9 / 64
楽園 9
キヨハラと行った動物園は。
楽しすぎた。
雨が土砂降りだったのに楽しかった。
そう、止みそうにない雨が降っていたから、目覚めた時タクミは絶望したのだ。
窓に向かって奇声を上げるタクミを母親は久しぶりに心配した。
頑張り屋の息子は心配かけることなどめったにしなかったからだ。
だが。
タクミがどれほど奇声をあけようと。
雨は全く止む気配もない。
キヨハラはもう行きたくないかもしれないと思って、しょぼんと今日は中止にするかと電話したら、キヨハラは断固として言った。
「雨で動物園は休みじゃないよね。なら行こう。オレはタクミと動物園に行きたいんだよ」
そんなに動物園が好きだったのかと、コイツはオレ以上の動物好きだ、とタクミは感動した。
そう、雨でも動物園はやってるんだし。
それも面白いよな、そうも思った。
何よりキヨハラと一緒なのだ。
「あんた達雨の中動物園に行くの?バカなの?」
母親に呆れられながら迎えにきたキヨハラとタクミは動物園に向かったのだった。
そして、雨の動物園は。
最高だった。
キヨハラとなら楽しいと思っていた以上に。
その日の動物園はキヨハラとタクミしかいなかった。
いたかもしれないが、ほぼ自分達二人以外は動物園のスタッフしか見えなかった。
レインシューズなんて履くわけがない高校生男子二人。
靴の中はグッシャグシャに濡れてて、もちろんレインコート等も着るわけがないから、傘だけでは容赦無く降る雨に対抗できず、濡れまくったけれど、だけど、だから、それでも。
「びしゃびしゃだ!!」
タクミが笑い、
「ずぶ濡れだ!!」
めったにないはしゃぐ声をキヨハラが上げる。
二人で動物園の中を走ったりした。
雨の中。
人間はタクミとキヨハラの二人きりで、それがおかしくて、また二人で笑った。
「こんな日に動物園なんてオレたちくらいだぞ」
タクミが叫ぶ。
雨の音に負けないように。
「オレたちだけの貸切だな!!」
キヨハラの笑い声が雨に滲む。
タクミはエミューというダチョウに似た鳥がお気入りだったのだが、沢山のエミュー達はそのオレンジの目で、二人しかいない人間を柵の中から見ていた。
ふざけながらじゃれ合うタクミとキヨハラを彼らの目が熱心に追いかける。
人間が二人しかいないのが面白いのだろうか。
「これって逆じゃない?エミューにオレたちが見られてる」
タクミは言った。
そう。
人間の方が今日は珍しいのだ。
そんなことでも面白すぎて、二人でずっと笑ってた。
温室がある熱帯動物のコーナーで冷えた身体を温めたり、ノイローゼ気味だというオスのゴリラに二人で同情したり。
アシカが泳ぐ水槽を眺めたり。
ずっと笑って、ずっとはしゃいで、ずっと話をしていて。
楽し過ぎた。
でも。
流石に雨の中だと体温が限界になってきて。
「風邪ひくから。そろそろ撤収しようか」
そう言ったのは大人なキヨハラで。
でも。
今日は大人じゃないキヨハラを見れたからよかった、でも、やっぱりまだ終わりたくない自分とは違ってキヨハラは今日を終わりにしたいんだろか。
グダグダとタクミは思ってしまって。
なっとくしながらも、なんか寂しくなってしまったタクミにキヨハラが、最後にこれを乗って終わろう、と言ったのは観覧車だった。
動物園には「しょぼい」、としか言いようのない小学生以下なら喜ぶような遊園地のようなコーナーがあって。
でも、観覧車は立派とは言えないけれど、まあ、普通に観覧車だった。
絶叫マシンが大好きなタクミにすれば物足りなかったけれど、キヨハラと乗るならただ上がってのんびり回るだけのモノでも楽しい。
喜んで乗った。
小さな観覧車は数分で高いところへあがった。
4人乗りのゴンドラも小さくて、キヨハラの膝が自分の膝と当たりそうだった。
この観覧車は、タクミとキヨハラ以外は誰も乗ってなかった。
二人の為だけに回っているのは贅沢かも、とタクミは思った。
動物園が小さくなり、街が見えて。
雨がグレイにかすませる普段なら物寂しいこの風景がタクミにはとても美しく見えて。
だって、キヨハラと見ている風景だから。
タクミは向かいの席にすわるキヨハラに笑いかけた。
だって幸せすぎたから。
キヨハラは。
またあの困った顔をして。
そしてキヨハラは濡れた髪をかきあげた。
ああ、顔の良いヤツは何しても絵になるな、と、ぼけっとタクミは見惚れてた。
キヨハラの手が伸ばされた。
タクミの顎をそっと掴む。
タクミの濡れた前髪もキヨハラはもう片方の手で後ろへと流す。
「 そんなにみっともない?確かに顔に張り付いちゃったけど」
タクミはちょっと焦る。
「みっともないわけないだろ」
キヨハラの声は。
どうしてこんなに優しいのか。
「タクミ・・・」
キヨハラの目はどうしてこんなに優しいのか。
ええ。
なぜ、こんなに近くにキヨハラの顔が、
綺麗な顔が、
顔良いよな。
思考が羅列する。
タクミは。
キヨハラの唇と自分の唇が触れてるあいだも、目を見開いていた。
目を閉じたキヨハラのまつ毛は長いんだな、と思ったし。
そこに雨の粒がまだあった。
キヨハラの唇は。
柔らかだった。
それも雨に濡れてて。
軽く触れて離れただけで。
でも確かに。
キスだった。
目を見開いているタクミに、キヨハラは笑った。
それは今まで見た中で、一番優しい笑顔で。
タクミは真っ赤になって。
何も言えなかった。
そして。
観覧車は地上について。
タクミは当たり前のようにキヨハラに手を引かれ、観覧車を降りたのだった。
唇にずっとキヨハラの感触が残ってた。
タクミの。
ファーストキスだった。
ともだちにシェアしよう!