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【6】イタリア

 リゾート地の端っこの別荘なんざ、騒がしいだけで実用性がない。  などと馬鹿にしていた過去の俺は大馬鹿野郎だ。  最高だ。素晴らしい。青い海と鮮やかな日差し、これぞ南イタリア! というコテコテの風景にくぎ付けになるミッキーを拝めただけでも、この大して使わない別荘の価値は爆上がりだった。 「こんなすごい所に軟禁されてたの? そこらへんのホテルより豪華じゃん!」  開け放った窓から身体を乗り出し、潮風に目を細める彼は、思いのほか上機嫌だ。  良かった。……正直、俺は相当ビビっていたし、心配していた。  日本で勝手に告白し、そのままの勢いでかなり強引に飛行機に乗せ、ミッキーを故郷に掻っ攫ってしまった。  反省はあまりしていないし、後悔は微塵もしていないがしかし、『もし三年の恋が覚めてしまったら流石に困る』とは思っていた。恋の行方はまだわからないが、とりあえず故郷の素晴らしい景色はミッキーの関心を引いたようだ。 「イタリアの海が素晴らしいことは認めるが、この家は言うほど豪華じゃないさ。ほとんど姉の別宅みたいな扱いだ。俺はあまり馴染みがない。……ミッキー、あまり乗り出すと落ちるぞ」  担いでいた大量の荷物をテーブルに降ろし、今にも落ちそうな細い体を後ろから引っ張って部屋の中に回収する。ついでに窓を閉めて、カーテンも引くと、絶景を取り上げられたミッキーは少し不満そうに俺を見上げ――すぐに、慌てたように視線を外した。 「……顔を上げて、ミッキー。言っとくが、逃げる場所はないし、逃がすつもりもない。キミがどうしても無理だ、やっぱり考え直したい、飛行機の中でよくよく考えたらアンドレア・アデルノルフィなんて好みじゃなかったんださっきのアレは流されただけさ、と喚くのならば、今日のところは一人で枕を濡らして明日からはキミのストーカーとして生きていくことにするが、」 「待っ、……待って待て、ほんと、情報量が多くてどっからつっこんでいいかわかんないから落ち着いて……!」 「落ち着いていられるか。三年だぞ。三年! いや俺がもだもだと日和っていたせいなんだが、それにしたってとんでもない年月だ! 落ち着けるわけがない、興奮と幸福でどうにかなりそうなんだ」 「ヒィ……っ」 「……なんだその、ネズミが飛び上がったときのような声は……俺の愛の言葉は不快? 黙って静かにキミにキスをする男の方が好みか?」 「いや、ええと、痒い言葉をたくさん喋るあなたが好みだけど、僕だって三年片思いしてたんだよついさっきまで……ちょっと手加減して、耳から茹って死んじゃう」 「無理だ。嫌だ。愛おしすぎて吐き出さないとおかしくなっちまいそうなんだ。人助けだと思って俺の愛の言葉を聞いてくれミッキー。……そしてできれば、受け入れてくれ」  祈るような気持ちで手を取り、滑らかな甲にキスを落とす。ひどく痒そうな居心地悪そうな顔をしていたミッキーだったが、ついには降参して俺の指に自らの指を絡め、熱い息を吐いた。 「……僕は、あー……ずっと、片思いをしてると思っていたんだ。だから、ハッピーな実感がまだ追いつてないよ」 「俺だってそうだ。キミを手に入れたくて仕方がなかった。まさかキミがとっくに俺のものだったなんて、知らなかった」 「僕も、あなたが僕のものだったなんて、知らなかった」  唇が緩やかに重なる。  立ったままお互いに縋るキスは官能的で、そして泣きたくなるほどに幸福だった。  濡れた舌を追いかけて、息がきつくなる程食らいつく。徐々に上がる体温に気をよくした俺は、調子に乗って彼の足がふらつくまでキスをやめなかった。  死ぬから、とほとほとと背中を叩かれてやっと解放したものの、くったりとしなだれかかる可愛い人を手放せる気がしない。  