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狼は己の危機を知る

「メリドウェンの事は忘れて、勉学に励め」  パトリック先輩に言われたので、そうすることにする。  パトリック先輩はどんどん手続きを進めて行って、2日目には、俺は学校に行くことになった。  ……アーシュは見つからなかった。 「人を自殺に追い込むほどの呪いをかける場合、通例、真の名が必要になると思うのだが、君はアーシュに真の名を教えた覚えはあるか?」 「ありません」  目の前にしかつめらしい顔で座っているのは学園都市の学園長である導師のマーカラム先生だ。ヒトの国の魔法使いである彼は、高齢なのだがまっすぐに伸びた背筋に長くて白い髪を垂らし、長い顎鬚を伸ばしている。 「真の名を相手に知られる事は、相手に命を預けるに等しい事は知っているね?」  穏やかな声で尋ねられて、素直に答える。 「はい」 「アーシュが本人に知られずに真の名を盗む方法を知っていたのか。それとも、真の名なしでそこまで強力な呪いをかける術を習得していたのかが。本人が捕まらないことには真相はわからない。  アーシュが捕まらない今、君は大変困った状態にある。  問題は君が兵器に相当するほどの力を持っていると言うことだ。  君が敵の手に落ちると言うことはつまり、強力な武器を相手に奪われることになる」  もう……どうでもいいと思う。邪魔ならば消せばいい。 「俺を殺してください」  投げやりに言葉を放つ俺に、マーカラム師の顔が曇る。 「ロー。命は大事にしなさい。  その命は助けられたものだということを忘れてはいけないよ。  メリ…」  その名を口にするな。どうしようもない苛立ちで師の言葉を遮った。 「俺の命には価値がないんです。そう言われた」  艶やかな笑顔で投げ返された。  俺の差し出すものには、価値がないと。 「ロー君……」 「聞きたくない。自分で死ねというなら死にます。殺されてもいい」  荒んだ目で師を睨んだ。  俺の目を見たマーカラム師が嗜めるように言う。 「ロー・クロ・モリオウ。  メリドウェン君の名を穢すつもりか?彼は真実の愛で君を救った。その彼が君の命に価値がないと、本気で言うと思うのか?  それは彼に対する侮辱だぞ!」  穢す?侮辱だと?熱い血が駆け巡り、手が震える。誰だ?許さない。 「誰かがそう言ったのですか?穢れていると侮辱したのですか?」  そいつは殺す。  ぎゅっと拳を握り締めた。  誰でもいい、ぶちのめしたい。俺自身だって構いはしない。  マーカラム先生がため息をつく。  師は首を振りながら、穏やかに言った。 「誰も。……君の命を軽んずることは、メリドウェン君の払った犠牲を軽んずることだと言っているだけだ。  ────君はそれを望むのか?」  軽んずるだと?ぐるぐると回る熱い血のまま、軋るように呟いた。 「望んでいません。あの人は誰からも穢されも、侮辱も、軽く見られることもありません。  ……俺が許さない。」  ぎりぎりと食いしばった歯の間から言葉を押し出す。  結局、忘れられない。────忘れられるものか。  咲いたばかりの薔薇の香り。  流れの早い川のような銀の髪。  波打つ暖かい水のような薄い水色の瞳。  頭がおかしくなりそうだ。 「ならばロー君。命を大事にすることだ。メリドウェン君が君を必要とした時に、死んでしまっていては役に立たない。  君が我々の側に立つ限り、君は敵の大きな脅威となる。正しい道を歩く努力をするのだ」 「はい」 「君の為に護符を作らせよう。身代わり人形のようなものだ。 出来上がったら、肌身離さず持つように。護符は一度だけ、呪いを避ける。護符が割れたら誰かが君に呪いをかけたということだ。  そして、これは非常に重要なことだが…………護符が割れたら……君は術者を確実に、素早く仕留めなければならない。  ────例えば、それが誰であっても。わかるね?」  例え、それが……アーシュであっても。  胸にずきずきと痛みが走る。  だが……呪いを返したあの人をアーシュは許さないだろう。  アーシュは残酷だった。俺が、他人が苦しむ様を見るのが好きだった。  もし、俺が傀儡になれば、そうなった俺でアーシュは何をするだろう。  細い首にかかる自分の両手。涙で潤んだ水色の瞳。  細い悲鳴が聞こえる気がして、不安に胃の辺りが冷たくなる。  俺を傀儡にする者は許さない。あの人を傷つける者は許さない。絶対に。 「俺を力で傀儡にする者は殺します」  マーカラム先生は重々しく頷いた。 「若い君にそれを強いるのは心苦しいが……君が自身を失うことは絶対に避けなければならない。不安定な方法ではあるが、暫定的には致し方ない。  真の名を知られていることが確定しているなら、真の名を変えることも視野にいれるべきなのだろうが、真の名の変更は君を根底から変化させる可能性がある。  体術家である君が魔法使いになることも有り得る。真の名が知られているか判らない現状では危険すぎる方法だ。  あとはもう一つ……呪いよりも強い何かを結ぶか。君には心当たりがあるかもしれないが」  呪いよりも強い何か。ぞくりと背中に戦慄が走る。  マーカラム師は知っているのか?あれを。  俺がそれを知っていることを知っているのか?  いや、そんなはずはない。  何食わぬ表情で言葉を吐き出す。 「オオカミ族の古代の魔法のような?  あれは、真実の愛で結ばれた者同士でなければ、悲劇しかもたらさない」 「そうだ。故に暫定的な方法で対処するしかない」  師は知らない。ほっとして俺は頷いた。 「護符の為に君の髪を一房貰いたい」  マーカラム先生が凝った作りのハサミを差し出す。  俺は無造作にハサミを入れると、差し出された器に髪を入れた。 「護符が出来るまでの間、十分に行動には気をつけてくれ」 「はい」  オレは礼をすると部屋を出た。  道場に行くべきなんだろう。まだ身体の中に怒りの熱が残っている。身体を動かし、あの人を忘れる。  きっとそれが正しい。  でも、足は病院に向かっていた。  俺のせいで怪我をしたんだ。  容体を聞くくらい、なんだっていうんだ。  捻くれた囁きに足は速くなる。  傷つき不安になった狼が巣穴に戻るように、真っ直ぐにあの人の下へ行くんだろう?  嘲る声は聞こえないふりをした。

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