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狼は忍びこむ(1)

「メリドウェン先輩に面会できますか?」 「申し訳ないんですけど、生徒さんはお通し出来ない事になってるんです」  申し訳なさそうに、受付の看護師が後ろにちらりと目をやる。そこには、大量の花や差し入れが積んであった。 「メリドウェンさんはお見舞いの方が多くて……」 「具合はどうなんですか?」 「患者さんの家族以外に、容態はお教え出来ない事になってるんです」  最もな答えに俺は頭を下げると、その場を離れた。  ぶらぶらと何気ない風を装いながら、病室が並ぶ病院の裏側に回ると、ぴんと耳を立てて耳を澄ます。  運んで来た時の病室には、人の気配がない。  あそこは救急の患者が運ばれる病室だったようだから、どこか別の所に移されたのだろう。  ──どこだ?  ぴくぴくと耳を動かして、もう一度耳を澄ませた。  一階にはいない。では二階か。  ──その時、歌が聴こえた。澄んだ物憂げな小さな声。  その声は籠の中の金糸雀に恋をした、雲雀の歌を歌っていた。  あの人の声だ。女よりは低い、そして甘い声。  反射的に鼻が動いて、空気の中から微かな体臭を嗅ぎ取る。  ──二階のあの部屋だ。  足が勝手に動いていた。あの木からなら飛べる。  軽い助走から木の枝をつかむとぐるりと身体を回して持ち上げると、静かに枝の上に乗った。  木の上から窓の様子を伺う。開け放たれた窓が見えるが、外の明るい日差しで中の様子はわからない。だが、気持ちが怯む事はなかった。  木の上に立ち、弾みをつけると高く跳躍する。窓が近くなると、身体を丸めてスピードを殺した。窓枠を軽くつかむと部屋の中に身体を伸ばしながら滑り込んで、ふわりと音を立てずに着地した。  こちらを見ていなければ、急に空間に人が現れたように見えただろう。  はっと息づかいが聞こえて、歌が止まる。  音の聞こえたほうにゆらりと向き直ると、ベッドの上に身を起こしたその人の姿を見た。  信じられないと見開かれた瞳が、揺れてうっとりと俺を見詰めた。  微かに開いた唇がきゅっと引き結ばれて、それから吐息を漏らす。 「こんにちは」  俺がそう言うと、はっと夢から醒めたような顔つきになる。  ぱちぱちと銀色の睫が蝶のように何度かまばたきをすると、口元に苦笑いが浮かんだ。 「やあ」 「受付で教えてくれなかったので、具合を聞きに来ました」 「ああ、だいぶいいよ」  冷静な受け答えに違和感を感じた。手が布団の下に入っていて見えない。 「手を……見せてください」  手は動かなかった。じりっと近づくと、苦笑いが皮肉な笑顔になる。 「ここには……生徒は入れないはずなんだけどね?」 「パトリック先輩は来てますよね」  ベッド脇の小さなテーブルに置かれた果物の盛り合わせを目で指す。  俺にも今朝、同じカゴで食い物が届いた。 「わたしの好みで、2、3人入れたところで問題があるとは思えないけど」 「あなたの好みなら、俺は入っていてもいいはずですよね?」 「随分……意地悪なんだな」  水色の瞳が揺らぐ。  青白い頬に緩やかに血が登って、綺麗な歯が下唇を噛む。……俺はそれが嫌いだと思った。唇に傷がつくじゃないか。唇を無理矢理開きたくて指先がむずむずずる。 「俺は捨て狼だから、捻くれているんですよ」  あなたが俺を捨てたからだ。いらないと言うから。  賢い水色の瞳が、俺を眺めて自嘲するように微笑む。 「最初から手に入っていない物を捨てることなんか、出来ないだろう?」  ふいと水色の瞳の視線が逸れて窓の外を見る。微かに震え、しきりにまばたきをしているのは泣くのを堪えているのだろうか。  いらいらする。  俺は乱暴なことがしたくなって、ベッドに近付くと布団をはがした。  手を後ろに隠そうとしたが、遅すぎる。  隠す前に手をつかみ、ぐいっと引っ張った。  血の匂いだ。腫れは多少引いていたが、ぐるぐるにまかれた包帯に滲む血が、状態があまり良くないと教えてくれている。 「どういうことですか?」 「エルフですいませんみたいな感じだよ」  諦めたようにははっと声を出して笑う姿に不安になる。 「痛み止めが効きにくいどころか効かなくてさ。植物はエルフが支配してるじゃない?