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幽霊列車⑦
常春の車両に踏み込んだ板尾が呆れる。
「どこでもドアかよ」
「列車の呪いっぽい。さっきは戦闘機が化けて出た、木刀でぶった斬ったけど」
「正気かよ」
「正気も正気」
相次ぐ異常事態にいい加減慣れてきた。問答無用の水責めに比べたら子供返りの方がまだマシ。
「ずっしり来る」
木刀を素振りして水を切り、改めて辺りを見回す。
やっぱり野原だ。
周囲には甘い匂いが漂い、麗らかな陽射しを浴びた花が、まどろむように咲き乱れる。座席の肘掛けや足元には草が萌え、蝶々が飛んでいた。
「なんだっけこの花」
「貧乏草」
「もっとちゃんとした名前なかった?」
「ググれ」
「そうだスマホ」
辛うじて電源は入ったもののネット接続は切れていた。板尾が舌打ちする。
「体はガキに戻っちまうし周りは花畑だし何だよここは、イッツアスモールワールド?」
ズボンの中を覗いて仰天。
「お子様サイズになってら」
「ポークビッツに降格?」
「フランクフルト所有格で語ったことは忘れてくれ」
「覚えていたくねえよ……」
しょっぺえ。念のため中身を確認すりゃ俺のも縮んでて落胆……外見相応だし悲観にゃ及ばねえか?
「こうなりゃ茶倉を巻き込んでポークビッツトリオ結成するっきゃ」
「ボクたちどこの子?ひょっとして迷子?」
穏やかな声に顔を上げ、第三者の接近に勘付く。口調に関西訛りがあった。
「ウチの練と同じ位か。子供だけで探検ごっこは危ないで、おじさんが送ってったる」
見た目は三十代前半、黒縁眼鏡を掛けた優しげな男性。清潔感ある開襟シャツにスラックスを身に付け、にこにこ笑ってる。首に通したストラップには一眼レフカメラが吊られていた。
「ウチの練っておじさん、アイツを知ってんの?」
「なんや練の友達かい、はよ言うてや。あっちで遊んどる」
眼鏡の男の視線を追い、今度こそ言葉を失った。
子供返りした茶倉が花を摘んでる。その後ろには綺麗な女の人が横座りし、花冠を編んでいた。
「茶倉のお袋さん?」
一目でわかった、顔がよく似てる。白いワンピースの上に薄手のカーディガンを羽織り、花摘む息子を見守る姿には、庇護欲そそる儚げな風情が漂っていた。国語辞典で見た蒲柳の質って言葉がぴったり。
「おいで」
緩やかな手招きに従い、白い花束を握り締めた茶倉が駆け戻る。女の人が微笑み、息子に花冠を贈る。
「よく似合ってる」
「おおきに」
揃えた膝の上に子茶倉を抱っこし、調子っ外れな声で呼ぶ。
「お父さ~ん、お弁当にしましょ~」
「今行くー」
茶倉は大人しく母の膝に抱かれていた。俺達の方はまるで見もせず、無関心な態度を貫く。
「なんで茶倉の親父さんお袋さんが……車の事故で亡くなったはずじゃ」
「君たちも一緒に食べる?」
男の人に誘われ注意深く寄ってく。女の人がにこやかに挨拶する。
「こんにちは」
「ちわっす」
「練のお友達?」
「知らん。こないバカっぽい友達おらへん」
「こら、失礼でしょ」
叱責は意に介さずラップを剥く。男の人が俺たちにおにぎりを配る。
「その木刀は?」
「俺のっす」
「子供には大きすぎるんちゃうか」
「さっきまではちょうどよかったんすけど」
「パクったんじゃねえの?」
「しーっ」
まぜっ返す板尾の口を塞ぐ。眼鏡の男がさらに質問。
「ズボンに挟んだお人形さんは」
「あっちの車両で友達になった女の子にもらいました」
「練と同じ学校?」
「同じクラスっす。板尾は違ェけど」
「この子ってば全然学校の話してくれないの、みんなと仲良くやってる?」
「ぼちぼち。ツンケンしてっからパッと見取っ付きにくいけど、実は面倒見いいし女子にモテます」
