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 自分の見た目に殊更文句はないけれど、身長だけはもう少しあったらなぁと思わずにはいられない。  どんな服も、きちんとマネキンと同じバランスで着こなす美園を眺めながら、浅利はしみじみと息を吐く。少し猫背を正すだけで、手足が長くて頭が小さい美園はまるでモデルのようだ。 「すげ~美園ちゃんかっこいー……えー、迷うなぁ、フォーマルすぎんのもちょっと、って思ってたけど、そのベスト似合いすぎるよなー」  借り物の人形のようにぎこちなく佇む美園を前に、ほれぼれと呟く。その言葉に力強く頷くのは美園ではなく、隣で同じく腕を組んでいる田谷町だった。 「わっかります、わっかります、ベスト最高。最高オブ最高。でもなぁーーーさっきのシンプルハイネックも捨てがてぇぇええんだよなぁーーー」 「あー……あの、ポニーテール激似合いそうだったやつ……」 「そーそー、ポニーテール激似合いそうだった黒のハイネックっすよ。うーんいやでも髪はやっぱハーフアップイチオシだし……となるとベストもあり」 「……黒シャツも良かった」 「わっっっかる…………」  真剣に協議を重ねる外野を前に、もう二時間も着せ替え人形状態の美園は、げっそりした顔を隠しもせずに息を吐く。 「この服、なんかぎゅっとしてて慣れねーんだけど……」 「セリちいっつもだぼっとしたヤンキー仕様だっからなぁ、そりゃあフォーマルベストなんてコルセット並みの違和感でしょうよ」 「つか、とりあえず脱いできていい……?」 「おー、よかろう、許す許す。あ、でもちょっと写真だけとっとこうぜ、すいませーんちょっと参考にするのに写真撮っても大丈夫っすかねー? おっけー? あざっす! よっしゃセリち笑えー」 「無理。適当に撮って。早く着替えたい」 「んだよ、イケメンなんだからもっとビシッと愛想振りまきやがれっての」 「――あ、ちょっと、美園ちゃん」  若者二人が戯れている様をニコニコと眺めた浅利は、ぐったりしたまま試着室に消えていく美園を呼びとめ、かがんで? と声をかけた。 「髪の毛に糸ついてるわ。脱いだり着たりしてたからかな……」 「……ありがと」 「うん。取れたから、はい着替えといでー」  笑って手を振り、くるりと踵を返したせいで、自分を見つめる派手な男とバッチリ目が合ってしまった。美園のコートを抱えたオレンジ髪に眼鏡の男、田谷町は、気が付くと浅利を見つめている気配がする。  今日は授賞式に臨む美園の為に、パーティー用のお呼ばれ服を買うことが目的だ。  フォーマルな服なんか持ってないし、そもそもどんな服を選んだらいいのかわからない。そう言って顔面蒼白になっていた美園に、丁度祝日で休みだった浅利は送迎役としてレンタカーの運転を買って出たのだ。  途中の駅で田谷町を拾い、郊外にある少し大きめの商業施設に足を延ばす。都内の店はどこも人がいっぱいで、電車移動はやはり美園には向いていないと踏んだのだが、三連休最後の月曜日ということもあってか、広大なデパートはそれなりに賑わっている。 「……やっぱ通販が良かったかな? 美園ちゃん、しんどくない?」 「え、いやぁ、そうでもなさそうっすよ? 吐きそうなときはもっと吐きそう! って感じになるもんアイツ。アレはたぶんシンプルに立ってるのに疲れてんだと思いますわ」 「立ってるのに疲れる……え、うそ、そんなにひ弱――だなぁそういや引きこもり貧弱イケメンだった……」 「筋トレとか習慣づけてくださいよーぅ。命令したら一発っしょ?」 「うーん……いや、まあ、健康の為には必要だろうけど、あんまり運動好きそうじゃないしなぁ。無理して嫌なことさせんのも可愛そうだし」 「……浅利サンてもしかして、セリちにくっそ甘い?」 