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第13話
「瀬良……大丈夫か?」
「ん……ありがとう、京ちゃん。でも僕、1人で歩けるから……」
瀬良はそう言って、京一の腕から離れ、ふらふらと歩き始めた。
京一は止めようとしたが、瀬良は構わず前を歩いていく。
「ちょっ、無理すんなって。そんなふらふらしてっと危ねーし……っ!」
「だって……こんなの、かっこ悪いし……」
ザアザアと降る雨音にもう少しでかき消される位の声量で、瀬良がそう言った。
京一は呆れた顔をして、瀬良の元へ駆け寄った。顔を覗き見ると、いつも白い瀬良の頬が真っ赤に染まっていて、熱が出ているからだと分かっていても、なんだか愛らしく見えた。
「ハア?かっこ悪いとか言ってる場合じゃねえだろ。つうか、今までも瀬良のかっこ悪い所散々見てきたし。今更だろ」
おまえ、よくこけるし。と京一が言うと、瀬良は少し頬を緩ませて笑った。
「ふふっ……そっか……。そうだね…うん……。じゃあさ、かっこ悪い僕に、手かしてくれる?」
「かっこ悪い瀬良クンに?手を?」
「うん……ふふっ、そうだよ。手繋いで……」
2人は、そろそろと手を繋いだ。
瀬良の手から、熱い体温が京一に伝わる。
「ありがとう……」
髪や服が雨に濡れ、冷たくなっていくというのに、その高い体温に触れると、一気に身体が火をつけられたように熱くなる。繋いだ手以外が冷たいからこそ、瀬良の体温をより強く感じる気がした。
「安心するよ……京ちゃんと手を繋いでいると……」
「あっそ……」
京一は、瀬良の歩くスピードに合わせて、ゆっくり、歩いた。
「っくしゅ……」
瀬良が小さくくしゃみをした。雨で冷えたのだろう、ズビ、と鼻をすすっている。早く帰るべきなのだろうが、瀬良は走れそうになく、雨も止みそうになかった。
「大丈夫か?なんなら俺、おぶってやろうか」
「ううん……大丈夫。ごめんね、付き合ってもらって……」
「いいよ。瀬良が熱っぽいって思ってたのに俺、遊び行くの止めなかったし……」
「京ちゃんは悪くないよ……気づいてくれてたのに、僕がしらないふりしたんだ……。みんなと……京ちゃんと遊びたかったから……」
瀬良の濡れた前髪から、申し訳なさそうな眉を伝って水滴が落ちていく。京一は、自分の睫毛についた雨粒を払うように数回瞬きをした。
「……なんだよ、えらく弱ってんな」
「あは……うん……そうかも。……あのさ、京ちゃんは、どうして僕が熱っぽいって分かったの?」
「そりゃ、触った時に熱かったし、なんか、いつもよりしんどそうに見えたから?」
「そう……。いつもよりって……僕のこと、よく見てくれてるんだね」
「はあ?べつに……そんなんじゃねえけど……」
「ふふ、京ちゃん照れてる」
「はっ?!いや照れてねえから!」
焦る気持ちに呼応するように、繋ぐ手がびくりと反応する。京一はわざとらしく大きく咳をして、瀬良の顔を極力見ないように顔をそらした。
京一が踏みしめる足元に、水が小さく散っていく。
公園近くの川が、激しい音を立てて流れていくのが見えた。
「京ちゃん……僕のこと、ずっと見ててね」
「は……?」
京一が振り返った時には、瀬良はもう足を止めていた。濡れた眼鏡の奥に、鋭い光を宿した瞳が見えている。熱でのぼせたような目をしていたのに、今は何か強い意志のようなものを感じるほど、煌々と輝いているようだった。
京一は、知らず知らずのうちにごくりと唾を飲みこんだ。
「見ててね、ずっと……。僕を……」
「急に……なに……」
瀬良は無言のまま、繋いだ手をぎゅうと力強く握り締めてきた。普段の瀬良からは想像できないほど強い力だ。手のひらを締め付けられて、心臓も同時に締め上げられているような気分になった。
京一は後ずさることもなく、手をふりほどくこともなく、瀬良の視線から逃れられずに立ち尽くしていた。ドクドクと心臓が脈打つのを、鼓膜よりもっと奥の方で聞いた気がした。
「お願い……約束してよ、京ちゃん」
「やく、そく……?」
「うん……おねがい。ずっと見てるって言ってよ……」
瀬良の瞳から、一滴の涙が零れ落ちた。
雨で濡れた頬に、涙が顎の方へ伝っていく。
綺麗だと思った。
長い瀬良の睫毛が、大粒の涙で濡れる。
