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「ん? どうした? 知希」
さぁっと、知希の頬から目元、耳までが朱に染まっていく。
なんだ、その反応。ヤバいぞ。
勘違いしそうになる
「いや、あの…、嬉しくってさ。オレも…、桐人ともっと話したいって思ってたから」
そう言った後、知希は少しギクシャクとした動きで自転車を停めて、階段を昇り始めた。俺はその後ろ姿を見ながら、さっきの言葉を噛み締めた。
知希も俺と話したいと思ってくれてたとは、思ってもいなかった。
「懐かしいなー」
そう言って、気持ちを鎮めようとするけれど、跳ねる鼓動を制御できない。
足元がふわふわして現実感が薄い。
「散らかってるけど」と言いながら、知希がドアを開けた。
「お邪魔しまーす、てかマジで懐かしいな。あんまし変わってない気がする」
一気に5年前の記憶が蘇った。
2人用のローテーブルに、無理やりのせた4人分の食事。父の今までの『彼女』たちとは違う、明るいけれど地に足のついた感じの優しさのある知希の母が、俺は割と好きだった。
あの時、あのまま父たちが結婚していたら、今頃どうなっていたんだろう。
そんな事を考えながら、知希と連絡先を交換した。
家を教えると「遊びに行っていい?」とか訊いてくる。
これは…、なにげにキツいな
昔の話なんかをすると、どんどん当時の事を思い出す。2人分の思い出が、知希の気持ちをあの頃に引き寄せているようで、嬉しそうに俺に話しかけてきて、徐々に距離が近くなる。
今はもう肩が触れそうで、指先に力が入る。
「オレさ、普段家ではゲームは1日2時間までって決まってて。でも桐人とだったらその制限なしで遊んでよかったから超楽しみにしてたんだよねー」
隣に座って、にこにこしながら無邪気に話している知希は、俺が今どんな気持ちでここにいるのかなんて全然分かっていないだろう。
「なに? 俺をダシにしてたって事?」
冗談めかしてそう言いながら、知希の反応を窺った。
「ちっ違うよっ、そーゆー意味じゃなくってさっ」
うわっ!
突然目の前にぐいっと寄ってきた、丸い大きな瞳。
可愛い
可愛くてヤバい
ついでに俺の語彙も相当ヤバい
あー…、もう完敗だ
めちゃめちゃ好きだ
大好きだ
世界中の誰よりも可愛い
思わず笑ってしまった。
「ウソウソ、大丈夫。分かってるから。それに俺も楽しかったし、あの頃」
だから不安そうな顔をしないでくれ。
「ほんと…?」
安堵の表情を浮かべた知希は、少しあどけなく見えた。
俺もう限界だわ。
「あ、そろそろ帰んねーと」
これ以上は俺のココロとカラダが保たない。
「え、もう?」
そんな残念そうな目で見られたら、期待感が込み上げてきてしまう。
可能性は限りなくゼロに等しいというのに。
逆に笑えてくるな。
「帰って晩飯作んねーと。うちも親、再婚してないから」
嘘とまではいかない言い訳をした。父の帰りは遅い。別に手の込んだものを作る訳でもないし、急いで帰る必要なんかない。
戯れに食事に誘ってみた。
知希は嬉しそうに「いいの?」と訊いてきた。
いつでもいいと言いながら、果たして知希が家に来た時に、自分は冷静でいられるのかと不安になった。
まるで修行だな
階段下まで見送りに付いて来そうな知希を、玄関に留まらせて背を向けた。
振り返ろうかと思って、やめた。
どんな顔をすればいいか分からなかった。
夕食を作っている途中にスマホが鳴った。手を拭いて見てみる。
夕方に知希と連絡先を交換したから、少しの期待感があった。
もう少し遅くなっても何もなければ、こちらから送ってみようとも思っていた。
ーーー桐人、いつこっち戻って来てたの?
そういえば、いつ知希に気付いたかは話したけど、戻ってきた時期の話はしてなかったっけ。
ーー2年半くらい前かな。
そう送るとすぐに、
ーーーそっかー、早く知りたかったな。
と返信がきたけれど、それ以上は続かなかった。
他に用があったのか、もう聞きたい事がなくなったのか。
あんまり掘り下げるのはやめよう。「かもしれない」で落ち込むのは時間と気力の無駄遣いだ。
元々、望みなんかほぼ無いのだから。
それでも、手を伸ばしたい。
他人事なら確実に、馬鹿なことはやめておけと言っている。
恋なんてするもんじゃないな
そう思いながら俺は、鳴らないスマホの画面を伏せた。
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