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第8話:脱兎の如く

「“サツ”ってなんですか…しかも伏せろって…」 「………」 「俺達 いつから犯罪者になったんですか」 コンビニの雑誌コーナーの前でいい大人がふたり、しゃがんだ状態で田中が小声でそう言った。 あの警官を見た瞬間、体が勝手に動いた。しかも、田中が言うようにまるで犯罪者が警察を見た時に口にするような言い回しで。 他の客が変な目で俺達を見ている。 言うまでもない。 俺は今猛烈に恥ずかしい。 「や、ごめん…その、こないだの…ふ、婦警さんだったら気まずいと思って」 「ああー、なるほど」 俺がそう言うと田中はポン、と手のひらに拳を打った。そして雑誌棚から外の様子を伺う。 「先輩、大丈夫っす。男性警官しか居ません」 (でしょうね〜) グッと親指を立ててウインクをした田中。そしてそんな田中を見て俺は心の中で涙した。 もう、田中には本当の事を言ってしまいたい気持ちになった。 あのワンナイトの相手は男で、そいつは今すぐそこにいる警官だからなんとか見つからないようにここから離れる手伝いをしてくれと言えたらどれほど気が楽か。 「うへー、なんか車止められてるんで、違反とかですかね?結構言い争ってる感じですよ。先輩ちょっと見に行きましょうよ」 「それだけは無理」 「えー!行きましょうよ!この後の打ち合わせでいい話のネタになるかも…!」 ダメだ。田中には言えない。言ったら最後…ネタにされる…‼︎ 「ダメだ。そろそろ会社戻って次の打ち合わせの最終確認するぞ!」 「先週散々したじゃないですかぁ〜」 「ダメったらダメ!」 「あ!ちょっと待ってくださいお金おろしてなーー…」 「お前がちんたら漫画読んでるのが悪い!」 駄々を捏ね始める田中の背中を押して、恐る恐るコンビニを出た。 道路の向かい。横断歩道の左側にパトカーと違反で止められたであろう白いセダンが停まっている。 その車のすぐ傍にはセダンの運転手らしき男と、書類を書いている警官一名、もうひとりはセダンの中を覗いて何かを探している様子だった。 セダンの中を覗いているのがあの松田という警官だ。 会社に戻るには横断歩道を渡って右に曲がる必要がある。 警官達は左側にいるから、そっちさえ向かなければ顔を見られる事もなく通り過ぎる事ができるはずだ。 「だからちゃんとしてたって言ってんだろ‼︎」 「ですが我々に気づいてからですよね?向こうの通りでも見かけましたがその時はーー」 信号待ちをしていると、セダンの運転手が警官に向かって怒鳴り散らしているのが聞こえる。 どうやらシートベルトをしてたしてないで口論になっているらしい。 セダンの運転手は高そうなスーツにスキンヘッド。おまけにサングラスに金のアクセサリーを身に纏っている。風貌だけで言えばまるでヤクザだ。 「うわぁ…なんかやばそうですね」 横断歩道の信号が青に変わり、歩き始める。 パトカーの方をジロジロと見る好奇心旺盛な田中が数歩歩くごとに足を止めるので、その度に俺は必死に田中の背中を押して歩いた。 「これワンチャンSNSに上がりそうな現場ですよ、ほら、今にも警官に掴み掛かりそう」 「いいから早く歩けって頼むから」 横断歩道を渡り終わり、右に曲がろうとした時だった。 「あ、太一」 「ヒェッ」 背後から名前を呼ばれ体が跳ね上がった。 「え、先輩知り合いですkーーー」 「走るぞ田中!」 「えっ?ちょ、先輩!」 脱兎の如く、俺はその場から走り去った。 この時の俺はオリンピックに出れるんじゃないかと思うほど速かったと思う。 急に走り出した俺を見て、田中も反射的にか走り出し、結果的にふたりで逃げた。 会社に到着し、エントランスに入ったところで足を止めた。 「ゼェ…ハァ…ハァ…」 「先輩……っ……」 会社を出る前に立てたフラグが、こうも早く回収されるなんて。 「先輩…なんか俺…すげえ悪い事したみたいな気分です…っ…」 「すまねぇ…こうするしかなかったんだ」 「先輩…まさか……」 急に真剣な顔で俺の方を見てきた田中。 しまった。今ので勘付かれたかもしれない。 ーーーワンナイトの相手が、さっきの警官だって。 「田中…その…」 ごくりと唾を飲んだ瞬間だった。 「先輩もしかして、何か警察にバレたらまずい事でもしたんですか?」 「は?」 突拍子もない事を口にした田中を前に、俺は開いた口が塞がらなかった。

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