82 / 136

20.「久しぶりに」*真奈

 凌馬さんに殴られたのは本当らしく、唇の端に血が滲んだ俊輔の顔を、恐る恐る見上げた。  今度は俊輔も、まっすぐオレを見つめていて。視線が絡む。    想像していたよりずっと。……というか、きついものが一切感じられないくらい、俊輔の顔は穏やかで。  拍子抜けして、思わずマジマジと見つめてしまった。     しばらくまっすぐに、見つめ合った後。   「お前の顔――――……」 「……え ?」  声が。うまく出ない。    「お前の顔見るの……久しぶりな気がする。……そんなには経ってないのに」    穏やかな声に、その言葉の意味が分かってすぐ、頷いた。    うん。確かに、何かオレも……すごく久しぶりに、俊輔を見た気がする。  あの夜の翌日とその翌日、オレが客室に隔離されてただけで、今日は三日目。ほんの短い間なのに。  俊輔って、こんな顔してたっけ……とか思ってしまう。 「本当に 無事なんだな……?」 「――――……」    凌馬さんの嘘のことだと分かって頷くと俊輔は少しホッとしたような息をついた。それから。    「歩けないのか?」  また、静かな声が、聞こえた。 「……少しなら、歩けるけど……」  それを聞いて、俊輔が少し眉を寄せる。  その手が動いてオレの方に伸ばされた瞬間。ビク、と体が竦んだ。完全に条件反射。別にそこまで、今の穏やかな顔してる俊輔に、怯えている訳じゃなかったのに。 「――――……」  一瞬、俊輔の手が止まったけれど、そのままゆっくり伸びてきて、オレの額に触れた。そこで驚いたみたいに固まったと思ったら。 「……熱すぎる。寝てなくて平気か?」 「ん、今は……平気」  そう答えると、ゆっくり手が離れていく。そのまま、しばらく、静かな時が流れる。  ……俊輔が居るのに、こんな静かな空間、なんて、嘘みたい。  何だか現実感がなくて、 「……傷、痛むか?」 「……」  傷って……手首と下とどっちのことだろう……と一瞬ためらって、答えられないでいると。   「痛むのか?」 「……ん、まぁ……」  ……痛いかと言われたら、どっちも、かなり痛い気がする。  頷くと、俊輔は眉を顰めて、ため息をついた。 「……せめて元気になってから逃げ出せよ」  そう言いながら、さっきまで凌馬さんが座ってた椅子に、腰かけた。  そんな言葉に、疑問符がいっぱい飛んでしまう。  元気になったら、逃げても良いのかな?  俊輔と対峙していることで、完全にパニックの脳味噌は、なんだかなかなか会話に対処しきれないみたい。 「……逃げろって言ってる訳じゃねえぞ」  俊輔は面白くなさそうに顔を逸らし、ぐい、と手の甲で自分の口の血を拭った。   「っきしょ…… ってぇな……あの野郎……」    はー、とため息を付いて。  それから、オレをまっすぐ見つめた。    何だろう、この違和感。  さっき、階段を昇ってきた時の勢いは全くないし、それに、オレ、逃げ出したんだから、もっと怒ってても良いし……。ていうか怒ってて欲しい訳じゃないけど、でも、あまりに怒りとかの感情とは、かけ離れ過ぎてる気がして。  とにかく、何だかものすごい違和感を感じる。 「――――……」  そっと、俊輔がオレの手首の近くに触れた。    「痛かった――――……よな……」  そう言う俊輔の方が、痛そうで。  なんだか声が、出ない。 「真奈、今、話聞けるか?」 「……うん」    ……分かった。違和感。  俊輔が、ずっと、すごくゆっくり、喋るからだ。  今までの俊輔は、どっちかというと、吐き捨ててるみたいな感じだったから。  そう思って、ただじっと見つめていると。  不意にふわ、と。ものすごくやわらかく、抱き締められた。  ……あんまりフワフワした感じのそれに、今度は体が竦むこともなく。  ただ、そのまま、動けない。     「……あの日……っつか…… 今までずっと」 「……」 「……悪かった」 「……え……」    聞こえた言葉に、耳を疑う。  俊輔を見ようとしたけれど、少し強く抱き締められて、顔を見ることは叶わなかった。     「……約束する。こないだみたいな、あんな真似、二度としない。誓う」 「――――……」    こんなにまっすぐに、俊輔が謝ってくれるなんて正直かけらも思っていなかった。  ただただ驚いて、何も返せない。

ともだちにシェアしよう!