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幽霊列車①

賢者タイムは気まずい。ズボンを引き上げる茶倉に背中を向け、首をすっぽ抜いたシャツの皺をそそくさ伸ばす。 「夢見た?」 「見た」 「どんな」 「札束風呂でアンジェリーナ・ジョリーに金箔たこ焼きあーんされる夢。お前が夜這いせんかったら続き見れたのに」 「諭吉が焚き付けにされてたこ焼き詰まらす前に起こしてやったんだ」 「ジョリーは?」 「くいだおれ太郎にすり替わった」 「バブル弾けたな。風呂だけに」 「だれうま」 「お後がよろしいようで」 「事後だけに、ってうるせえよ」 「いうてへんがな」 ランプがかちかち音たて翳るのに釣られて上向けば、毛深い胴体に茶色く地味な翅を備えた蛾が飛んでいた。 「げっ」 「苦手なん?」 「目ん玉みてえな翅の模様がおっかねえ。カマキリバッタは手掴みできんだけどなー、ガキん頃よくとってポッケ詰めてたし」 「蝉は?」 「楽勝」 「うへえ」 「引くなよ、自分で聞いたくせに。あっ、蝉ファイナルは時限爆弾みてえでそば通る時早足になっちまうな」 「他に嫌いな虫は」 「ミミズ。うじゃじゃけて気持ち悪ィ」 何故か黙り込む。変な奴。 互い違いに指を組んだ手を裏返し、伸びをして仕切り直す。 「ばあちゃん、明日帰ってくるんだっけ。お前んち厳しいし無断外泊バレたら面倒じゃね」 「かまへん。上手くごまかす」 「拝み屋も売れっ子となると大変だよな。交通費はむこうもち?」 「知らん」 茶倉のばあちゃんは凄腕の拝み屋。心霊絡みの相談事を請け負い全国飛び回る忙しい身の上ときて、夏休みに入った孫がお供する頻度が増えた。助手として恃むのはもちろん後継者に見学させる意図もあんのか。 「四国の蛇口ひねるとうどん出汁やみかんジュース出るって聞いたぜ、産地直送汲んできてほしかったなー。なんで留守番?」 「聞かれたない話あんねん」 「大人の事情か」 「呪殺の現場に未成年おると万一の時不都合さかいに」 聞き間違いかと思い、半笑いで向き直る。茶倉はシャツの襟刳りに指をひっかけ、服の内側を扇いでいた。 「ジュサツってどー書くの」 「呪い殺す」 「まんまか」 待て待てそこじゃない、他に突っ込みどころあるだろ?絶句する俺をよそに、茶倉がいけしゃあしゃあ嘯く。 「ウチのババア殺し屋やねん」 「またまたあ」 「嫁や旦那の不倫相手、邪魔くさい商売敵、たんまり票田持った対抗馬。誰でも死んでほしい奴や殺してほしい奴の一人二人おるやん、そーゆー恨みを買うてもた奴ぎょうさん金積まれて消して回っとんねん、現行法じゃ裁けんさかいに」 「冗談だよな」 否定を願い、引き攣る口角を上げ念を押す。されど茶倉は真顔で返す。 「ちょい前に庁舎で首吊った代議士おったろ」 「汚職疑惑の……」 「ババアが噛んだ」 そのニュースは覚えてる、渦中の人物が自殺したとマスコミが騒いでた。いかにもな悪人顔の男の写真を思い出し、全身を悪寒が貫く。 「なん、で」 「先代秘書の遺族に頼まれた。常習犯やであのおっさん、賄賂もろた罪着せて何人も追い込んどる。旦那の保険金復讐のお代に当てるあたり余っ程腹に据えかねとったんやろ」 「待てよ」 「自殺で保険金下りたんが不思議か。免責期間過ぎとったのが幸いして」 「じゃなくて!」 「引いた?」 「なんでそんな落ち着いてんだ、マジで人殺してんなら止めなきゃ」 「無駄やて」 「警察は?」 