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3.「二度と」*真奈

 翌朝、すごく早く。  西条さんよりも早い時間に、梨花が部屋に現れた。 「これ」 「……?」  一晩中ほとんど眠れなかったオレは、ぼんやりしたまま、梨花の差し出した物を受け取った。 「その通帳に五百万入ってる。暗証番号も全部、書いてあるから」 「五百……」 「……今あたしが急に用意出来るのはこれが精一杯。でもそれだけあれば、当面は暮らせるでしょう? 足りなかったら、そこのメールアドレスに連絡して。時間がたってからなら、追加も出来るから」 「こんなに要らないけど……」  首を振って、オレがそれを返そうとすると、梨花はそれを拒んだ。 「あたしは、絶対に戻ってきて欲しくないのよ。自分の家にも当分帰らないで。そのお金でどこか遠い所でちゃんと生活してくれれば、それで良い」 「……」  全く受け取る気は無い様子で、そこまで言われると、差し出した手を引っ込めるしか無かった。 「今日、西条さんが出かけたら人を連れてくる。何人か来るからそれに混ざって出ていってくれれば、屋敷の誰にも引き止められたりしないから」 「……分かった」 「あなたの友達のことだけど、もしその人に何かあってあなたがここに戻ってきたら嫌だから、絶対西条さんにお願いする。……こう言えば、安心してもらえる?」 「――――……」  この人が、オレにここに戻って来て貰いたくないのは、本当だと思うから。  ……俊輔も、オレが今居なくなったからって、秀人を追うのを再開させるとかそんなことをするとは……思えないし。  黙ったオレに、梨花は、ゆっくりと口を開いた。 「西条さんが出かけるのは午後になるって言ってたから、迎えも午後になるから。すぐ出れるように、準備しておいて」  無言で、頷く。 「――――……じゃあ……  さよなら」  きつい瞳でオレを見据えて。  そして、部屋を出ていった。  無理に起き上がっていた体は、ベッドを求めて、自然と沈む。  準備、か――――……。  別に準備なんて何もない。  ここで結構……二か月以上暮らしたけど、どうしても持っていきたい何かがある訳でもない。  こんなに暮らしたのに、執着するものもないなんて。何だか空しい、な……。  ある訳、ないか……。  ……楽しく暮らしてた訳でも、ないし。  一緒に暮らしてた奴の事だって、結局何も知らないままで……。   「――――……」  手元の通帳を、何とはなしに、開く。  ……五百万……。  女子大生がポンと渡してくる額じゃないよな……。  俊輔の一族って、皆金持ちなのかな……?  ……用意できる精一杯って言ってたけど。多分大嫌いなオレにこんなに渡してまで、オレをここから出したいのか。    ――――……俊輔の事が、好きだから……? 「……どこが、良いんだよ、あんな、奴……」  思わず、小さく呟いた。  乱暴で、自分勝手で、冷たくて。  ……辛うじて、良いのは……外見だけじゃねえの。  もう……あと数時間で、お別れだから、どーでも良いけどさ。   『――――……真奈……』  不意に。  自分の名前を呼ぶ俊輔の声が、甦った。  意識が飛びそうな位の、快感の中で。  静かに、何度も、名前を呼ぶ俊輔の声が。 「……っ……」  実際聞こえている訳でもないのに、咄嗟に耳を塞いで、目をきつく閉じる。  優しいなんて…… 勘違いだ。  あれはただ、大人しく従ってたから、乱暴しなかっただけで。  本当の俊輔は、最後のあの時の…… あれが、本当の、俊輔なんだ。  無理矢理、そう結論を出して息を潜めた。    ――――……もう、ここを出たら。  俊輔には、二度と会わなくて済む。  怖い位の……快感も。もう、二度と、味わわなくて済む。  乱暴される事も、ない。  そうだよ。  ここを出たら。  もう二度と。  俊輔の顔を、見ることもないんだ。

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