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幽霊列車⑧
「ぶべしっ!」
床に倒れた俺の上に、板尾と茶倉が覆い被さる。
「誰?」
目の前に伸びる二本の棒……学帽学ラン短パン、どんぐりまなこの痩せこけた少年が、不思議そうにこっちを見てる。
「君こそ誰?」
「オイラは耕作。あっちにいるのがまあちゃん」
少年が指さす方向、通路側の座席にポツンと掛けているのは花柄パジャマの老婆。
「八神のばあちゃん」
失踪時の服装と同じなもんですぐピンときた。
「って待て、耕作って」
「守屋さんの下の名前」
「なんで幽霊列車乗ってんの、俺たちと同じで若返ってるし」
「知らん」
ひそひそ話をする俺たちを見比べ、耕作くんが八神のばあちゃんの対面席に飛び乗る。
「……ちゃん、ごめんね……あそぶ約束したのに」
「めっけ」
わざと道化た声を出し、ばあちゃんを覗き込む。
「俺、るいさんと同じ学校の烏丸理一って言います。るいさんに頼まれて、冥賀トンネルに張り込んでたんです」
「るい?」
「八神が心配してる。息子さんお嫁さんも」
傍らにしゃがむ。背後に板尾と茶倉が佇む。
「ばあちゃんがいる場所はここじゃねえ。早く帰ろ」
「アンタのこと迎えに来たんだ」
「ドえらい目に遭うたで」
俺たちの顔を順繰りに見回し、老婆が困惑する。
「知らない。わかんない。お兄ちゃんたちだあれ?あたしねえ、ふみちゃんに会いに行くの」
パジャマの袖を引っ張り俯く。妙に舌足らずな喋り方。
「ふみちゃんて……」
向かいに視線を飛ばす。耕作くんが不機嫌にそっぽを向く。
「オイラの妹。生意気なちび」
「なんで別の車両にいんの、もともと一緒に乗る予定だったんだろ」
「喧嘩中だから」
ギュッと膝を抱える。
「俺、ふみに酷いことした。嫌われてる」
「ふみちゃんは気にしてねえって言ってたぜ。ご飯のとき芋の煮っころがし分けてやったんだろ、優しい兄ちゃんじゃん」
「あわせる顔ねえ」
ガタンゴトンガタンゴトン、規則正しく車両が揺れる。八神のばあちゃんと耕作くんが頑固っぽく唇を引き結ぶ。
「詳しい話は外で。この列車は危険なんだ、ざぱーんて津波が押し寄せるし」
「爆撃機も突っ込んできた」
「えっ」
「そっちは大丈夫、ぶった斬った」
木刀を立ててドヤる俺に、耕作くんが血相変えて詰め寄る。
「ふみは無事?」
「兄貴んとこ飛んでったぜ。てっきり成仏したのかと」
「ああ……」
腰を浮かせた耕作くんがすとんと着席、膝を叩いて嘆く。
「やっぱりそうだ、オイラに会いたくないんだ、嫌われちまった」
話が噛み合わねえ。
上目遣いに助けを求めるも、板尾は軽く肩を竦め、茶倉は首振りで断りやがった。
「ふみちゃんにお人形さんあげたの。可愛い可愛いお人形」
全員の視線がばあちゃんに集まる。
「ふみちゃんの疎開が決まって、長野に行く前の日に交換したの。あたしが持ってる子とふみちゃんが持ってる子、赤い頭巾がお揃いのそっくりさん。並べると双子みたい」
前掛けに縫われた名前を思い出し、ズボンに挟んだ人形を引っこ抜く。
「離れに離れになっても忘れちゃいやよ。指切りげんまん、嘘吐いたら針千本のーます……どこへやっちゃったかしら……」
「ふみちゃんに預かった」
皺ばんだ手に人形を持たす。
「八神雅子がばあちゃんの本名だろ」
おばあちゃんでもお母さんでもねえ、幼い頃親友に呼ばれた名前を繰り返す。
「典ねえのお下がりの人形……じゃねえ、よく見たらちょっと違うな。こっちのが新しくて綺麗だ」