腕の中のミッキーは、しばらく恥ずかしそうにもぞもぞとしていたが、やはり最終的にはあきらめて俺の抱擁を全面的に受け入れてくれた。  ミッキーは甘い。俺に甘い。だから俺がつけあがるのだが、勿論ミッキーが悪いのではなく我慢を知らない俺が駄目なだけだ。 「アンドレア、あー……嬉しいんだけどさ、その、まずは荷物を片付けて、一息つかない? ほら、さっき山ほど買ってきた食材とか出しっぱなしはよくないよ。……てかすごい量買ってきたね、ベネデッタさん呼んでパーティーでも開くの?」 「姉は来ない。アレは豪勢な食事の材料じゃなくて、三日間分の食料だ」 「………………うん?」 「さっき言ったはずだ、ミッキー。逃げる場所はないし、逃がすつもりもない。今から三日間、三日後の午後にキミをアメリカ行きの飛行機に突っ込むまで、一秒たりとも俺はこの家から出ない。勿論キミも。この意味がわかるだろ?」 「あの、いや、ちょっと、え、いきなり性急すぎない……?」 「キミはプラトニック派か? 俺とセックスするのは嫌?」 「セックス。……は、したい、けども」 「じゃあ問題ないな。よし、寝室はそっちだ。……こら、どこに行く。逃がさないって言っただろ、ガッティーナ。諦めて俺に愛されてくれ」 「子猫ちゃん、ってガラじゃないでしょ僕は……!」 「そうだな……ミッキーは鳥が専門だしな。プルチーナの方がよかったか?」 「……アンドレアってイタリア人のわりに女の子ナンパしたりしないなぁ、って思ってたけど、やっぱ口説くときはそんな感じなんだね……」 「血は純正イタリアじゃないがな、まあ生まれも育ちもこの熱烈な愛の国だ、キミがメシの食べ残しにうるさくてきれい好きなのと一緒だよ。育った国は人格のひな型だ。俺は食い物を食う時に手を合わせるキミが好きだし、愛した人間を口説きまくる俺も悪くないと思っている」 「もっと、クールな人かと思ってた」 「俺だって人並の若造だ。脳みそが下半身に左右されることもある。過ちだって――この話、前にもしたか?」 「したね。したけど、過去の過ちの件はわざわざ言わなくていいよ。ミス・ヴィオラの浮気から始まるあなたの離婚騒動の記事は、薄目で見ただけでおなか一杯だから」 「……キミはいつの間にグーグルと仲直りしたんだ?」 「あなたが軟禁されてて僕を構ってくれなかったから、寂しくてウィキペディアと浮気したんだよ」 「そういう事を言うと、あー……嫉妬深い俺は、キミの唇を塞ぎたくなる」  ひどい言いがかりだっていうのに、ミッキーは笑うばかりだ。キミの言葉はとても気持ちが良くて、俺はいつでも甘く満たされた心地になる。  ミッキーはすごい、なんといっても俺の我儘を苦笑い一つで許してしまう広い心の持ち主で、どんな国の言葉だって五日もあれば値段交渉くらいはできるくらいは覚えてしまう。コミュニケーション能力が皆無だ、などと愚痴るがとんでもない。想像力豊かに俺を許しながら嬲ってくれる彼の言葉は、俺にとってはどんな美人よりも魅力的な才能に思えた。  もう抵抗を諦めたらしい愛おしい身体を寝室まで引きずり、セミダブルのベッドの上に丁寧に横たえる。ノリのきいたシーツにほれぼれするようなベッドメイキング、というわけにはいかない。なぜならば昨日まで俺がだらだらと寝泊まりしていたせいで、若干どころかかなりの生活感がある。 「やっぱり、ホテルに引きこもったほうが良かったか? キミを口説く場所としてはあまりにも、あー……緊張感がないような気がしてきた」 「今更でしょ。最初に会った時、僕たちは見ず知らずの他人の状態で寝起きを共にして旅をしたよ。今更アンドレアの脱ぎたてのパンツ見たって幻滅したりしないよ。……むしろあなたが暮らしている部屋に入れてもらえて、ちょっとドキドキしてる」 「俺の脱いだパンツにドキドキしてくれるのはキミくらいだよ、ミッキー。