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 帰りのホームルームが終わって振り返ったら、もう桐人はカバンを持って帰ろうとしていた。 「き、桐人、帰んの?」  思わず声をかけたけど、昼休みにあんな事があったらそりゃ帰るよねって思った。  そういえばあの時何も言わなかったオレの事、桐人はどう思っているんだろう。 「ああ、うん。今日は…」  振り返った桐人がそう言ってオレを見た。  いつも通りの桐人に見えた。  オレの事、怒ってないのかな。  そうだといいんだけど。 「あ…そっか…。じゃあ」  引き止める事はできない。  一緒に帰れたらいいのに。…桐人の家に。  この前みたいに過ごせたら…。 「じゃ」  踵を返した桐人が教室の出入口へ向かって行く。  広い背中を追いかけたい。  そう思って一歩踏み出そうとした時、 「あいつ、やっぱ怒ってるよなー」  肩にずしりと邦貴の腕がのった。  重いし、暑いし、不快。 「…邦貴が悪いんじゃん」  邦貴の腕を肩からどかしながら言った声が、自分でも驚くくらい低かった。 「あれぐらいで怒ると思わなかったんだって。遠野、メンタル強そうだし」  不満気な顔をした邦貴がそう言って腕を下ろした。 「それに、どっちかと言えば、おれよりあいつの方だろ悪いのは」  邦貴が顎をしゃくった先に高橋がいた。 「あれ? 遠野もう帰ったの?」  高橋のその問いかけに、オレは応えたくない。 「帰った帰った。まだ全然怒ってたぞ、あいつ」  その邦貴の言葉が胸に突き刺さった。  そうだよね。怒ってた、よね。  振り返った桐人は、怒ってるようには見えなかったけど。  それはオレが、怒ってないといいなって思ってるからそう見えたのかもしれない。 「うわ、それホント?黒田。じゃ僕も帰るね」  さっき桐人が帰って行った方向に、高橋も急ぎ足で去って行った。  高橋は、桐人を追いかけて何を言うんだろう。怒らせたの自分なのに。  高橋は怖くないのかな。これ以上怒らせたら、とか、完全に嫌われたらどうしよう、とか。  オレは、怒ってるかもしれないってだけでビビってる。  でもそれじゃダメな気がする。  ぐっと拳を握り込む。僅かに伸びた爪が手のひらに刺さった。  確かめよう。桐人が怒ってるかどうか。  で、謝ろう。怒ってても怒ってなくても。  桐人が嫌そうにしてるの、声だけでも判ってたのに、みんなを止めなかったのはオレだ。  みんなにウザがられても、止めなきゃいけなかったんだ、あの時。  机の上のカバンを掴んで出入口に向かう。 「なに、知希、お前も帰るつもりか?!」  邦貴の少し怒ったような声と、ガタッと机に当たる音。  でもオレは構わず廊下に出た。  階段を降りている途中で邦貴に追いつかれた。 「知希お前、遠野追いかけんの?」  邦貴の手がオレの手首を掴んだ。 「ったいよっ、邦貴! 離せよ!」  振り解こうとするけど、邦貴の力は思ってたよりずっと強くてびくともしない。そのまま開いている特別教室へ連れ込まれた。 「離せってば! 桐人に謝りに行くんだからっ」 「謝るって何をだよ! 昼の事はお前は何も悪くねぇだろ。高橋に任せとけばいいんだよ!」  反対の手首も掴まれて、壁に追い詰められた。  何で…?  どくどくと心臓が早鐘を打ち、手足が先から冷えてくる。  お調子者で、いつもふざけてる邦貴が、真顔で見下ろしてきて怖い。 「だ、だって、オレ、何も言わなかったからっ。桐人が嫌そうなの分かったのに、だからっ」  邦貴を怖いと思ったのなんか初めてで、舌がこわばった。 「だから、止められなくてごめんって言いに行きたいから、離してよ邦貴!」 「それを何で、お前が言いに行くわけ?」  息がかかるほどの距離で邦貴が問うてくる。相変わらず手首は拘束されていて、痛みと恐怖で膝が震えた。 「なぁ、何でだよ、知希」  顔を覗き込んでくる邦貴を睨み返すけど、苦しいほど動悸がしていて涙が滲んでくる。  口惜しい 口惜しい 怖い 「と、友達だからっだよ…っ」  もつれる舌で必死でそう言って、邦貴から顔を背けた。泣き顔なんか見られたくない。 「…友達、ねぇ…」  ふっと息をついた邦貴が、ようやくオレの手首を掴んでいる手の力を緩めた。止まっていた血流が一気に流れ出す。オレは邦貴の手を振り払った。  邦貴はそんなオレの様子をじっと見て、 「悪かったよ、知希。あいつにも謝っといて」  とだけ言った。

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