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8月1日/無職/守屋耕作の証言
むさ苦しい場所ですまんね、適当に座んな。今お茶を……お構いなく?子供が遠慮しなさんな、俺がもてなしたいんだよ。手がぷるぷるしてる?代わりにやってくれるのかい、優しいねえ。名前は?リーチ?なるほどね、道理を一番に重んじると書くのか。いい名だ。そっちの賢そうな子は……板尾くんかい、覚えたよ。
おっとそうだ、戸棚にかりんとうが入ってた。賞味期限は切れてねえはずだから食いな食いな、育ち盛りだろい。
しかしまあ、備忘録代わりのブログを見れくれる子がいたとはなあ。老いぼれの手習いにしちゃよく書けてんだろ?指先動かすなあボケ防止に効くって、娘に勧められたのが始めたきっかけ。
連絡もらっておったまげたよ、班の課題で例のトンネルのこと調べてんだって?
幸いオツムはハッキリしてる。今日の晩飯を食べたかどうかは怪しくても、昔の事ならよく思い出せる。
あのトンネル……正式名称は|冥賀《みょうが》トンネルっていうんだ。
甘酢漬けにするとうめえって、そっちのみょうがじゃねえよ。今昔物語にもでてくる古い言葉で、めいめいのうちに受ける仏の加護や知らないうちに受ける神の恵みをさし、偶然の幸いや利益を神仏の賜うものとして感謝する言葉らしい。
トンネルができる前は何もねえ、殺風景な雑木林だったって聞いた。忌み地?さあて、墓地だの処刑場だのじゃなさそうだが。あえて近えの挙げんなら八幡の藪知らずかね、千葉の市川にある禁足地の通称だよ、首塚で有名な平将門とも縁が深いって話だが。神隠し……たしかそんなようなことあったって、親父に聞いたっけ。
お前さんたちは教科書でしか知らねえか。
当時は戦争真っ只中、産めよ増やせよの時代。俺は八人兄弟の下から二番目で、二歳離れた妹がいた。
親父や上の兄貴は兵隊にとられちまって、お袋や姉ちゃんたちは婦人会の活動や工場労働で忙しかったから、アイツの子守りは俺の仕事だったのさ。
妹はふみっていった。おかっぱ頭にどんぐりまなこ、モンペを穿いたちびすけ。
姉ちゃんのお下がりの文化人形をどこ行くにも持って歩いた、どうしようもねえ甘えん坊。
口達者なマセガキでねえ、よく喧嘩したよ。怒られんのは決まって俺。お兄ちゃんなんだから我慢しなさいってのが親の決まり文句。そのくせ大の怖がりで、夜に小便したくなりゃ、隣に寝てる俺を揺り起こす。苦手なもんは暗闇と空襲警報。けたたましいサイレンが鳴るたび、赤い防災頭巾をかぶって防空壕に転がり込んだ。
文化人形ってのはむかし流行った、目がぱっちりした女の子の人形さ。うちは典型的な貧乏人の子沢山で、おもちゃなんてめったに買ってもらえなかったから、兄貴や姉ちゃんのお下がりで我慢したんだ。
思い出すなあ、近所の空き地にふみを連れ出して竹とんぼで遊んだ日。ふみと仲良しの子もいたっけ。
こうやって飛ばすんだよ、って両てのひらを擦り付けるように回したら、空の彼方にバーッて上がって。二人ともぽかんと口開けて見てたっけ。
ふみの人形は二番目の姉ちゃんにもらったもんで、我が子みてえに抱っこしておんぶして、肌身離さずお世話してたよ。
ちょっかいかけると火が付いたみてえに怒って、「さわっちゃだめ!」って怒鳴る。
昭和二十年初夏、戦争が終わりに近付いた頃。俺とふみは田舎に疎開が決まった。
お袋の故郷にあたる長野の伯父夫婦が、うちに来いって誘ってくれたんだ。
伯父さんちは農家で食い物がある。スイカも育ててるっていうんで、俺とふみは舞い上がった。
ところがな、前日に腹を壊して、俺だけ別の列車に乗ることになった。
お袋は末っ子だけ行かせるのを渋ったが、ふみがだいじょうぶって言い張るもんで、しぶしぶ許しちまった。死ぬまで後悔する羽目になるたあ露知らず。
