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第9話 狼族の男
遠き遥かなる故郷。
獣らや虫たち、そして果実を成すもの。
吹く風は森によって愛され育まれ、森は川を生み、川は川に棲むものと海をつくり、海は海に棲むものと雨を、森と土へ返す。
自然の恵みの偉大なる恩恵の下、獣らの子供たちは木漏れ日の中、遊びの中で生きる為の術を学んでいく。
それらを全て引き裂く、無常な音。
黒く光るものが、森の中を疾風のように駆け抜ける。
そうして残されたのは、無残な仲間と、子供たちの姿。
自分ももう、助からない。
薄らぐ意識の中、思うのは助けられなかった仲間と子供たちへの後悔と。
憎悪。
ゆっくりと目をひらく。
ひらくことが出来ることに驚きを隠せない。
そうして驚くぐらいに四肢に痛みがない。
(どういうことだ……?)
手を動かしてみる。
何かがおかしい。
感覚が全くもって違うのだ。
その手を今度は自分の顔の前へと持ってくる。
視界に入るその手は。
人間の。
(──何だ、これは……っ!)
驚いて起き上がる。
まだ身体がなじんでいないのか、思うように動いてはくれなかったが、『起き上がろう』という意識は働くようだった。
初めに見たものは足。
人間の二本の足。
次に視界に入ってきたものは、長くて灰銀の色の髪。
手を……人間の手を握ったり、ひらいたりしてみる。
自分の意思によって。
──ヒトの中に自分が存在している……!
そうして自覚をして、初めてその場に自分以外の存在が多数いたことを認識した。
ざわざわと耳障りな喧騒。
よりにもよって。
よりにもよって、人間とは。
(……仲間と子供たちは)
──人間によって殺されたのだ!
***
佐々木優也 の専用の研究所は、自分の持ち場でもある例の天使のいる部屋とはまた別の、網膜識別式のロックを通った場所にある。だが今は天使の部屋以外の全てのロックが開かれていた。
研究所から、何かがぶつかる金属音が響き渡っている。悲鳴を上げながら、頭を庇い逃げる研究員たちと神璃 はぶつかった。部屋から投げ出される椅子や文具で、辺りは見事なまでに散乱している。
そんな中、優也が研究所の中で立ち尽くしている姿が見えた。投げた物が当たったのか、頭から血が流れている。
「優也さん……っ!」
神璃が呼ぶが、優也は気付いていない。
その時だ。
咆哮とも嘆きとも取れる声を聞いたのは。
「何故だ! 何故俺にこんなものを与えた! お前らはどこまで生命を操れば気がすむのだ……!」
元は狼であったものが、そこにいた。
狼は手に椅子を持っていた。
怒りに任せてそれは、神璃に向かって投げられる。
「──っ!」
神璃は咄嗟に両腕で頭を庇うようにして身体を身構える。
だがいつまで経っても衝撃は訪れなかった。
恐る恐る、神璃は狼を見る。
狼は何を思ったのか、振り上げた椅子をゆっくりと下ろしたところだった。
狼は、何かに驚いたように神璃を見ている。その視線は外されることはない。
神璃も何故か視線を外せずにいた。
(え……?)
彼の金の目を見たその瞬間に、心の奥から湧いて出た感情が信じられなかった。当然、彼とは初対面のはずだ。優也が『混沌』から有機物質生命体を造っている話は噂程度で、実物を見たのは今日が初めてだったはずなのに。
何で懐かしいと思うのだろう。
会いたかったって、思うのだろう。
身体が心が、ようやく会えた、会えたと喜んでいる。
(これは──一体、何……?)
「神璃……っ、佐々木教授!」
樹把 が神璃の腕を引っ張る。
我に返った神璃は、樹把とともに優也を力ずくで部屋の外へと出し、ロックをかけた。
優也は駆けつけた後輩に声をかけることもなく、この場を立ち去ったのだ。
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