「追い返されるんがオチ」 「け、けどほっとけねえだろ!」 誘蛾灯と化したランプがかちかち鳴り、茶倉が肩を竦める。 「身内さかい庇っとるわけちゃうで。ババアはその筋のプロ、証拠なんて残さへんよ」 「平気なの?」 「どないせえっちゅうねん」 「手伝わされてんの?」 吹き出す。 「人殺しの身内とは付き合いとうない?」 怒りにわななく拳を握りこみ、語気を荒げて詰め寄る。 「心霊トラブルよろず請け負いで稼いでんのは早く家出てえから?」 「大学進学費用。残りは一人暮らしの足しに」 俺は大馬鹿野郎だ。今の今までコイツを取り巻く環境の歪みに気付けず、危険な副業に励む、本当の目的を見抜けなかった。 「わかった。うちこい」 「は?」 「部屋は一緒でいい?」 「展開急すぎ」 「居候しろ」 「本気で言うとるんか」 「親父とお袋はいい人だし話しゃきっとわかってくれる。姉貴はイケメン歓迎」 「なんでお前んち住まなあかんねん、お断りや」 「幼稚園の頃からコツコツためたお年玉が結構な額貯まってんだ、足りねーぶんは親に土下座で、それが駄目なら京都のじいちゃんに直談判すっからとっととアパート借りて家出ろ」 「借金はせん主義」 「やる」 「施しは受けん」 「先行投資。会社興したら雇え」 「十年後も一緒におるかわからん」 堪忍袋の緒が切れる。 ―「お前だってやだろ、たった一人の家族が他人を食いもんにしてるなんて!」― ダチに道を踏み外してほしくねえ一心で、元凶のばあちゃんから引き離してえ一心で、振り絞るように叫ぶ。ランプに体当たりした蛾がガラスに弾かれ、明かりが不規則に点滅。 「せやな。あんなんかてこの世に一人きりの身内や」 「!ッ、」 失言を悔やむも遅い。 気忙しげに揺れるランプが帳に投じた影が伸び縮みし、不均衡な沈黙が張り詰める。闇に沈む顔には諦念の表情。 「人殺しやねん俺。絶交するか」 試すように聞かれ、きっぱり啖呵を切る。 「信じねー」 手の甲で帳を押し上げ蛾を逃がす。外に誰もいねえ。変だ。 「どないした」 「板尾が見当たんねえ」 「トンネルのそばちゃうか」 「あそこに椅子が」 トンネル手前の草むらに倒れた、折り畳み式のアウトドアチェアを指す。 「デバガメの心配無用やったな」 「一体どこに」 「用足し行ったんちゃうか」 「遠くまで?」 「大かも」 濃密な闇に目を凝らし、連れの姿をさがす。茶倉が俺の足元に這い寄り、帳の下方からちょこんと顔を出す。 「おった」 「どこ?」 「入口」 トンネル前に立ち尽くす板尾を見付ける。安堵したのも束の間、不可解な挙動に疑念が膨らむ。 「立ちションにしちゃ長え」 不穏な胸騒ぎに駆られ、帳を払って外に出る。板尾は動かない。トンネルに向かって立ったまま、ブツブツ独り言を呟いている。 「ちんこ蚊に刺された?キンカンぬる?」 「拷問やん」 「しまってよそでやれ、真ん前はさすがにけしからん」 茶倉のツッコミを流し、背後で立ち止まり肩を掴む。まだ振り向かない。腑抜けた横顔を覗いて息を飲む。 「……忘れるわけねえ。約束……覚えてるよちゃんと。海に行くって……」 コイツ、ずっとここに立ってたのか? 「目ェ真っ赤じゃん。瞬きしねえの」 焦点の合わない瞳。忘我の表情。 思いきり肩を揺さぶるも正面に顔を固定したまま、真っ暗闇を湛えたトンネルの奥に虚ろな凝視を注ぐ。 さっきの蛾がやってきて顔にとまり、右目を覆っても無反応。 ぞっとした。 「シカトすな。返事しろ」 力ずくで振りほどかれ、尻餅付く俺の横をふらふら通り抜ける。