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好きになるのに理由がいるの?(6)
それにしても遠く離れた席の彼にまで、その焦りが伝わっていたことがすごく恥ずかしい。緊張と恥ずかしさで蒸発して消えてしまいたい気分だ。何か握りしめていないと爪が手のひらに食い込んで痛いから、俺はぎゅうっと制服のズボンを掴んだ。
「俺、国語は苦手でお前に答えを聞いたこともあったけど、数学はけっこう得意だから」
「……あ」
「ん? 何?」
「ううん……、何でもない」
二度目の何気ない会話を、覚えていてくれたことがたまらなく嬉しかった。そんな些細なことを覚えていてくれるなんて、誰でもいいやと気まぐれで俺に答えを聞いたのではなく、もしかしたら「奥原に聞こう」ってそう思って聞いてくれたのかもしれない。
俺はわりと国語が得意だから、知っていてそうしたのかもしれないけれど、それはそれで俺が国語が得意だと彼が認識していてくれたことも嬉しい。
緊張と恥ずかしさに、嬉しさまで加わって。激しく揺れ動く感情の波についていけない。
「奥原、机を向かい合わせにして」
「……え、」
「ぼんやりしすぎ。ほら、机合わせろって。そっちの方が一緒に解きやすいだろ」
立ち上がった彼に強引に机を引っ張られ、合わせられた机がガンっと大きな音を立てた。椅子と共に取り残された俺に「奥原」と、また彼が名前を呼んでくれた。
そう言えば、名前を呼んでもらえるのも、俺が呼んだのも、今日が初めてじゃあないか。
「滝くん……」
「何? 早く椅子持ってこっち来い」
「あ、うん」
言われた通りに椅子を持って移動し、彼と向かい合わせになって座った。机二つ分の距離があいて、さっきよりは少しだけ遠くなったけれど、心臓はバクバクと動いたままで息が苦しい。
それでも嬉しくて嬉しくて、何度も名前を心の中で呼んだ。恥ずかしさが薄れ、残った緊張を嬉しさが覆いつくしていく。
吐きそうなのはあまり変わっていないけれど、今度は頬まで緩み出して表情を誤魔化すことにも意識を向けなければならない。
「奥原、この後予定ある?」
「……ない!」
「それならゆっくりやれるな」
「うん」
ゆっくり、か。早く終わらせて早く帰ろうじゃあないんだ。俺との時間をゆっくり過ごしてもいいとそう思ってもらえているんだ。……どうしよう。頬の緩みだけでなく、涙腺まで緩くなってしまう。
「これ、わざと問題文を難しく書いてあるけど、先週やった問題とだいたいは同じだから。奥原、板書してるノート開いて」
「そうなの……? 俺、この問題十数回読んだのに全然分からなかった」
「ふはっ、国語力あるのにな? それ多分、星が四つあるのを見て、最初から難しいって決めつけてるからだと思う」
ノートを開くと、この問題と似ているだろ? って、彼が指でとんとんと教えてくれた。……このノートのこのページも大切に保管しなければと、そういう思考はどんな時でもブレることがない自分におかしくなる。
「これの応用なんだよ。途中まではこれと同じだから、もう一度文章を読み直して、それからちょっと解いてみて」
「うん」
言われた通り、もう一度問題を読み直してみる。それでもすんなり行かなくてシャーペンを動かすことのできない俺に、彼はゆっくりでいいよと言ってくれた。
好きになった理由は、はっきりと分かっていなくて衝動的なものだったけれど、彼と関わる中でその好きという感情の輪郭がはっきりしてくる。
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