「聞いたか母さん、練が女の子に人気て!お赤飯炊いてお祝いせななあ」
「やめてや恥ずかしい」
父親がズレた喜び方をして息子の不興を買い、母親が口に手を添え笑いだす。
「いいお友達がいて安心した」
「へへ」
美人すぎる母親に緊張、正座で頭をかく。和やかで微笑ましい雰囲気。子供の頃の茶倉は頬っぺが柔っこくて可愛い。今ほど目付きはキツくなく、こまっしゃくれた言動に憎みきれねえあどけなさが漂っていた。
家族団欒にお邪魔した俺たちを迷惑顔で見比べ、おにぎりのラップを剥き終えた茶倉が注意をとばす。
「おかんは耳聞こえんねん。ゆっくり喋ってんか」
「大丈夫よ、唇の動き読むから」
「ほなええけど」
母親に宥められ、おにぎりを口に持っていく。ヨモツヘグイ。
「っ!」
その手からおにぎりをはたき落とす。お弁当を食べ損ねた茶倉が眉を吊り上げる。
「何すんねんおかんがせっかく」
「逃げんぞ!」
「嫌や」
「言うこと聞け!板尾も食うんじゃねえぞ、捨てろ!」
「でももったいねえ」
「体ん中から腐り落ちてもいいのかよ!?」
ラップが巻かれたおにぎりを草むらに放り投げ、抗議を申し立てる茶倉の腕を掴む。板尾も駆け付け一緒に引っ張る。
「どうしたの。早く食べましょ」
「お腹すいたろ」
「練の好物のおかかおにぎり、いっぱい作ったのよ」
「はなしてんか。戻らな」
俺の手を振りほどいて両親のもとへ向かうその足に、血相変えた板尾が組み付く。
「化けの皮剥がれたぞ!」
必死の叫びに打たれ、地面に落ちたおにぎりを見直す。みるみる表面が変色し、拳大の石ころに成り果てる。
アレを噛んでたら……歯が折れる位ですめばまだいいい、最悪喉に詰めて死んでいた。
「ヨモツヘグイ思い出せ、あの世のもん食べたら戻ってこれなくなるってドヤ顔でのたまったのテメエだろ!」
「せやけどおかんが」
諦め悪くもがく茶倉に痺れを切らし、平手打ちを加える。
「俺がわかんねーのか、理一だよ!」
「理一……?」
漸く目の焦点が定まり、理性を取り戻す。
「なん、で」
「どこまで覚えてる?」
「津波に流されて、気付いたらここにおって。なんで縮んどんねん」
「知らねーよ、今は逃げるぜ」
「そない小さくなってもて」
「るっせえな、ポークビッツトリオだ!」
唐突に風が凪ぎ、眼鏡の男とワンピースの女が立ち上がる。
「練に手を上げたな」
「うちの子をいじめたわね」
花冠が急速に枯れ、どす黒く腐り果てる。
「おとん。おかん」
「だまされんな、お前の親に化けた悪霊だ!」
「俺の好きな具知っとった」
枯れ落ちる。腐り果てる。板張りの床が朽ち、白い花が散り、車両が大きく傾く。
「別人ならなんでおとんのカメラ下げとんねん、おかしいやん!おとんが給料貯めて買うた宝もんのカメラやぞ、遠出ん時は必ず持ってった!あのカーディガンは?おかん寒がりさかいに俺とおとんが見立ててプレゼントしたねん、白かピンクか迷て最後はじゃんけんで決めたんや、わざと負けたんちゃんと知っとるんやで、そうやって勝ち譲って貧乏くじばっか、ホンマどうしようもないお人好しで」
「悪霊は人の頭ん中読むんだよ、俺ん時もそうだった、あのくそったれがリカのマネしやがった!」
車輪と擦れたレールが派手に軋り、板尾が泣き叫んで茶倉に縋り付く。さらに傾斜が急になり、遠心力で体が泳ぐ。
「掴め!」
借り物の風景が荒む。網棚は劣化し、座席は朽ち果て、連鎖的に床板が脱落した隙間から火花が噴き上げる。
床板が吹っ飛んだ対岸で、偽両親が虚ろに手招きする。
「怖ない」
「おいで」
「うち帰ろ」
「黙れよくそったれが、茶倉のお袋と親父の顔で好き勝手ほざきやがって!」
茶倉は暗示にかかってる。体のみならず心まで子供返りし、両親の偽物を求めている。