おもむろに飛び立った蛾が翅を畳んで開き、緩やかに蛇行しながら低空を揺蕩い、隧道の奥へ導く。 「行かせんな!」 「命令すな!」 茶倉と板尾が取っ組み合いをおっぱじめる。 「だまされとるて気付け!」 「いるだろそこに」 羽交い絞めで押さえ込まれ、なお狂おしくトンネルを仰ぐ。手招く影が滑るように後退、急速に薄らいで闇に溶け込んでいく。 「行くなリカ!」 「ちゃうていうとるやろ!」 身を捩って茶倉を振り切り、光源も持たず走り出す。 「戻ってこい、あぶねー!」 朽ちた枕木を踏んで追いかける途中、甲高い警笛が耳を劈く。振り向きざま目撃したのは、異次元からワープしてきたかの如く入口付近に出現し、錆びたレール上を疾駆する半透明の列車。 「轢かれんぞ!」 間一髪板尾の後ろ襟を引っ掴み、線路脇にとびのく。壁にへばり付いた俺の目と鼻の先を、桁外れの突風と轟音を巻き上げ、ずんぐりした矩形の車両が連結したシルエットが通過する。 髪をめちゃくちゃに蹂躙する暴風を前屈みに踏ん張って耐え凌ぎ、おそるおそる目を開く。 「な」 車両のギロチン窓が開け放たれ、だらしなくシャツが捲れた上半身がずるずる枠を乗り越えていく。まるで|顎《あぎと》を開けた怪物。 「やめろ―――!!」 尻が浮く。足が落ちる。片方脱げた靴が額に跳ね、長大な弧を描いて吹っ飛ぶ。 ダチが列車に食われた。次は俺の番。壁に背中を張り付け、窓から押し寄せる手を死に物狂いに蹴飛ばす。 「痴漢反対!」 列車の側面に夥しい手が生えた。 「いっ!?」 亡者の腕が突き通ったのか擬態に失敗したのか、どっちにしろ視覚的に気持ち悪ィ。 「あのさあもうさあ、そんなんするなら触手専用車両とかイソギンチャクモドキ列車に改名しろよ!?」 獰猛に風が吠え猛り、巨大な車輪がレールと擦れて火花を散らす。ばらばらに蠢く無数の手が体をなでさすり、力の抜けた拍子に左腕に巻き付く。 「はなせくそっ」 「理一!」 顔を上げる。 「茶倉!」 追っかけてきたのか。 もがく指先が触れ合い、離れ、また近付き、磁石の同極の反発じみてあっけなく遠のく。 「車輪に巻き込まれちまうぞ!」 「ええから手ェ貸せ!」 「やってるよ!」 「気張れや!」 レールも焼き切れんばかりに軋む車輪と響く振動、苛烈に飛び散る火花と汗、幾何学的に組み合わさった弁と弁の連動。 スニーカーのゴム底すり減る勢いで警笛曳く列車を追い上げ、しんどそうに息を切らした茶倉を急かす。 「とべ!」 跳躍のタイミングを見切り、黒い数珠が弾む手を白い数珠の光る手で掴み、引っ張り上げた反動で窓を越す。 「ぐっ」 茶倉を庇い、もんどり打って転がる。抱き締めた腕の中、密着した胸の鼓動が跳ね回る。 「し、死ぬかと思った。駆け込み乗車は寿命縮む」 「椅子が喋っとる」 「どけ」 俺を尻に敷く茶倉をどやす。お互い怪我がねえのは奇跡。背中が軽くなるのを待ち、空っぽの車両を見回す。 「列車ん中、だよな。触手専用車両じゃねえのか」 「エロ漫画の読みすぎ」 「読んでねえし。てか顔色ひでー、体力なさすぎじゃね?」 「脳筋と一緒にすんな」 疲労困憊の茶倉が顔に流れる汗を拭って呼吸を整え、油断ならざる眼光を飛ばす。 「誰もおらん」 中央の通路を挟み、二人掛けの対面席が左右二列に並んだ車両は静まり返り、人っ子一人見当たんねえ。 「板尾はどこだ?」

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