だめだ、理性はまずシャワーを浴びろと喚きたててくるがキミを一秒でも離していたくない」 「熱烈じゃんー……そんな好きなのによく三年も黙ってたね……?」 「苦痛の期間だった。だが俺は臆病で、自分の恋情と向き合うことができなかったんだ」 「いやぁ、まあ、あなたが傷ついていたのは知ってたし、グーグルに教えてもらったゴシップな情報をちゃんと見た後だからね、そりゃ新しい恋なんかキツイでしょって思うよ。むしろよく僕なんかに恋してくれたなぁって、あーなんか、今更ぐっと来たなぁ……」 「実感わいてきたか?」 「ていうか感動して涙出そうになってきた」 「……劣情を通り越しちまったな。できればもうちょっと低俗な本能の方に重きを置いてほしいもんだが……」 「欲情もしてるよ、してる。あなたが好きでおかしくなりそうだし、嬉しくて泣きそうだし、愛しくて感動してるし、好きすぎてエロいことしたくて頭が茹りそう」 「……俺はキミの言葉に茹で上がりそうだ」  口を開いて、と囁く。何度でも素直に俺を受け入れてくれる愛おしい男は、キスの合間に俺の背中を抱きしめてグラッツェを呟いた。  俺は何か、礼を言われるようなことをしただろうか。  勝手に日本に乗り込み、勝手に告白し、勝手に攫ってきた。とてもいつも通り、身勝手にキミを攫っただけだ。 「………………罵られるようなことしか心当たりがない」  礼を言われる覚えはないと囁けば、ミッキーは楽しそうに『本当だ』と笑う。 「でも、ありがとうって本気で思ってるよ、アンドレア。あなたがいたから、僕は失意の日々から這い上がれた。出会ったのは偶然だし、お互い恋なんかしちゃったのも偶然なんだろうけどさ。でも、僕に言葉のすばらしさを教えてくれたのはあなただ。山ほど言葉を浴びせてくれてありがとう。言葉で殴らせてくれてありがとう! あなたの、思慮深くて遠回りな言葉が大好きだ」 「……俺の方こそ――」 「…………アンドレア、本当に涙もろいよね……」 「うるさい。キミが俺を感動させるような大層な言葉をぶっこむからだ。言葉が好きなんだ。喋ることが好きだ、言葉で殴られることが好きだ、たぶん俺が会話ジャンキーなのは姉の影響なんだが……キミとかわす言葉が世界で一番ぐっとくる」 「勿論、その、僕だってそうだけどこれ堂々巡りじゃない……? いや、あの、嬉しいけどさ。嬉しいけど、もういいからさっさとその格好いい服脱ぎなよ……」  さっきまでは消極的だったくせに、ミッキーは俺の服の裾を可愛らしく引っ張って目を細める。 「脱ぐのは構わないがキミの服もはぎとるぞ? ベッドに上がったら、急にそういう気分になった?」 「ていうか観念しただけだよ。どうせなら僕だって楽しみたい」 「いいね、積極的なキミも可愛い。愛おしい。キュートで最高だ」 「アンドレアのサングラスはきっと、僕がキュートに見える変な魔法がかかってんだよ。でももう僕は離すつもりないから、一生その不便な魔法かかったままでいてよね」  好きだと囁く。何度も何度も愛の言葉をぶつける。キミは飽きることなく、都度笑って別の言葉で俺に愛を伝えてくれた。  さて、身体の相性の話はしないでおこう。それはさすがに野暮だろう。まあ俺たちは今でも仲睦まじく最高の恋人だから、お察しだろ? とだけ言わせてもらう。  いつだって俺は、旅の終わりに怯えていた。この素晴らしい映画の終わりが来なければいいのに、と願っていた。当てもなく旅をする人生は一区切りついたがしかし、キミと手を取り明日を生きるための人生が始まったのだ。  生きることに傷つき俺は人生を投げ出そうとして、キミに出会った。終わるはずだった映画は、しばらくはエンドロール前でもだもだと足踏みをしていたが――結局、エンドロールはまだ流れそうもない。  明日もキミの声が聞きたい。だから俺は、今日を生きる。  そう決めたのだから。

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