毒が効かないのはそのせいなんだけど、痛み止めは意識のレベルを下げるってので、毒と判断されてエルフには効きにくいんだ。  わたしは全然効かない。  そもそも治療は僧侶の管轄なんだよ。そのせいで、このヒトの国では教会が絶大な権力を持ってるんだけど、ルーカス王と教会は仲が悪くてね。  陛下は僧侶の奇蹟に頼らない治療の方法を求めて研究している。わたしがここに呼ばれたのは、そのせいなんだ。わたしは精霊と結んで魔導の力で治療をする。  当然教会はわたしをよく思ってないし、機会があれば潰したいと思ってる。治療に失敗したふりして暗殺なんてシナリオありそうで危険すぎるから、僧侶は呼べない。  闇方面の植物とか魔法なら効くかもしれないけど、手配が難しいし、エルフの属性は光なんだから、どう考えても危険だよね。  一番いいのは気合で痛くてもやっちゃうことなんだけど。  エルフって拷問とかに弱くてね。昔、トロルに攫われたご先祖様がそれで死んでてさ。……痛すぎると死ぬかもって。  いや、一回治療中軽く気絶したんだけどね」  指先が震えた。それに気付いて手を引こうとする。  俺はもう一つの手を重ねると、逃さぬようでも痛みを感じぬようにと握った。  震える手を誤魔化すように、軽い口調で話を続ける。 「んで、とりあえず現状維持で、父上んとこにいい薬がないかお使い出してるとこ。  わたしはもう諦めて、まんまでくっつけて様子見ようって言ってるんだけど、詠唱後の発動の時の指パッチンとか、楽器が弾けなくなるかもとか、父上が怒鳴り込んで来るかもとか、いろいろ説得されてさあ。  ……もう、うんざり」  青白い顔が微笑む。  状況が絶望的だと理解した。  妖精王に出した使いは、現状手の施し様がないので、手の機能の回復を断念することを許可してもらう使いなのに違いない。 「何故、教えてくれなかったんですか?」  俺のせいじゃないか。自分に対する怒りで顔が歪む。 「そういう顔、見たくない。わたしのミスなんだ。 ろ……君のせいじゃない」  俺の名前を呼びかけてやめた。それに気づいてどうしようもなく苛立つ。  俺だって……心の中でさえ、この人の名を呼べないでいるのに。 「もう……いいかな?」  手が引き抜かれて袖の中に隠される。指先が離れると、なんだか心が空っぽになるような気がした。 「エルフは……眠れない時はどうするんですか?」 「眠りはいいことだから。ちゃんとその系の薬草は効くよ。でも、今必要なのは、神経を麻痺させる方法で……そっちは毒方面になるみたいだね」 「麻痺?」 「そう。砕けた骨を再建して切れた筋を繋げるには、眠りじゃ弱すぎるんだ」  麻痺なら俺にも使えるじゃないか? 「ちょっと試していいですか?」 「なに?」 「俺の気弾は相手を麻痺させます。しばらく動けなくなる。手だけに出来るか試してみます」  返事は聞かずに気を練りはじめる。背中や首に当てて全身を麻痺させる方が簡単だが、そんな乱暴なことはしたくない。  手だけが麻痺すればいいのなら、そうするまでだ。  左手を取り、気脈の向きに気をつけながら、大きな気を細く鋭くコントロールする。手の先に向かう神経に慎重に刺して、手の方向に流した。  汗が滲む。  指先が震えるほどの集中が必要だ。  何本か針を刺すと、甘い溜息が聞こえた。  指先が柔らかくなって、手に力が入らなくなっている様だ。 「どうですか?」  手を持ち上げると、手首から先がぶらんとしている。  ゆっくりと振ると、手は力なく揺れた。 「痛くない」  水色の瞳が感嘆に見開かれた。  痛みに弱いこの人は計り知れない痛みを感じていたに違いない。それがなくなった喜びに、鮮やかな微笑が浮かぶ。  俺もつられて微笑んだ。 「医療師殿を呼んで来ましょう。治療出来れば良いですが」  慌ててやって来たボールス医療師が術を施す。  治療が可能だと判って、強烈な喜びを感じる。 「君にそんな力があったなんて」  ボールス師が俺の肩を叩く。 「対人で相手を動けなくする為の技なので、他に使えるとは思いませんでした」 「いずれ、助かったよ。 急いでメリドウェン君の父上に使者を出さないと。心配されているだろうから。 今度詳しい話を聞かせてくれ」  俺は頷いた。ボールス師が出ていく。

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