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第4話
「おしゃべりが過ぎました。さ、グレゴール様たちがお帰りになる前に早く召し上がって。お皿と茶器は明日にでも下げに参りますから、そのままで」
では、とマリアはルディの部屋を立ち去った。
心づくしの食事にルディは感激する。ティーポットからカップに茶を注ぐとまだ湯気が出ていて、温かいのだとよくわかる。そっと口をつけて、ひと口飲むとその温かさがみんなの気持ちのように思えてなおのことうれしくなった。
サンドウィッチはルディの好物のコールドチキンが挟んであり、あっという間に食べきってしまった。添えてあるピクルスもきれいに食べてしまい、そこでようやくほっと一息つく。
ここにマリアがいなくてよかった、とルディは苦笑する。
こんなにがっついて食べる姿を見たら、きっと「坊ちゃん、お行儀が悪いですよ!」と小言が飛んできただろう。
それより、とルディは先ほどのマリアの言葉を思い出していた。
叔父たちがやってきてから、放蕩の限りを尽くしているとは思っていたが、マリアたちに気づかれるほどの窮状だとは思ってもみなかった。
そんな状況でも自分がなにもできないことが悔しくてたまらない。
「夜会……か」
おそらく叔父たちがやっきになって夜会に出かけているのには理由がある。
社交界というものは、春から秋にかけてがシーズンで、この時期には毎日のようにそこかしこで夜会が開かれている。
特に今年はサビーネにとって重要な年だ。十六になると、貴族の子どもたちは皆社交界にデビューする。たくさんの夜会に出かけ、顔を広め、人脈を作るのが目的だ。サビーネは今年十六歳で、デビューの年にあたる。グレゴールらが鼻息を荒くして、夜会に出かけているのは少しでもよい条件でサビーネの縁談をまとめるためもあるのだろう。
とはいえ、ルディも来月には十八となる。婚約者であるハルトマン伯爵家の三男であるマルティン・ハルトマンとの結婚はルディが十八の誕生日を迎えた後ということになっているから、それまで待てばグレゴールはルディの後見人を外され、またルディには大きな後ろ盾ができる。
そうすれば、彼らからこの家を取り戻せるのだ。
(それまで待てば……あとひと月……)
ルディは祈るような気持ちで窓からきらめく星空を眺めた。
「ルディ、話がある」
次の日、応接室に来るようにとグレゴール叔父にルディは命じられた。
(話……?)
なんだろう、とルディは首を捻る。
(しかも応接室だなんて……いったいなんの話が……?)
あまりいい予感はしなかったが、言いつけどおりルディは応接室へ向かい、ドアをノックした。
「ルディです。お呼びでしょうか」
中から「入りなさい」という高圧的な声が聞こえ、ルディはドアを開けた。
そして開いてすぐに目にしたものにルディは大きく目を見開いた。
「マルティン……!」
婚約者のマルティンがソファーに腰かけていたのである。
わざわざ彼がここへやってきたということは、いよいよルディとの結婚に向けて話をしにきたのだろうか。だったらうれしい、とルディは希望に胸を膨らませた。
だが、その期待は無残に打ち砕かれることになる。
「ルディ、よく聞きなさい。このたび、マルティンとサビーネとの婚約が整った。挙式はこの秋になる。よって、マルティンとおまえの婚約は破棄されたことになる。よいな」
グレゴールの言葉にルディは一瞬目の前が真っ暗になった。
(え……どういうこと……)
気力を振り絞って、倒れそうになるのをぐっと堪える。そうして真っ先にマルティンの顔へ視線をやると、彼はルディから目を逸らした。その態度にルディはさらにショックを受ける。
(マルティン……)
彼とは幼なじみで、互いに好き合っていると信じていた。マルティンは穏やかな性格で、少し優柔不断なところはあるが公平なものの見方をし、とてもやさしい。