当日。俺は布団の中で寝込んでて、見送りにいけなかった。向こうの駅にゃ伯父夫婦が迎えにくる段取りだった。
ふみはお気に入りの人形を抱っこして列車に飛び乗り……二度と帰っちゃこなかった。疎開児童を乗せた満員列車を、米軍の戦闘機が襲ったのさ。
トンネルに入るや挟み撃ちにされたのが運の尽き。前と後ろ、両方から機銃掃射をくらっちゃたまんねえ。
真っ先に操縦手がやられたのか、出るなり列車は横転し、追い討ちの散弾が蒔かれた。
犠牲者は五十人以上。百人以上が死傷した大惨事。
狙われた理由?富士演習場に行く兵隊さんが二等車および貨物車に乗ってたから、ってのが有力な説だな。けどよ、全体から見りゃほんの一割だ。他は無関係の一般人、とんだとばっちりさ。
ふみの最期はよく知らねえ。犠牲者の遺体は近くの寺で荼毘に付されて、戻ってきたときゃ骨だけになってた。お袋や姉ちゃんは泣き通し。
戦争が終わってからトンネルを見に行った。壁には蜂の巣みてえに弾痕が散らばってた。地面にめりこんでるのもあった。
トンネルん中は真っ暗で音が響く。戦闘機の爆音とうるさい銃声、乗客の悲鳴が膨らむ。
どんだけ怖かったか。
どんだけ痛かったか。
あの甘えたなふみが体中穴だらけになって、ひとりぼっちで死んじまったのがやるせなくて、しばらく泣いた。
一緒に付いてってやりゃよかった。
俺が隣の席に座ってたら、上におっかぶさりゃアイツだけでも助かったんじゃねえかって、考えるのをやめらんなかった。
せめて即死なら……苦しまず逝けたんなら、それが救いか。
戦争が終わった時にゃ八人が三人に減っちまった。生き残った姉ちゃんたちも年の順に逝って、ぴんぴんしてんのは俺だけ。あの日腹を下したおかげで一番長生きしちまったよ、憎まれっ子世に憚るってなあ本当だな、ははは。
……あれから……お袋の目がな、言ってるんだよ。なんでふみが。お前が死ねばよかったのにって。
考えすぎ?そうだな、単なる被害妄想かもな。
ふみは遅くにできた娘で、生意気な倅と違って、誰からも可愛がられてた。
勘違いすんな、家族は一言も責めなかった。だから……恨んでるかなんて、死ぬまで聞けずじまいだったよ。
すまねえ、しんきくせえ話になっちまった。
……俺はなあ、「気を付けてな」ってふみに言えなかった。どうせ長野で落ち合うんだって高括って。
そもそも腹を壊した理由ってのが笑止千万で、お地蔵さんの供えもんのまんじゅうを盗み食いしたんだ。それに当たった。
食糧難で配給頼りの時代、甘えもんなんて贅沢品よ。罰当たりな振る舞いだってわかっちゃいたが、空腹にゃ勝てなかった。
あとでこっそりふみに話したら、「ばっかだあ」って笑い転げやがって。こっちもカチンときて、「お袋に告げ口したら承知しねえぞ」って、拳固を振り上げ脅し付けた。
アレが最後の別れ。
ふみは俺に会わず、お袋と手え繋いで駅まで送られてった。
なんだってツマんねえ意地張っちまったんだかなあ。たった一人の妹が疎開に行く朝に、頭っから布団をかぶって、狸寝入りを決め込んで。
白状するとな、後ろめたくて気まずかった。盗み食いで腹下した上妹に笑われるなんざ、兄貴の面目丸潰れだ。
今でも考える。
悔やんでる。
俺一人が欲張らず、ふみの分も持って帰ってやってたら、二人仲良く腹あ壊して、列車に乗らずすんだんじゃねえかって。
……以上が冥賀トンネル列車襲撃事件の遺族が語る全容だ。ご満足いただけたかい?
お前さんたち、あのトンネルに行くのかい?そうか……勝手な頼みだが、俺のぶんまでよく拝んできてくんな。車椅子じゃ遠出もできねえ。
ふみはな、文化人形を赤ん坊に見立てて、ままごとすんのが好きだったんだ。名前も付けてたんだぜ。
もし生きてたら……どんな大人になってたろうな。
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