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第20話:ありえないでしょ
間一髪でトイレに駆け込んだ俺と、ドアの外で言い合いが続いていたふたり。
用を足した後もしばらくトイレから出れなくなるわで、ほんとに何なんだとため息が溢れた。
ドアから顔を出す俺に駆け寄る大和と、背後で冷たい視線を向ける半田さんと目が合った。
早く帰れと言わんばかりの視線に心が傷む。
「雅ちゃん」
険悪な空気が流れる中、柔らかい声が聞こえた。
声のする方へ俺達が振り向くと、そこにはトミさんと呼ばれていたお婆さんが心配そうにこちらを覗いていた。
「ああ、ごめんねトミさん!時間押しちゃったね」
「いいんだよ。でもそろそろ帰るよ」
そう言えば、ここに来た時にトミさんがもう帰るからって言ってたよな。
トミさんは帰り支度を済ませているようで、そのまま玄関へと歩き、よろける体をすかさず半田さんが支え、靴を履くのをフォローしていた。
「松田君、梅さんも今日はありがとうね」
ゆっくりと立ち上がるトミさんが、俺達に向かい頭を下げる。
「いえっ、こちらこそありがとうございました」
「梅さん、またお茶でもしようね」
「は、はいぜひ」
くしゃくしゃの笑顔を見せるトミさんに、心が温まる。
しかし、その隣で鋭い視線と冷気を俺に浴びせている半田さんのせいで、俺は苦笑いをしてしまった。
「トミさん、僕送ってくよ」
「ええよ、すぐ近くだから」
「こんな時間に女性をひとりで帰らせるわけないでしょ?」
「あらまぁ…じゃあ、お言葉に甘えようかね」
俺との態度の差が激しすぎる。
ほんと、この数時間で半田さんに一体何が起きたんだ。
「じゃあ俺達も帰ろうか」
「え?」
「あんま長居するのも小林さん達に悪いし」
そう言った大和は少し半田さんの様子を伺っているように見えた。
「……うん。それがいいね」
そして、一瞬大和と目で会話をした半田さんが黒く微笑む。
「じゃあ松田。また連絡するね」
「……まぁ、今日の事はまた今度」
「怖いよ松田〜。いい男が台無し」
「……もういいから早く行ってください」
はーい、と陽気な声で返事をした半田さんはトミさんの手を引きながら出て行く。
玄関のドアが閉まった後、大和と俺は同時に深く息を吐いた。
◇◇◇
「ほんと、今日はごめん」
小林さん達に礼と挨拶を済ませ、小林青物店をあとにした俺達は、閑散とする商店街を肩を並べて歩いている。
店を出てすぐに大和は申し訳なさそうに謝ってきた。
「いや、まぁなんかびっくりしたけど…お前が謝る事じゃないよ」
「…………」
答えると、大和は俺の顔を覗き込んでくる。
「な、なに…」
「ううん。やっぱり太一は優しいなって」
はは、と眉尻を下げて控えめに笑う大和。少しだけドキッとしてしまった。
やっぱこいつ、男前なんだよな。羨ましい。
「半田さんって…いっつもあんな?」
「まぁ…たまにあの人地雷あるんだよね」
「なんかK市出身じゃないって知ったら人が変わったぞ…」
「…はは、うん。これまでも何回かそれでトラブってて…交番勤務って普通は異動とかあって同じとこに何年も居る事とかあんまないんだけど、あの人の場合、なぜか異動の辞令がなくてずっと同じ交番にいるの。だから他の人の入れ替わりがある度に半田さんの地雷踏んだ人と揉める事が多くて…」
「へ、へぇ…」
深々とため息を吐く大和の口から心なしか魂が見えた。
こいつも色々大変だったんだろうな。
「てか、半田さんだけ辞令ないって…あの人何者なの?」
「さぁ…俺も流石にそこまでは。ただ、議員の息子とか、大物政治家の隠し子だとか、署でも色々噂にはなってるよ」
「ほー。まさかヤクザって事はないよな?はは」
だってあの人ほんと殺し屋みたいな目してたし、ヤクザって言われた方がしっくりくる。
「まさか。ヤクザが警察ってありえないでしょ」
「そうだよな〜」
それを聞いて安心した。ヤクザなら俺は殺されてたかもしれない。
いや、でも待てよ。あれって俺が摘発すれば良い事案では?
むしろ漏れる寸前の男に後ろから覆い被さって襲うみたいな事されたし、普通に“セクハラ”では?
「でも、半田さんあんなだけどいい人だから」
ぐるぐると考えを巡らせていると大和が呟いた。
「俺としては太一と半田さんが仲良くしてくれると嬉しい」
「………」
そんな目で見るなよもう。
摘発できないじゃんかばか。
「俺はいいけど…向こうがダメだろ」
「大丈夫。半田さんも太一の良さに気付くよ」
本当に。こいつはどうしてこう…真っ直ぐと言うか、恥ずかしげもなく言えるな。
普通に照れる。
「そ、そういや…ヤクザと言えば昔なんかあったよな」
心臓がバクバクうるさいのを気付かれないように、何か話題…
「ああ、あったね。ヤクザ同士の抗争」
「結構ニュースでやってたよな。俺まだガキだったけど親に街を出歩くなって言われてたわ」
そういやあの事件、結局どうなったんだっけ?
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