ルディがオメガであり、ギフトを持たないとわかっていても昔と変わらず態度を変えなかった数少ない人間の一人だ。なのに、今はルディの目を見ようともしない。それがたまらなく悲しい。
そして、彼の今の態度がすべてを物語っている、とルディはこれが冗談でもなんでもなく、本当のことなのだと悟った。
「マルティンは私を愛してるって言ってくれたわ」
ふふん、と勝ち誇ったようにサビーネが笑いながら言う。
けれどサビーネのそんな失礼な態度すら頭に入ってこないほど、ルディは婚約を破棄されたことにショックを受けていた。
今の今まで、マルティンと結婚するものだと思っていたのである。しかもこれで自分がこの家にいる理由がなくなってしまった。もうルディに価値などなにもない。
「いやあ、我がフラウミュラーもこれで伯爵家との縁ができた。これでますます安泰だ」
ハハハ、というグレゴールの高笑いを聞きながら、ルディは悔し涙がこぼれそうになるのをぐっと堪える。
「ルディも祝ってくれるだろう?」
グレゴールがとどめとばかりに意地の悪いことをルディに言った。
ルディは悔しくてたまらなかった。しかし、ハルトマン家がマルティンとサビーネとの結婚を決めたというなら、従うしかない。父親が生きていたなら絶対にあり得ないことだっただろうが、もう父親はいないのだ。当主でもなんでもないルディになにも言い返すことはできなかった。
「……お……おめでとうございます。どうぞお幸せに」
上擦った声でそう言って、ルディは踵を返し、応接室を出る。
去り際にマルティンが「ルディ」と声をかけたような気がしたが、立ち止まることはせずにルディは応接室のドアを閉める。
ドアの向こうで楽しげな笑い声が響いているのを聞きながら、ルディは俯きとぼとぼと廊下を力なく歩きはじめた。
「ルディ、待ちなさい」
突然応接室のドアが開き、グレゴールがドアの隙間から顔を出す。
返事をする気力も出なかったが、返事をしなければまた嫌みを言われると考え、振り返ってかろうじて絞り出した声で「はい」と返事をする。
するとグレゴールはルディに近寄りこう言った。
「ひとつ言い忘れていた。フラウミュラーの当主は正式に私が務めることとなった。だからな、おまえは明日の朝までに荷物をまとめて出ていってくれ。いいな」
その言葉はルディを絶望の淵に追いやった。
「え……でも……では、僕はどこに行けば」
困惑しつつもルディはグレゴールに聞く。
この屋敷以外、ルディには行くところなどない。それはグレゴールもわかっているはずである。
ルディの言葉にグレゴールはふん、と鼻を鳴らした。
「どこでも好きなところに行けばいいだろう。本当なら、とっくに出ていってもらうところだったのだからな。今までこの屋敷に置いてやったのをありがたく思ってもらいたいくらいだ。――ああ、おまえの母親の縁の者が隣国にいるはずだろう。そこを頼ればいいのでは? なあ、ルディ」
母親の遠縁が確かにいるにはいるが、これまでまったく交流がなく、それにかなり高齢と聞いた。そのため果たして存命なのかどうかすらわからない。そんな遠戚を頼るというのは現実味に乏しい。
「まあ、おまえは明日から自由ということだ。いいな」
このグレゴールの言葉によって、すべてをルディは奪われたのである。
自由、などと聞こえがいい言葉を口にしているが、その裏にあるのは、ルディは自分たちとは関係ないと言い切っているも同然なのである。
もしかしたら、とこの可能性については、ルディも想像していた。しかしまさか、という気持ちもあったのだ。仮にも自分の兄の子を放り出すような真似はしないだろうと心のどこかで高をくくっていたのかもしれない。強欲なグレゴールがいつまでもルディを置いておくはずはなかったのに。
グレゴールはそれだけを言って再び応接室のドアの向こうへ消えたが、ルディはなにも考えられずにただその場に立ち尽くすことしかできなかった。
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