爆ぜた窓から吹き込む風が髪を嬲り、幼い顔が物狂おしい未練と葛藤に歪む。男がシャッターを切る、フラッシュを焚く、眩い閃光が視界を染める。
「離せ」
「嫌だ!!」
「おとんとおかんが向こうで待っとんねん。冥界トンネルは死んだ人に会えんねん」
「八神のばあちゃん見付けて連れ戻す約束したろ、俺たちだけじゃお手上げだよ、お前がいなきゃ始まんねえ!」
「どうでもええ」
「よかねえよ畜生そんなに偽物がいいのかよ、お前じゃなきゃダメな俺の気持ちはどうしてくれんだ、一生一方通行で片想いしてろってのか!?」
男子トイレでのファーストコンタクト、カラオケボックスの初エッチ、一緒に授業をサボりカラスを葬ったこと、ういが作り出した裏世界で冒険したこと、埃っぽい蔵で交わしたキスがめまぐるしく脳裏を駆け巡り、意地でも手は離さず踏ん張り、俺のことなんて眼中にねえ茶倉に食い下がる。
「人殺しだって関係ねえお前が一番のダチだ、雑魚にだまくらかされて連れてかれようとしてんのほっとけるかよ、茶倉練はそんなちょろいヤツじゃねーだろ、篠塚高を牛耳る鳥葬の巫女にだって一歩も引かず譲んなかった最強の拝み屋の孫だろ!?」
「一番目は譲ってやる、二番目でいいから戻ってこい!認めんのは悔しいけどお前と烏丸は命の恩人だ、八ツ当たりは謝る、土下座しろってんならそうする、お前らがいたからリカは成仏できた、最後の最後にまた会えて想いを伝えられたんだ!なのにいなくなんなよ、もうやだよ大事なヤツが消えんの、俺だってここぞって時に役立ちてえよ!!」
なりふり構わず叫ぶ俺たちを冷ややかに睨み、茶倉の母親に化けた何かが、批判がましく柳眉を逆立てる。
「うちの子が人殺しですって?そんなわけないじゃない、酷いこと言わないで。お母さんの声が聞こえるでしょ練、あなたをいじめる悪いお友達とはさよならしてこっちに来なさい」
両手を広げて促す母親に対し、淡く微笑む。
「……なんで喋っとることわかんねん」
本物は耳が聞こえない。
「漸くボロ出した」
「口の動きを読んだの」
「理一たちは後ろにおる、影んなって見えへんやろ」
「練のことなら全部お見通しよ、母親だもの」
半月の口の笑顔が空々しく媚びる。
「母さんの耳は治ったんや」
三日月の目をした笑顔が追従する。
「奇跡が起きたんや、もう手話なんかに頼らんでようなる」
「なんか?」
「そうなの、神様にお祈りして」
開眼。
覚醒。
ビーズの散弾が対岸だけに降り注ぎ、透明な球面が黒く靄がかった悪霊の本性を暴く。
「神は見返りを求める」
雪崩を打ったビーズを踏ん付け母親が転倒、父親のズボンを板のささくれが噛む。
「病気と違て障害は治らん。理不尽を腹に吞んで、折り合い付けて生きとんねん。おかんはそうした」
愛する母の生き様を冒涜され、激怒する。
「コイツは地獄行き回想列車。想いが世界を更新する」
自らに言い聞かせるように宣言し、黒い数珠を嵌めた左手と右手で、梵字の印を結ぶ。
「燃えろ」
凄まじい霊圧が荒れ狂いながら吹き抜け、茶倉の思い出を盗み取り、在りし日の情景を再現した花畑を根こそぎにしていく。
「嫌ああああああああああ!」
「なんてことすんだこのクソガキ、ぶっ殺すぞ!!」
熱で委縮した視神経と眼球をたらし、なお罵倒を浴びせながら燃え上がる男女を見据え、左手人さし指で床をさす。
わざわざ訳されずとも、手話の意味がわかった。
決別。
「待たせてすまん」
「ラーメンおごれよ」
「チャーシュー大盛りで」
割れ目に嵌まりかけた体を引き上げ、扉が隔てる連結部をめざす。窓の向こうに誰かいる。目配せ交わし頷き合い、扉を蹴破った勢いで団子状になだれこむ。
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