拳を握りしめて、京一は慎重にそう言った。
舐るように左頬に触れる潮風が、一段と冷たく感じた。
「……僕が合格してあっちに行ったら、もうほとんど会えなくなるんだよ」
「分かってる。でも、夏休みとかなら会えるだろ?大学って休み長いらしいし」
「……それまで1度も会えなくてもいいの、」
「……別に。高校離れてっから今だってそんな会ってないし、あんまり変わらないだろ?」
「変わるよ。偶然店で鉢合わせしたり、気軽に会ったり出来なくなる……」
「ははっ、どーしたんだよ、瀬良。そりゃそうだけどさ、そんな風に思うのは最初だけだ。心配すんなよ」
「心配するよ」
いつもとは違う、鋭くて低い瀬良の声を聞く。
京一は不思議に思いながらも、明るい声音で励まし続けた。
「大丈夫だ。大学生活が始まればンなこと思う暇なくなるって。そんでもって新しい友達とかができ……」
「そんなことどうでもいい!もし受かったら僕達本当に離れ離れになるんだよ?京ちゃんはそれでもいいんだ?」
瀬良が京一の言葉を遮り、まくし立てるようにそう言った。こんな風に声を荒らげる瀬良はとても珍しい。
京一は一瞬目を丸くして、言葉を失った。
瀬良の肩のシルエットが、小さく震えているのが分かる。
「な、は……?マジでどうした?何怒ってんだよ」
「怒って、ない……」
「ほんとかよ……。つーか離れ離れって言ったって、そんな永遠に会えない訳じゃねえし」
「そうだけど……!お互い違うずっと離れた新しい場所で、新しい生活が始まることになるんだよ。そしたら……」
瀬良は俯いて、それ以上話そうとしなかった。
京一はなぜ瀬良がこんなにも動揺しているのか分からず、眉をひそめながら瀬良へ1歩近づいた。
「なあ……どうしたんだよ。そんなに不安か?」
「うん……不安で堪らないんだ……。ずっとずっと前から……」
瀬良が俯いたまま、縋るような細い声でそう言った。
「そんな、前から……。大丈夫だって。お前ならきっと合格するし、あっちでも上手くやっていける」
「……」
「つーか上手くいけないのは俺の方かもな。昔から瀬良に世話になりっぱなしだったし。勉強とか、高校離れても教えてもらったりさ。昔から、お前乗り気じゃないのにこういう検証とか付き合わせちゃってたし」
「え……」
「これからは俺も……お前が居なくても、ちゃんと自分で頑張っていかなきゃなって思って」
「なにそれ…………。京ちゃんはもう僕が居なくてもいいってこと……?」
「居なくてもいいだなんて思ってねえよ。瀬良は会ってからずっと一緒にいる俺の1番大切な友達だ。だけど、だからってこれからも一緒なんて無いだろ。高校卒業して、大学生になって――離れる時が結局いつか来るんだからさ。だから……」
京一は、自分が放つ言葉ひとつひとつが、自らの心に針を突き刺すように感じた。
少し俯いて、声音はおかしくなかっただろうか、と考えながら自然な表情を顔に浮かべようとした。
黙っている瀬良を不思議に思い、顔を上げて見ると、瀬良もこちらを向いていた。
暗くて表情はよく分からないままだ。
ただただ、射抜くような瀬良の視線を感じた。
「瀬良……?」
京一は、不安になりながら瀬良の肩に触れようとした―――その時だった。
ゴオオオオォオオ───
何かが唸るような低い音が辺りを震わせる。
右から、左から、足元から、くぐもった大きな音が聞こえる。
何だ?と思った時には、冷たい強風が身体を強く叩きつけていた。
「うっ……?!」
強風は目の前の海から来ているようだった。
京一は顔を両腕で覆って、足を踏ん張った。
目を開けようとして、ゾクリと背筋が震えて、鼓動が一気に速くなる。
何かがこちらに向かってくる。それを見てはいけない、京一の脳内で誰かが警告する。
海のずっと遠くの方から、何かが来る――なぜそう思うか自分でも分からないまま、京一はもう一度目を強く瞑った。
オオォオオ―――と一段と大きい低い唸り声がしたかと思うと、形の無い、巨大な何かが京一の身体を突き抜けて行った。
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