数日前に職場の飲み会帰りにたまたま寄ったバーで、ひとりのリーマンに出会った。 繁華街から少し離れたビルの地下にある「Be over」という名前の店だった。 “終わってる”なんて名前のバー。よく付けるなと思いながらも、人通りも少なかったし静かに酒が飲めそうな店だったから一杯だけ飲むつもりで入る事にした。 扉を開けると入店を知らせる鈴の音が。店内に入ると聞き覚えのある洋楽が流れていて、カウンター席に促された後、俺はバーテンにウイスキーを注文。 『すみませんね、ちょっと隣、あれかもですけど』 そう俺に耳打ちをしたバーテンはどこかにやけている様子だった。そしてバーテンに視線で誘導され隣を見ると、そこにはカウンターに突っ伏したままぶつぶつと独り言を言っているスーツを着た若い男が。 見た感じ、サラリーマン…かな？ 『なんでこんな事になったんだよぉ！』 ウイスキーをバーテンから受け取ると同時に、その男がグラスをカウンターに叩きつけた。 『まぁまぁ落ち着いてくださいよ。浮気なんてあるあるじゃないですか』 『でもじゃあなんでプロポーズ受け入れたんだよ‼︎意味わかんねぇよぉ‼︎うぁぁぁあ‼︎』 バーテンとのやり取りが耳に入り、ある程度の察しがつく。 （浮気……失恋でやけ酒ってとこか……） 静かに飲みたかったのに、これは早々に店を出た方が良さそうだ。 なんて思っていた矢先、隣の男が体の向きを変え、視線が俺へと向けられた。 酔っ払いの相手は職業柄慣れてるけど、プライベートの時は勘弁してほしい。 できれば関わりたくないんですけど…。 『なぁ、どう思う？』 『え？』 願うも虚しく、話を振られてしまう。 『７年付き合ってプロポーズして、OKもらったのにこないだ彼女が浮気してたの知ってさ…』 『はぁ…』 『でも発覚するまで全然普通なの！普通に俺と接してたの彼女！なのに浮気バレた途端に俺の事振ったの！なぁぁ…なんでぇぇ』 『……知らないですよそんなの』 （あー。これはまともに相手をすると逃げられなくなりそうだな…） タイミングを見て店を出るしかないと思い、ウイスキーを飲むペースが上がる。 『まぁ、女は浮気隠すの上手いって言いますからねぇ〜あっはは』 『おいこらバーテン！笑ってんなよなぁ‼︎俺は真剣に傷付いてるんだ！』 『真剣に傷付くってなんですか〜。てかお客さんみたいな“しない人”の方が珍しい世の中なんですから、ねぇ？そちらのお兄さんもそう思うでしょ？』 『いや、俺に聞かれても…』 頼むから俺を巻き込まないでくれと態度に見せてもお構いなし。 バーテンは相変わらず泣きじゃくってるリーマンを前に笑っていた。２０代前半…くらいの若いバーテン。客への対応からしてバイトの大学生って感じの男だった。 バーテンの胸に付いた名札には【ヒカル☆】と書かれていた。 『てかお兄さんめっちゃイケメンだね！相当遊んでるでしょ〜。お兄さんからもアドバイスしてあげてよ。ね？』 初見の客にデリカシーの欠片も無い。隣には酔っ払いのリーマン、目の前には失礼なバーテン。 （……終わってんなぁ） 俺が死んだ目になるのも無理はない。 『見た目で判断してんじゃねぇぞぉ…』 さっさと店を出ようとグラスを傾けると、リーマンがバーテンに向かってそう言った。 『遊んでるとか、そんなのわかんないだろ。みんながみんなそうとは限らねぇよ』 『ま、まぁそうですけど、こんだけかっこよかったらーー』 『“かっこいい”から遊んでるって？じゃあ俺の彼女は“かわいい”から浮気したのかよ』 『や…あなたの彼女がかわいいかは知らないですけど…』 『うるさい！俺の彼女はかわいいんだよ！………元…彼女だけど…。けど、彼女がかわいいからとか、浮気相手がかっこよかったからとかそんなんじゃなくて……する奴はする、しない奴はしない…ってだけだよ』 バーテンとリーマンの会話を聞いていると、酒を飲む手が止まっていた。 別にもうすぐ店を出てもよかった。ふたりが話し込んでいる間にしれっと帰るつもりだったのに、なぜか体が動かない。 少しだけ、この失礼なバーテンにリーマンがなんて答えるか気になった。 ただ、それだけ。 『まぁ確かにそれはそうかもですね。あ、ちなみに俺はする派です☆楽しみたいですし♪』 『よくもまぁ俺の前で堂々と…！』 『というか自分もしてやろうって考えなかったですか？当てつけにしてやればよかったのに』 『……相手もしたから…とか、そんなんダサいよ』 リーマンのその言葉に、バーテンが静止する。 『いつか俺の事“いい男だったな”って…思い出してくれた時に…堂々と胸張っていれるような奴で俺はいたいんだ…』 カラン、と氷が崩れる音がした。 『なぁ、あんたもそう思うだろ？』 虚な目で俺の方を向くリーマン。 （なんだろう……この感じ…胸の辺りが少しざわめくような） 『それが、“かっこいい男”ってもんだろ？』 この人の事をもっと知りたい。なんて。