「え? そんなことないでしょ。普通だよ。つか田谷町くん、仕事忙しいって聞いたけど今日大丈夫だったの?」  笑って適当に誤魔化して、さらりと話題を変える。派手な見た目の青年は、唐突な話題の変化にもすぐに対応し、何でもない風な顔で笑ってくれた。 「へーき、へーき! 美容師ってヤツぁ祝日でも月曜は休みなんすよ……まぁ、例外もいるけど、うちは完全に休みっす。いや、本当は出勤しろって言われたけどおれもう八連勤中だったんで無理、やだ、絶対休むって決めたんでー」 「さっきからちょいちょい電話鳴ってんの、もしかして仕事――」 「だいじょうぶ! だっておれの携帯緊急で鳴らすのなんかセリちくらいなもんだし! よってこれは緊急のアレじゃないんで問題ないっす!」 「問題ない、かなぁー……? いや、休みは権利だから、休むべきだと思うけども。きみもなんかこう、ちょっと不憫なにおいがしてよくねーなぁ」 「お、浅利サン不憫萌え属性? じゃあセリちなんかドストライクなんじゃないっすか?」 「……ノーコメント」 「ガードかてえなぁ~予想外~」  けらけら笑う田谷町は、ちょくちょく浅利に探りを入れてくる。おそらく、親友を心配してのことだろう。  小川医師にも言われた通り、期間限定の従属性障害同士のパートナー契約など、心配されて当然だ。自分だって知り合いがそんなことをしていたら『大丈夫か? 相手どんな奴? クソ野郎だったらすぐに言えよ?』と思うだろう。生憎と友人と言える人間がほとんど頭に思い浮かばない浅利でも、その程度の想像はできる。  彼もやっぱり良い奴だな、と思う。  軽薄な若者ぶっている割に、田谷町という青年は心配性で優しい。美園が全幅の信頼を置いている様子からも、彼の善良さは見て取れた。  しばらくしてふらふらと美園が戻り、一度珈琲でも飲もうかという話になる。美園には休憩が必要だし、体力に自信がある浅利といえど歩きっぱなしでは小腹もすく。  適当に空いているカフェスペースで珈琲とクロワッサンを頼んだところで、また美園はふらりと立ち上がった。 「え、セリちどったの? やっぱさっき見てたチョコドーナッツ食いてえの?」 「いらねーよあんな甘そうなやつ……トイレ。行き損ねたの思い出した」 「一人で行けっか?」 「馬鹿か。馬鹿だろ。行けるに決まってんだろ」 「わはは、そりゃそっか、男子トイレにはセリちの敵はいねーもんな。でもなんかあったら呼ぶのよ~おれでも浅利サンでもいいからさ。そこ我慢して大変なことになったら笑えねーからね?」 「……うん。わるい、いつも……」 「いやいやいや謝らせるためとか恩着せがましい感じに言ったわけじゃねーのよ! ほらいいから行って来いって、その間おれぁ浅利サンと仲良くなっとくから!」  なんとなく嫌そうな顔をしてから、田谷町の頭を軽くたたいた美園は席を立つ。  スタイルの良い後ろ姿を見送り、少し苦い珈琲を一口飲んだ後に浅利は口を開いた。 「……敵って、あー……やっぱ、美園ちゃんって女の人ダメなの?」  なんとなく、気がついてはいた。美園は外の世界を嫌う。そして特に、女性とすれ違う時に過敏に反応して身を固くすることが多かった。  年配の女性や、浅利と同世代の女性にはあまり萎縮しない様子だが、若い――特に、少女と呼ばれるくらいの年齢の子供たちを見ると異常に怯える。  怖いとか、辛いとか、そういう言葉は口にしない。けれどあくまでも彼が飲み込んでいるつもりの恐怖という感情は、消化されずに隣を歩く浅利にも伝わってしまっていた。  ジンジャーエールをずるずると一気に半分飲んだ田谷町は、何でもない風に苦笑する。 「あー、やっぱセリち言ってないんすか……なんつーかそれはえーと、隠したくて隠してるっていうよりタイミングないだけじゃね? って思いますけどね。