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第2話

 それに比べ、オメガは発情期にアルファと性交すれば八割以上の確率で妊娠でき、また複数の子を産むこともできる。多胎も多く、さらにアルファとオメガではアルファという種を産み出す確率が格段に高くなるため、繁殖を目的として利用されることもあったほどだ。ただ、月の四分の一程度は発情期で仕事に就くことがままならないため、その美しい容姿を武器に娼館などの性産業に従事する者も少なくなかった。そういったこともあって、オメガは冷遇されていたのである。  ただ、オメガはベータと異なり、アルファと「つがう」ことができる。つがい、というのはアルファとオメガの間にのみ発生する特殊な繋がりで、一種の契約のようなものではあるが、それはなにより強い絆だ。アルファとアルファ、アルファとベータ、またベータとオメガでは婚姻関係を結ぶことはできるが、つがいという強い絆で結ばれることはない。  それだけアルファとオメガの間には人知を超えた不思議な縁があるのだった。  ルディはフラウミュラー家の数代前の血縁にオメガがいたことから、先祖返りでオメガ性が発現していた。  両親はルディがオメガだったことから、後々困らぬようにとルディの後ろ盾になるような伯爵家の三男を婚約者に決め、ルディが結婚した暁には正当に家督を継げるように取り計らってくれていた。またギフトを持っていないことを知られぬよう、ルディを人前には滅多に出さないようにしてくれていた。  父親の死後、懸念していたとおりルディが当主になることに対して、貴族院から物言いがついた。ルディが当時まだ十五歳でもギフトを授かっていなかったことが知られたことと、やはりオメガであるということが、足かせになったのである。  ただ、ルディには婚約者がおり、いずれルディと結婚することでその夫が叙爵できることになっていた。また叔父のグレゴールが結婚するまでのルディの後見人となったことで、フラウミュラーは男爵家を存続することができたのである。  しかし、その代償は大きかった。  グレゴール一家がこの屋敷に移り住むようになると、ルディは迫害されるようになったのである。  グレゴールはルディの後見人という立場を利用し、フラウミュラー家の財産管理の権限をルディから奪った。  さらに「養ってもらえるだけありがたいと思え」と、ルディを使用人と同じ扱いどころか、もしかしたらそれよりも悪いかもしれない――要は、ろくな扱いをされていなかった。言いつけられた仕事がこなせなければ、食事も与えられず、新しい服どころか、持っていた服は取り上げられ、代わりに与えられたのは穴が空いたり破れたりしたような古着ばかりだった。  そのため屋敷の外では、フラウミュラーの当主が亡くなったと同時に、跡継ぎも亡くなったと思われているのである。  マリアが憤っていたのはそういうわけだった。  しかし、婚約者と結婚すれば、ルディはまだこの家にいられる。そうすればこの家を取り戻すことができる、とルディは考えていた。 (父様も母様もくさらずに笑顔でいなさい、っていつも言っていたっけ)  理不尽な扱いは受けているが、ルディ自身、自分に生活力がないのはわかっている。この家を追い出されて路頭に迷うよりはよほどましだ。 「さ、頑張ろうっと。しょげてなんかいられないしね」  自分を奮い立たせるように明るい口調で言いながら、ルディは庭仕事の後片づけをはじめた。  するとほとんど間を置かずにポツポツと雨粒が手の甲に当たりはじめる。 「やっぱり降ってきた。マリアは洗濯物取り込めたかな」  さっきまでさんさんと太陽の光が降り注いでいたのに、空はあっという間に黒雲に覆われ雨粒を地面に落としていた。 「僕もさっさと終わらせないと」  そう独りごちながら、納屋へ道具を片づける。納屋を出て屋敷へ戻ったときには雨脚はすっかり激しくなっていた。 「あ、皿洗いを手伝ってこなくちゃ」  ルディには休む暇はない。いくつもの仕事を言いつけられ、すべてこなさなければ食事にもありつけなくなるのである。とはいえ、その食事も使用人と同じものにするよう言いつけられていた。  厨房へ足早に駆けていくと、メイドの一人がちょうど昼食の皿を洗いはじめているところだった。 「お皿洗い代わるよ。ここは任せて」 「でも……ルディ様に……」  まだ彼女はルディに遠慮があるらしい。マリアもそうだが、この屋敷の使用人はいまだルディを当主と思っている。 「いいんだよ。僕はここに住まわせてもらっている身だからね。秀でたものがない分、みんなよりも一生懸命働かなくちゃ。ただ飯は食べられないでしょ?」 「ルディ様……」 「さ、代わって代わって」  ね、とにっこり笑ってみせると、彼女はしぶしぶ「わかりました」と返事をしてルディと皿洗いを交代した。  メイドから皿洗いを代わったルディは丁寧に食器を洗っていく。  手にしている食器は金や銀で装飾の縁取りがあったり、繊細な絵付けがされている美しいものばかりだ。  特に今手にしている皿は、母親がとても好んでいたもので、よく果物を載せて楽しんでいた。 「今日はなにを召し上がっていたんだろう」  今ではこの食器もなにもかも、叔父家族が好き放題にしている。  だが数年前まではルディもこの食器で食事を楽しんでいた。  両親が揃っていた頃のことを思い出す。あの頃はまさかこんな未来が待っているとは思わなかった。母が亡くなり、そして父までも失い、もう家族で食卓を囲むことはなくなってしまった。  マリアやさっきのメイドに話したこと――ここに置いてもらえるだけでありがたい――はルディの本心だ。それは間違いない。けれど、やはり両親を失ったことは寂しい。無償の愛を注いでくれていた存在を失うというのはなんと辛く寂しいのだろう。 「……弱音を吐いている場合じゃないよね。僕はまだ恵まれているんだから、贅沢なんか言ったら罰が当たる」  小さく首を横に振って、ルディは食器洗いに集中する。  たくさんの思い出が詰まった食器を丁寧に洗っていると、当時のことを思い出すことができて楽しい。 「あ、これは父様のお気に入りだったナイフだ」  柄に獅子が彫られた銀製のナイフは父親の気に入りで、鹿を狩りに行ったときには、コックが料理した鹿をこのナイフで食べていた。  ルディも鹿狩りには何度か同行したが、狩りはあまり得意ではなく、ろくな獲物を狩ることができなかった。それでも父親はそんなルディに呆れることなく、「ルディには別の得意なことがきっと見つかるさ」と大らかな笑顔を見せてくれていた。  思い出に浸っていると、「ルディ!」と自分を呼ぶ声が耳に飛び込んできた。 「ルディ! どこなの! 返事をなさい!」  たとえ幻でも、両親が自分を呼んだなら、うれしかっただろうが、耳に入ってきたのは父でも母でもない、ヒステリックな金切り声だ。こんなふうに自分を呼ぶのは決まっている。  ふう、と溜息をつきながら持っていた食器を洗っている手を止めた。早く返事をしなければ、声の主の機嫌を損ねるだけだ。  濡れた手を布巾で拭きながら、厨房を出る。 「僕はここです。サビーネ、なにか用ですか」  ルディがサビーネと呼んだのは、ルディのいとこにあたる叔父のグレゴールの一人娘である。年はルディより二つ年下とそう離れていないことで、幼い頃はよく一緒に遊んだのだが、今やすっかり彼女はルディを使用人として扱っている。

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