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8月5日/夜/冥賀トンネル前②
このあたりには戦後に植林された杉林が広がり、トンネルの裏は山に面していた。俺の家からは自転車飛ばして四十分、まあまあな距離。
夏草が茂る地面にはへこんだゴムボールや空き缶、菓子の袋や片っぽだけの長靴が転がってる。
ちょっと離れた所には運転席のドアが外れた軽トラが打ち捨てられていた。
お袋曰く、普段はホームレスさえ近付かない寂しい場所らしい。もっと上の世代は神隠しの迷信にびびっていた。
草っぱらに倒れた黄桃の空き缶を起こし、それをバケツ代わりにする。水は行きがけに公園に立ち寄り、ペットボトルに汲んできた。
「者ども刮目せよ、我こそ伝説の二刀流じゃっ!」
お調子者の板尾が両手に構えた花火を振り回す。テレビ番組なら「危険ですので絶対に真似してください」のテロップが流れる蛮行。
「必・殺、千手観音!」
俺たちにとって幸いだったのは、ここに口うるせえ大人がいないこと。万が一にも燃え移らねえように草が生えてねえ場所でやったし、風向きにも気を付けた。
「残像だっ!」
「風になれっ!」
両手の花火をぐるぐる回しながら板尾と追いかけっこ。白やオレンジの閃光が爆ぜ、火花散る弧を描く。ここがビーチで俺たちがイケメンとギャルだったらもっと絵になったかもしんねえ。
「茶倉もやれ、楽しいぞ!」
「後方傍観者ヅラすんなー」
キャッキャッウフフじゃれあって青春を満喫する俺たちをよそに、茶倉は居心地悪げに腕を組んでいた。
「花火やったことねえの?」
「ある。昔」
大阪にいた頃だろうな、とぴんときた。一緒に花火するようなダチがコイツにいるとは思えねえ。
「おどれら高二やろ、マッハで童心返りすぎや」
「花火にスリルとロマン感じねー大人になりたくねーの!」
「若さ故の反抗だ。てか烏丸~やってもやっても減らねえぞ」
「フンパツしてファミリーセット買っちまった」
「浮かれすぎ」
頭上には大小無数の星が瞬いてる。このへんは常夜灯も疎らで自然光を遮る建造物がない。念の為懐中電灯とランプを持ってきてよかった、さすが俺。
「持ち帰んのめんど。始末手伝え」
「しゃあないな」
花火を持ってない方の手でいそいそ招きゃ、茶倉が億劫そうに歩いてくる。
その手にでっかい線香みてえなスパーク花火を渡し、ライターで炙る。
すると先端から勢いよく光が噴き出し、名前どおり星屑がスパークした。
中心は眩い白、枝葉末節は金を鋳溶かしたような橙のグラデーションを描く火花が四方八方爆ぜ散る光景は、新たな銀河の誕生に立ち会ったみてえな気分の高揚をもたらす。
「熱っ!」
「よそ見しとると火傷すんで」
「先に言え」
俺と板尾はパーッと派手なのを好み、ススキ花火やスパーク花火でアクロバティックに遊ぶ。
四変色、二十変色の簾がパチパチ弾け、ナイアガラの滝さながらオーロラの瀑布を広げる。
火花に照り輝く顔は陰翳が際立ち、腐れ縁のダチが妙によそよそしく見え、ともすりゃ他人のような錯覚を引き起こすのが不思議だった。きっと夏宵の魔法。
花火をやってる最中も警戒は怠らねえ。幽霊列車が現れたらすぐ動けるように目を配り、異質な存在感を湛えたトンネルをチラ見する。
「列車事故が起きた現場で罰当たりかな」
「後の祭り。祟りが怖いなら持ってくんな」
「パーッと景気付けに……」
「家が恋しい?」
「びびり扱いすな」
煤け燻るスパーク花火を無造作に突っ込む。缶の水がジュッと蒸発。
「このへん全然灯ねえし、火種は余分に持ってた方が心強えじゃん」
「一応考えとるんやね」
「まあな」
花火を持参した目的は遊びのみならず、いざって時の武器にする為。悪霊はもちろん怖えが、山から下りてきたクマや変質者とばったり遭遇、なんて事も絶対ないとは言いきれねえ。
「野犬は火と煙が苦手。よーく燻しときゃテントまわりに寄ってこねえ、序でに虫も追っ払える」
「誰に吹き込まれたん」
「じいちゃん」
「重症やな」
ススキ花火をサイリウムに見立て、オタ芸パフォーマンスで笑いをとる板尾。対抗心を刺激され、地面に投げ付けた爆竹を踏まねえように、でたらめなタップダンスを踊る。茶倉は空き缶の前にしゃがみ、長細い棒を灰に変えていく。
新たな一本を持って隣へ行き、囁く。
「八神のばあちゃん、まだ生きてんのかな」
それが最大の懸念。