瀬良が瞬きをする度、小さな星が砕ける音を確かに聞いた。
きょうちゃん、と小さく名前を呼んだあと、また瞳から涙がぽろりと零れて落ちていった。
もう雨の音や川の濁流音など、京一の耳には入ってこなかった。
「せら……」
涙を流して懇願する、美しい幼なじみの名を、恐る恐る口にした。
名前を呼ぶのに、こんなに緊張したことは無かった。
たった2文字を発音するだけなのに、舌がここまでまわらないとは思わなかった。
瀬良の思いに応えよう、応えなければ、京一はそう思って震える口を開けた――その時だった。
握りしめられている手の力が緩んだと同時に、瀬良はその場に倒れ込んだのだ。
♢
「ん……」
瀬良の目がゆっくりと開いた。
「起きたか……」
瀬良を客間へ運び、布団を敷いて寝かせてから、数時間経ったあとのことだった。雨は少しもやむことはなく、窓に当たる雨粒が雨足の強さを物語っている。
「しんどいだろ、そのまま横になっとけよ」
京一は布団の横に座り、まだ熱い瀬良の頬を手のひらで触れる。
瀬良がゆっくりと京一の方へ顔を向け、不思議そうにパチパチと瞬きをした。
「あれ……僕、どうしてここに……」
「熱出て倒れたんだよ。覚えてるか?」
「うーん……?かくれんぼしたところまでは覚えてるけど……京ちゃんが鬼になってそれで……あれ……」
「え……そっから覚えてない?」
「うん……そうみたい……」
「……公園出た後のことも?」
「うん……全然思い出せない……」
そっか。と京一は呟いてから、瀬良のおでこに貼ってあった冷えピタをゆっくり剥がしていった。置いた瀬良の眼鏡の隣に、剥がした冷えピタをくしゃくしゃにして置く。
そして新しく持ってきた冷えピタを、まだ熱いおでこに貼った。
瀬良は目を閉じて、冷たい。と小さく言った。
「もしかして、京ちゃんが運んで来てくれたの?」
「あーまあな」
「そっか……。ごめんね、ありがとう……」
「ん。……それで、おまえ家帰るか?」
「いえ……?家って?」
「だから、瀬良の家。自分ちで休んだ方がいいなら今からでも送ってくれると思うぞ。瀬良が起きたらそう聞けって母ちゃんに……」
「や、やだ……!帰らない……!」
突然瀬良が上体を起こし、京一の腕に手を伸ばして引っ張った。バランスを崩した京一はそのまま瀬良の胸に顔を埋める形になり、んぐぐ、と小さく呻いた。
「わ、分かったから……。俺だって強制的に帰らせようとなんかしてねえって。熱だしてる時に移動すんのしんどいだろうし」
「ほんと……?帰らなくていい?」
瀬良は京一の頬を包むように手で囲んで、自らの目の前に顔を持っていく。
瀬良の頬は赤いままだ。
目尻には、泣いたあと特有の痛々しい紅色が挿していた。
「ち、ちかいって……」
「だって……めがね掛けてないから、ちかくで見ないとよくみえないんだもん……」
「だもん、じゃねーよ。よく見えなくていいって」
京一は、瀬良の肩を押し倒して布団を掛け直してやった。瀬良は京一の腕を掴んだまま離さず、潤む目で何か言いたげに見つめていた。
「なに?水飲む?なんか欲しいもんあるか?」
「ううん……。京ちゃん、まだ横に居てね」
「いいけど……」
「京ちゃんが居ると、安心する」
京一を見つめる薄紫色の瞳が、熱で滲んで溶けてしまいそうに見える。
「そーかよ……。ああ……そうだ……。瀬良にいいもんやるよ」
「ん……?なに、これ……綺麗、」
京一はポケットの中から、赤いお守りを取り出して瀬良の手の平に置いた。
瀬良は、渡されたお守りを興味深そうに眺めている。手の平を動かす度、お守りに刺繍された金色の華が、きらきらと光を放った。
「瀬良にやる。……おまえをきっと守ってくれるから」
「え……いいの?」
「……おう。瀬良って危なっかしいし。……そういう…お守りみたいなの持ってた方がいいと思ってな」
「京ちゃん……。僕、大切にするね……」
瀬良は大事そうにお守りを両手で包み込んで、祈るようにそれにおでこを近づけた。
「……おう、」
そう言って、京一は自らの口元を覆った。今、表情を見られては不味いと思ったからだ。
背後の窓ガラスに、強い雨が激しく打ち付けている。
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