なんかいきなり『実はオレってこういう人生生きてきたんだけど!』とか切り出す機会ってあんまないし?」 「……まあ、確かに、訊かれなきゃいわねーか……」 「そんでこういう話はやっぱ訊きづらいっすよ。おれは単に昔のー……あー、知り合い? ってのも嫌なんすけど、まあ赤の他人の顔見知りがセリちの元ご主人様だったんでぇ、なんとなーく事情察してるってだけっすから」 「あ。パートナー、居たんだ。じゃあそれが、カワイイ女の子だったわけか」 「……見た目はまあかわいいっすけどね。アレはなんつーか、美少女の皮被った悪魔でしたよ。パートナーとかそういう感じでもなかったなぁ……まじであの時のセリちはね、犬でした。自分のこと人間だなんて思ったら、きっと狂っちまってたと思う。……狂っちまってたのかもしんないっすけどね?」 「それ、俺が田谷町くんから聞いていい話……?」 「あ、大丈夫じゃないっすかね。別にセリち隠してねーし、あとセリちは微塵も悪くない話だし。ただ単に昔はクソみてーなシェパード女のせいで、ノーマル女の集団のおもちゃにされてたってだけだから」  おもちゃ、と思わず口に出してしまう。  トイという蔑称は、おもちゃが語源だと聞く。けれど田谷町が口にしたその言葉は、ただ美園がトイであるという以上の異常さを含ませていた。 「おもちゃっすよ。おれも詳しくはしらねーっすけど、あんときのセリち完全に壊れてたから。バンバン命令されて、理不尽にお仕置きされて、それでもトイだから身体と頭は喜んじゃうんだって、たまにクッソ泣きながらフラバしてます。まーね、イケメン高身長の男が自分の言いなりになるなんて、そりゃー安全なおもちゃすぎるでしょうよ。女はどうしても力が弱いから、いざとなったら男に何されるかわかんねーってのが根底にあるはずで、その心配がいらないなら最高に安全なセフレだし」 「…………言ってることは、理解できるはずなんだけど、悪い全然頭に入ってこねーわ……え? 何、その……まじで? 漫画とか映画の話じゃなくて、美園ちゃんの話だよね?」 「真っ当な人はそういう反応でいいんすよ。おれだってわりとちゃらついた業界にいますけど、ここまでアンダーグラウンドっぽい話あんま聞かねーもん。歌舞伎町かよ~~~ってゲラゲラしちゃいたいっすよ、他人の話ならねー。でも、セリちの話だからさ、笑えないんすよね。今は逃げてきて縁も切れて、まっとうな人間の道歩み始めたばっかで、もー……ほんと、うまく行ってほしいんすよ、授賞式も含めて。――つか、浅利さん、セリちの為に怒ってくれるのね」 「……いや……そりゃ、だって――」 「パートナーだから? 当たり前? でも、期間限定っすよ? 来月の授賞式終わったら、もう他人じゃん?」 「…………パートナーかどうかは置いといて、来月になっても再来月になっても、俺は美園ちゃんの知り合いのおにーさんであることは変わりないでしょう」 「んー…………ほしい感じの確約じゃねーけど、ギリ合格……ってコトにしとこうかしらーって感じっすね。つか浅利サンわりとヘタレ?」 「きみは見た目より友達思いだね」 「おっと。性格わりーねって言われると思った」 「全部美園ちゃんの為でしょ。性格悪くなんかねーよ」  たぶん、田谷町が欲しいのは確証だ。小川と同じく、美園にとっての安定は浅利との関係を続けることだ、と思っているに違いない。  そうなると『期間限定とは言わず、その後も付き合ってくれたらいいのに』と思うはずだ。小川も同じことを言っていたのだから、美園の友人である田谷町がそう思うことは想像にたやすい。  それがわかっていても、浅利は心のうちをさらけ出せずに言葉を濁して逃げてしまう。  好きかどうかと問われたら好きだと思う。