「連れて帰るって約束しちまったけど、あの世行きの列車に乗ってるってことは」
「あの世行きとは決まっとらん」
「だって冥界トンネルなんだろ」
「噂には尾ひれが付くもん」
不安材料は他にもある。茶倉の隣に蹲り、先端から爆ぜ散る火花を見下ろす。
「葉月さんは?」
「ここで消えた確証ない。野崎が邪推しとるだけ」
一年前に更新停止した葉月さんのSNSは、「死にたい」「しんどい」「消えたい」の鬱ツイートで埋め尽くされていた。
「精神科通いしとったって話やし、現実嫌んなって失踪したんちゃうのん」
「じゃあさ、最新の投稿『さよならしなきゃ』はどー説明すんの」
「家族、友達、恋人。当ては腐るほど」
「主語を省いた理由は?この世と縁を切るって解釈した方が自然じゃね?」
「構ってちゃんで死にたがりのメンヘラ女が、自分で列車に乗りこんだって言いたいんか」
「悪霊に魅入られた、とか」
俺の推理。葉月さんはサークル仲間と肝試しに訪れた際悪霊に憑かれ、トンネルに誘き出された。そこに列車が現れ、彼女をさらっていく。
「幽霊って霊感強いヤツに寄ってくんだろ、俺しかり」
大昔から相次ぐ神隠し。戦時中の列車襲撃事件。守屋のじいちゃんの妹を含む民間人の大量死と葉月さんの蒸発。
「繋がってんのかな。幽霊列車の正体は事故った列車の霊?」
「列車の霊て何やそれ」
「わかんねー。付喪神の一種?」
「アホくさ」
「ゲゲゲの鬼太郎にもあったじゃん、幽霊電車の回。知らね?」
「どんな話や」
「ネタバレしていいの?傑作の呼び声高えしまだ見てねーなら」
「やっぱええ」
「ユーチューブに落ちてた」
「無断転載やん」
「見んの?見ねえの?」
「見る」
好奇心に負けたらしい茶倉の前で液晶タップ、動画を再生しながら注釈を挟む。
「元ネタは鉄道が生まれた頃から語り継がれる怪談。これに乗っかると本来の行先とは別の場所に運ばれる、時刻表に載っていない電車。終電から始発まで、深夜帯を走行する回送電車をこうよぶことがあるらしい。大阪大空襲ん時にも目撃されたって、お前の地元じゃん」
「大阪いうても広いで」
茶倉にマウントとれる機会そうそうないんで、得意満面に付け足す。
「昭和二十年の大空襲ん時、難波や心斎橋周辺は火の海と化し、大勢の人たちが逃げ遅れた。そこで乗務員が機転を利かせ、地下鉄の入口を封鎖する鉄扉を開け、時間外に電車を出した」
「地下鉄で避難したんか」
「ファインプレーの勝利。幻扱いされちまったのは肝心の運転手が名乗りでねえせい。結局ヒーローは正体不明なまんま、生存者の投書でそういうことがあったってわかったんだ。よく似た都市伝説に幽霊バスってのもある」
「けったいな話やな、戦後すぐならいざ知らず定年後は内務規定違反に当たらんのに」
「面白えのは生存者の証言がまちまちな点。地下鉄の入口は閉まってた、いや開いてた、ホームは人でごった返してた、がら空きだった……みーんな食い違ってんの。事実と言えんのはその電車が心斎橋から梅田まで走ったことだけ、当直の乗務員は一切の関与を否定してる」
「なるほど、幽霊が操縦したから幽霊電車」
「鬼太郎の話は現代風にアレンジされてる。車両は鬼太郎が生み出した幻、乗客は幽霊や妖怪。駅の名前は臨終駅、火葬場駅、骨壺駅……異界駅の派生みてーだな」
「態度のデカい酔っ払いが仕置きされるんか。皮肉利いとる」
どうやらお気に召したようだ。ちょっとした疑問を覚え、質問を重ねる。
「トンネルが心霊スポット化しやすい理由って」
「色々」
「たとえば」
「劣悪な労働環境や落盤事故による犠牲、瘴気が溜まりやすい半密閉構造、産道に似た形状が見せる胎内回帰の幻覚、岩盤の圧電効果が与える脳への影響」
「暗くて寒くてじめじめしてっからか」
「馬鹿でもわかるようにまとめてくれはるあたり地頭ええね」
そっけなくスマホを突っ返し、トンネル開口部に凝視を注ぐ。
「鉄道に纏わる怪談は明治の頃からあった。田舎の百姓は蒸気機関車を狸が化けた怪物て思い込んだ」
「しっぽ生えてんの?やだ可愛い」
「死者を乗せて走る列車の話も怪談としちゃメジャーさかいに」
「入口見張っときゃわかるよな?」
「八神はトンネル内で追い付かれた、入ってくとこは見てへん」
「ってことは」
「『中』に直接降って沸いたんかも」
あんぐり口を開け、閉ざす。
「―テント、移動する?」
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