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 いくらなんでも覚えているだろうという気持ちと、期待するなという気持ちが胸の中でせめぎ合う。  自己紹介が始まって、内心ドキドキしながら、でも表面上は平静を装っていた。    俺の数人前はあの男だった。  あいつ、黒田っていうのか。  正直、黒田とは親しくなんかしたくない。向こうも同じような事を思っているだろう。  前の席の女子が自己紹介を終えて座った。担任に目で「次」と指されて立ち上がる。  心臓がドクドクいって教室が揺れて見える。自己紹介でこんなに緊張した事はないと思う。 「えっと、1年の時はE組でした」  声が喉に引っかかりそうになる。 「遠野桐人です。一年間よろしくお願いします」  知希の席が俺より後ろで顔が見られなくてもどかしい。  黒田はこっちをジロリと見て、知希の席の方に視線を向けた。  知希は、俺の名前を聞いて思い出したんだろうか。  そればかり考えながら再び椅子に座った。  自分の後のやつの自己紹介なんか頭に入ってこない。    数人が過ぎ去って、 「次、森下。おーい、森下、目ぇ開けて寝てんのか?」  担任がそう知希に声をかけた。 「えっ、あ、は、はいっ」  ガタガタと立ち上がる様子が可愛い。  自己紹介の番になっている人を見るのは普通の事だから大丈夫。  そう思いながら、振り返って知希を見ている。 「も、森下知希です。えっと、1年の時はA組で、えっ、あっ、よ、よろしくお願いします」  目を泳がせながら、つっかえつっかえ喋るのも、紅潮した頬も、あどけなくて可愛らしい。  自己紹介くらいでアガるタイプには思えなかったけど。  意外だったな。  知希が座って、その後ろの席の男子が立った。そいつを見ているふりをしながら知希を見ていた。知希は唇を噛んで下を向いていた。  知希が俺を覚えていたのかは、結局分からない。  休み時間は知希の周りには例の黒田邦貴をはじめ、何人もの友人が集まっていて声なんてかけられなかった。  黒田は知希が見ていない時に、俺の方を値踏みするような目でジロリと見てきて不愉快だった。  少し頭を冷やそうと思って席を立った際に、こちらを見ていた知希と目が合った。何か言いたげな様子に見えたけれど、どうしようもないのでそのまま教室を出た。背後で黒田が知希に話しかける声が聞こえていた。  知希は何を言いたかったんだろう。それとも気のせいか。  見ているだけじゃ分からない。受け身でいたら何も始まらない。    声をかけるなら購買前だ。あそこが校内で唯一の俺と知希の接点だから。  知希は弁当を持って来ない。1年の時も1人で購買に行くのをよく見かけた。黒田はたぶん弁当を持たされてる。  黒田が用もないのに購買に付いてくるようになる前に知希に声をかけよう。  黒田が俺を警戒しているのは手に取るように分かる。  近付くなと目で語っているのなんかとっくに気付いている。  でもそれは俺の知った事じゃない。選ぶのは知希だし、どっちも選ばれない可能性の方が圧倒的に高い。  だからと言って、どうせ無理だからと何もしないで諦めるのは性に合わない。できる事は全部やる。コストパフォーマンスなんかクソ喰らえだ。  そう思ってタイミングを見計らって。  やっと、声をかけた。

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