耕作くんが眉をひそめる。ふみちゃんは肌身離さず人形を持ち歩き、家族に貸すのも渋った為、疎開前日に入れ替わった事を知らなかったのだ。
雅子さんの目が俄かに光を宿し、曲がっていた背中が伸びる。
「ここは?」
「みんな心配してる。うち帰ろうぜ」
「八神が謝りたいて」
「るいちゃんのお友達?随分小さいわね」
「ちょいワケありで」
俺たちをきょろきょろ見回したのち、赤頭巾のボロ人形を抱き締める。
「帰らない。ここにいる」
「えっ?で、でも」
「ウチは大騒ぎになっとる。捜索願いも出した」
「人様に迷惑かけて、それじゃ尚更帰れないわね」
まさこの頭をなで、途切れ途切れに話し始める。
「家出じゃない。お参りよ。友達が死んだ場所に手を合わせたくて、人目を盗んで冥賀トンネルに来たの。前の夜に懐かしい夢を見て、呼ばれた気がしたのは否定しない」
「どんな夢?」
「ふみちゃんと列車に乗る夢。楽しかった。お喋りしてるうちにあっというまに時が経った。でもね、切符を持ってないからって私だけ下ろされちゃった」
支離滅裂な言い分がもどかしく、語気を強めて急かす。
「お袋さんをシカトせず手伝えばよかったって八神は反省してる。息子さんも戻ってきて家族揃った、きっとまだやり直せるさ」
「いい加減なこと言わないで!」
金切り声で叫び、真っ暗な窓に凍り付いた凝視を注ぐ。
「町の人たちはみんな知ってる、表立って言わないだけ。冥賀トンネルはあの世と繋がってる、いらないものを吸い込んで消してくれる。だから私、自分を捨てに来たの」
衝撃的な発言に固まる。
雅子さんの口角が卑屈に痙攣し、枯れた笑みが広がっていく。
「トンネルができる前からここじゃよく神隠しが起きた。有名な話よ。消えた子たちはいらない子、口減らしに捨てられた子。かくれんぼの最中に消えてくれって、実の親に願掛けされた」
両手で顔を覆い、指の間から激情を噴きこぼす。
「母も祖母も曾祖母も知っていた、地元で生まれ育った人間はみんな……私も近付いちゃ駄目よって息子に言い聞かせた、ここは何でも吸い込む底なし穴だもの」
「ばあちゃん、自分で」
「一緒に住んでる家族に迷惑かけられない。嫁や孫に汚れ物の始末なんてさせたくない」
「だってそんな、そんなの自殺と同じじゃんか!八神は責任感じて帰ってほしがってんだぞ!」
「帰らない。帰れない」
「嫁さんに言われたこと気にしてんなら」
「私も同じこと言ったわ、姑に」
瞠目。
「次の日、姑は死んだ。全部私のせい。今度は嫁が首を吊る。家族だからって甘えて追い詰めて、ウチを地獄にしちゃうの」
それは呪いの連鎖。
人生の最晩年にさしかかった雅子さんを苛む、過ちの記憶。
「お義母さんに謝りたい」
顎に力を込め、奥歯で嗚咽を磨り潰す。
「家族の負担になりたくない。優しい嫁と孫を困らせる、情けない自分が許せない」
八神曰く、ボケる前のばあちゃんはしっかり者だった。嫁とも仲が良く、毎日一緒にお茶してたそうだ。
背筋を伸ばして座る雅子さんの傍らに立ち、達観と諦念が同居する複雑な表情で、茶倉が独りごちる。
「姥捨てに来たんか」
「年寄りの意地と嗤いなさい。私はね、私じゃなくなる前に自分を葬りに来たんです」
まだ自我を保てるうちに。
「終着駅には幼友達が待ってる。途中下車なんてお断り」
気高い決意に圧倒され、一同黙り込む。
心の底からばあちゃんを止めてえが、十六年ぽっちしか生きてねえ俺の悪あがきで、この人を止められる気がしねえ。
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