可愛いと思うし、格好いいと思うし、抱かせてくれと言われたら悩むとは思うが、結局身体を明け渡してしまうだろう。ただ、お互いに従属性障害であるために、軽い気持ちで付き合おうという選択肢が選べない。  美園は、浅利の言葉に従順だ。それはそういう性質だから仕方のないことで、トイのパートナーを持つということは浅利にとって、一人の命を預かることに等しいと思っていた。  迂闊な一言で、彼の人生をムダにしてしまわないだろうか。些細な言葉で、深く傷つけてしまわないだろうか。まだ数日間しか共に過ごしていないのだから、そんな心配をしなくてもいいのかもしれないがしかし、美園が可愛くなればなるだけ、怖くなる。  相変わらず美園は、唇を許さない。  誰かほかに好きな人でもいるのか、と思っていたが、田谷町の話を聞くに、もしかしたら過去のトラウマから性的なものを連想させる行為全般が苦手なのかもしれない。そういえばEDの話をした後も、妙に態度がぎくしゃくとしていた。  いきなり変な話ぶっこんじゃって、悪いことしたなぁ、と反省しつつ、その後は何でもない風に一切その話題には触れずにスルーしたのだが。  悶々と悩み始める浅利を見ながらジンジャーエールを飲み切った田谷町は、ストローでトントンと氷を叩きながら、肩の力を少しだけ抜いたように笑う。 「……すいません、おれね、セリちのことになるとちょっとカッとなりがちだから、自重します」 「いや、俺が、あー……腹くくってちゃんと本人に訊きゃいいだけのことが、山ほどあるのが悪いから……ごめんね、なんか、中途半端にパートナーぶってさ……」 「いやそれはセリちが『パートナーになってください!』って頼んだんで、浅利サンは巻き込まれただけっすよ。つかじわじわ思ってたんすけど、浅利サンわりと変な人っすよね……? 変な人? っつーか、変なシェパード……?」  シェパードはみんな、クソ野郎だと思ってたんで。  その言葉に、浅利は苦笑を返すほかない。田谷町は個人的な私怨が原因かもしれない。しかし世間一般的にシェパードは支配欲の強いモラハラ人間、トイは快楽に弱い淫らな人間だと誤解されがちだ。  勿論、これは大いなる偏見であるが、自分があまりシェパードらしくない、という点においては同意せざるを得ない。 「それ、美園ちゃんにも言われる……」 「わはは! セリちに変とか言われたかないっすよね! アイツ変の塊じゃん!」 「――田谷町くん、なんか、機嫌治った?」 「え。あ、おれべつに不機嫌だったとかじゃないっすよ!? あー、さーせん、まじで、えーと……おれは勝手に、おれの為にセリちには幸せになってほしくって、浅利サンどうにかアイツに付き合って一生背負ってくんねーかなぁって思ってただけでー」 「あ、ズバッと、言っちゃうんだね、それ」 「言っちゃいます。つか、言っても大丈夫かなって思えたんで。浅利サン、おれが出会ってきた中でもマジで稀有で稀なクソ真面目な人だったから。……たぶん、悪いようにはしないっしょ、セリちのこと」 「あんまりー信用されるとー、プレッシャーなんですけどー……」 「わはは、大人なんだから若人の戯言くらいで押しつぶされないでくださーい」  けらけらと笑う、年下の青年に苦笑いを返しながらクロワッサンにかじりついた時だった。  バタバタと、デパートのスタッフが数人、駆けていくのが見えた。トラブルだろうか――彼らが走っていくその先をなんとなく目で追いかけて、思わず、席を立つ。 「……浅利サン? 何……え、うそ、まじ、え?」 「ごめん、ちょっと見てくる。……美園ちゃん、ぶっ倒れたのかも」  その懸念の通り、トイレ前に駆けつけた浅利が目にしたのは、浅い呼吸で床に倒れる美園の姿だった。

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