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狼は覚悟を決める(3)
俺は微笑んで頷き返した。一人ではないと言うことが俺を満たして行く。
どこから話し始めればいいのか。頭の良くない俺にはわからない。それで、自分の一番気になっていることから始めた。
「どさくさに紛れて、メリーも戦うことになったのは気づいていましたか?」
「うん。自分を守れることを証明しろってことかなって」
メリーはきちんと気がついていた。そのことにほっとしながら、話を続ける。
「メリーが自分を守るなんて、そんな必要はないんです。戦場に出たあなたは、安全な場所で治癒や防御や強化に当たる。戦士はあなたを完全に守れないといけない。あなたが直接攻撃を受ける場面は、戦局が最悪であることを示している。
その時はメリーは逃げることだけを考えればいい。有り得ない状況から産まれたこんな腕比べは、無意味で無駄なことなんです。
それに……あなたの兄は攻撃系の魔法使いですよね?」
「そうだね。妖精の国の五本の指に入るくらいかな。順位をつけるなら、上の方だろうね」
「系統が違う魔法使いを戦わせる意味がわからない」
「陛下は気まぐれな人だから、意図を推察しようとしても無理なことだと思うね。
フロド兄様にしろ、他の兄様にしろ、わたしを本気で傷つけるような兄はいないよ。兄様達は……なんというか、とてもわたしに対して過保護なんだ。昔からね」
気まぐれで残酷なヒトの国の王。眩暈のするような黒い闘気を思い出して身震いした。それを感じなかったメリーにどう説明すればいいのだろう。この不安を理解して貰うには。
「俺は……あなたを心配している。攻撃対防御では、戦いは長引く。事故も起きやすくなる。
俺があなたを愛しているなら、あなたが傷ついたら俺はどうなると思いますか?狼が愛する者を……つがいをとても大事にするのは、どこの国でも有名なんですよね?」
メリーが表情を曇らせる。眉が寄せられて思案に瞳の色が沈んだ。
「わたしを傷つけて、ローを狂わせようとしているってこと?」
一足飛びに出てきた解答に、心の中で舌を巻きながら頷く。
「陛下があなたの言うように戦闘マニアなら、どんな俺と戦いたいんでしょうね?」
「最強の状態のローと戦いたいのかもしれないけど、狼を狂わせようとするだなんて、陛下は死にたいの?」
そう、それは俺の考えて、恐れていた答えだった。
あの王は──死にたがっているのではないのか。
「パトリック先輩はダメだと叫んだ」
「陛下の意図を知って止めようとしたってこと?」
「そう────思うんですけど」
メリーは溜め息をつくと、苛立たしげに爪を噛んだ。
「確かに、パトリックが陛下に意見するなんてあり得ないことだ。パトリックは陛下に心酔しているから、陛下が危険でなければ意見なんてしないだろうね。
パトリックは狂ったローを見たから、危ないと思ったのかもしれない」
「パトリック先輩は止めてくれないでしょうか?」
「パトリックは陛下を知っているから無理だろうね……陛下は……そう、少し狂っているんだろう。
小さい頃から何度も大きな戦を経験していて、王位継承者ではなくて、異常なまでの戦闘力と戦闘センスを持っていたから、前線で戦っていた。
前の王のオスカー陛下が亡くなって、息子のグレアム王子が王になるはずだったんだ。でも、グレアム王子がまだ小さくて、国は長い戦乱で乱れていたから強い王が必要だった。それで、ルーカス陛下が王になったんだけど、次の王はもうグレアム王子と決まっていてね。
ルーカス様はあの容姿で救国の勇者でもあるから、元々、ヒトの国で、ものすごく人気があって。だから、ルーカス陛下に子供が出来ると後継者で揉めるだろう?
だから、ルーカス陛下は生涯独身を強いられている。女性と同じ部屋に二人きりでいることも出来ない。国に縛りつけられて、すべてを国に捧げているんだ。
だからなのか、ルーカス王は時々奇行というか……命知らずの行動を取る。ヒトの国の武闘大会にお忍びで出たり、戦で先陣を切って敵の真ん中に飛び込んだりね。
そんな陛下にひどくパトリックは好かれていて、子供の頃から側仕えに召し上げられている。側から離さないって感じで──そんなルーカス陛下にパトリックも心酔しているんだろう。親衛隊に入るためにずっと努力している。
パトリックがやると決めたら引かないと言ったなら、絶対やるってことだと思う」
「そう……ですか」
そっとメリーを引き寄せて、その銀色の髪を撫でる。もし、パトリック先輩が止めてくれるならばと思っていた。
だが、それが不可能なことならば、メリーにはやって貰わなければならないことがある。理解してくれるだろうか……して貰えないかもしれない。痛みを厭わないこの人には、理解し難いことに違いない。……それでも。
「メリー」
髪に鼻先を埋めて囁く。美しい顔があがって、俺の憂う瞳を見詰めた。
「なに?」
「明日……負けてください」
水色の瞳が混乱に開かれる。
「わざとってこと?」
柔らかく背中を撫でると、メリーの身体が快楽にふるっと身体が震えて、俺の腕をつかんでいた指先に力が入る。
「メリーは魔法がまだうまく使えない。兄上の最初の一撃を受けて負けてしまうんです」
「で、でも」
「賢いメリーなら、怪我をしないように、わざとじゃないと誰にも気づかれずに負けることが出来ますよね?」
指に少しだけ気の力を込める。メリーがそれにとても弱い事を知っている俺は随分ずるいのだろう。熱くなる身体を物憂げに撫でながら耳元で誘惑するように囁く。
「陛下や父上の前で、八百長をするなんて……」
「メリー。負けると言って」
欲望に曇る水色の瞳を見上げて、ゆっくりと微笑んだ。引き寄せた唇は触れそうで触れない。
メリーの唇が物欲しげに震えるのをじりじりと焦げるような視線で煽った。
「俺はあなたをメリーと呼んだでしょう?
俺はあなたの名を呼ぶことも許されないと思っていた。心の中でさえ。あなたを自分のものにする勇気のない俺に、あなたの名を口にする資格はない……そう思って。
でも、俺はメリーの名を呼び、あなたを俺のものにした。メリーはそれがいいと言ったでしょう?あなたは俺のもので、俺はあなたのもので。俺のものになるってことは、そういうことだ。狼はつがい死んでも守るから……俺のものであるメリーを誰にも傷つけさせるわけにはいかない」
蕩けるように微笑むと舌先でメリーの唇を舐めた。ふるりとメリーが震える。
「さあ、俺を喜ばせて───メリー……負けると言って」
誇り高く賢いメリーが、戦いもせずに膝をつくことがどんなに辛いことか分かる。でも、あの赤い王の威圧を受けた後では、どんな油断も出来ない。
狼としての勘がメリーを全力で逃がせと囁いている。
欲望に潤む目が断ち切るように意思を見せるときっと俺を睨みつけた。怒らせてしまったかと不安になる。
「……ローが絶対に死なないと約束してくれるなら」
吐き捨てるような強気な言葉に、俺は笑い声をあげた。
「やっぱりあなたは賢いな」
そう言ってしまうと、水色の瞳には涙が浮かんだ。震える唇から泣き声が漏れる。自尊心を捨て、俺を心配して泣いているこの妖精をどうして愛さずにいられるだろう。その望みを叶えずにいることなど出来る訳がない。
「約束します」
引き寄せて、お互いの口の中を息が切れるまで探り合う。メリーが息を切らしながら囁く。
「負けるよ。上手に……素早く」
「あなたはとても素晴らしい。愛しています。俺の白い薔薇」
その白い頬を撫でると、求められるがままに唇をもう一度合わせた。
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