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白薔薇は狼とキスをする(2)

 わたしはなんて貴重なものを手にしたんだろう。  なのに、馬鹿な事を考えて……涙が胸を焼く。 「泣かないで」  切なげに溜め息をついたローがひょいとわたしを抱きあげてまぶたにキスをする。 「愛してる。ロー」 「俺もです」  ローが晴れやかに微笑う。ローの首に手を回すと、肩に顔をうずめて思うさまに涙を流した。  寮を囲む塀の入り口の門の前に、パトリックが立っている。 「遅いぞ」 「すいません」  ローがわたしを抱いたままパトリックに謝る。  ぐすぐす泣いているわたしを見て、パトリックの表情が険しくなる。 「愁嘆場は見苦しいぞ、メリドウェン」 「うるさいな。手続きは済んでいるんだろうね」 「もちろんだ」  ローの腕からすべり降りると、手を繋いで番小屋に向かう。番小屋の白ヒゲのアダムさんは優秀な結界師で、寮を強力な結界で覆っている。 「おや、メリドウェンさん。どうしたんだい?また悪さしてパトリックさんに怒られたのかい?」  目の赤いわたしにアダムさんが言う。 「まあそんな感じだよ。この人がロー。今日はわたしの部屋に泊めるから」 「はいはい、、パトリックさんから聞いてますよ。  ここにローさんのサインをもらえますか?」  アダムさんが紙とペンを差し出して、ローがサインする。 「ロー・クロ・モリオウ。ローさんね? はいはい。入寮を許可します」  アダムさんが手を振ると、ローの周りに金色の粉が飛ぶ。ローはそれを面白そうに見ていた。  ローの手をまた握ると、寮に向かって歩き始める。とぼとぼと歩くわたしの後ろにパトリックがついて来た。 「もう用事は済んだだろう?ここで襲われることはないんだから、護衛は必要ないよね?……まさか、ドアの外に立って見張るつもりかな?」  疑わしげにパトリックを見た。  パトリックが眉間に縦皺を寄せて言う。 「誰がそんな気持ちの悪いことをするか! お前が仕掛けた俺の部屋を覗く鏡とやらを回収するだけだ」  わたしは手をひらひらと振ると言った。 「そんなものとっくに捨てたよ」  ぎりっとパトリックが歯を食いしばる。 「嘘をつくと為にならないぞ」  詰め寄って来るパトリックを避けて、ローの後ろにさっと隠れた。 「メリドウェン先輩。もし持っているなら、それは渡したほうがいいですよ?」  律儀にパトリックの言うことを守って先輩と呼びながら、ローがわたしを引き寄せて心配そうに言う。 「………なんで、ローまで?」  疑わしげに二人を見比べる。  なんか、さっきも結託してたよね。 「メリドウェン先輩が思うよりも、その鏡は危ないものなんです」  ローが穏やかにわたしの髪を撫でる。 「余計なことをおしゃべりエルフに言うな」  パトリックが吐き捨てるように言うとカチリと何かが入ったみたいに、ローの目が険しくなる。ふわっと髪の毛が逆立って、耳がくるりと回って警戒するように伏せられる。 「メリーを侮辱するな」  上がった口角から、犬歯が見えてカチっと音を立てる。 「巻き込まれれば、面倒になる」 「俺は、メリーを、危険なことに、巻きこんだり、しない」  唸るようにローが言う。ローがこれほどに興奮するということは、あの鏡はよほど危険なものなのだ。そして、パトリックもローも、その理由をわたしには教えたくない。  ならば理由は諦めたほうがいいのだろう。 「わかったよ。鏡はあげるから、さっさと居なくなってよね」  わたしは宥める様にローの手のひらにキスをした。険しくなった目が柔らかくなって、銀色の目に光が宿る。 「手のひらにキスをするのはね、エルフが愛している人にするんだよ。ローがわたしの鼻に鼻をすりつけるのと一緒なんだ。どっちも親愛を表してるんだけど、エルフの方は随分控えめだよね?」 「そうなんですか」  ローのが照れたように笑み崩れて、頬が赤くなる。 「のろけるのは部屋でやれ」 「男の嫉妬は醜いんですけど」 「誰が嫉妬だ」 「そんなんだから、恋人も出来ないんだよ」 「おれは陛下に命を捧げる身だ。色恋に費やす時間はない」 「こんなに幸せな気持ちになれるのにね? そうでしょ? ロー」 「そうですね」  ローがわたしの目を見て微笑む。 「おれは、お前たちとは違う」 「パトリックと同じとか、気持ち悪いから別にいいんだけど」  わたしは自分の部屋の前で足を止めた。  鍵を開けて中にローを押し込むと、ドアから顔を出してパトリックに言う。 「もうさ、最後かもしれないから言うけど。  わたしはそういうパトリックの厳然としたとこ、むかつくけど嫌いじゃなかった。  陛下に命を捧げるとかさ、かっこ良く聞こえるけど、逃げてるんじゃないよね? それなら簡単に傍に居られるからとかさ。そういうの、わたしもローに言われたけど、なんか凹むから。  身分に仕えるとかそんなんじゃなく、自分自身を見て欲しいのにさ、義務とか忠誠とか。マジでうざいよ」  わたしはバタンと扉を閉めた。 「むかつく。望みがないって、それはそうなんだろうけどさ。  でも、叶えようとしなかったら叶わないよね! 陛下のこと、本当に好きなくせに。ぶつかりもしないで逃げてばっかり」 「メリー……知っているんですか?」  緊張した様子でローが聞く。 「何を?パトリックが陛下を本気で好きだってこと? 見てたらわかるさ」 「そうですね」  わずかにローの緊張が緩む。  なんかおかしい? 疑問が顔に浮かんだろう。ローが慌てたように言う。 「パトリック先輩に鏡を渡さないと」 「ああ、忘れてた」  ドアがガンガン鳴る。 「はいはい、渡しますよ~だ」  机の中から鏡を出す。  ガチャっとドアを開けてパトリックに投げる。あ、受け止めた。反射神経ばっちりとか、すっごいむかつく。 「じゃあね」 「待て」  パトリックがドアをつかんで、靴をドアの間にねじこんで来る。 「もう一つはどこだ?」 「はい?」 「もう一つあるだろう?」 「なんのことでしょうか?」 「お前はいつも予備を作るだろう」 「ないよ!ないない」  愛想笑いを浮かべながら、ドアを渾身の力で閉めようとするけど、あっさり開けられてしまう。  小走りでローの後ろに隠れると、パトリックが険しい顔で中に入って来た。 「不法侵入です! 風紀委員取り締まって!」 「おれ達が風紀委員だろうが、馬鹿エルフ」 「あ、そうでした」  てへへって笑うとパトリックがもの凄い怖い顔になる。 「ロー。アホエルフを説得しろ」 「メリー? まさか隠してないですよね?」  後ろを振り向いたローに顔をはさまれて、せつなげな表情をされる。 「あれは危ないし。俺はあなたと早く二人になりたい」  ローの銀色に揺れる目に顔が赤くなる。  触れそうな唇から漏れる吐息が熱くて、ため息が出る。  ローが誘うように微笑んだ。  後ろでパトリックがけっとか、ちっとかつぶやいてるみたいだけど、ローから目が離せないよ。 「メリー?」 「わ、わかった!」  わたしはベッドに駆け寄ると、ベッドの下から箱を引っ張り出して解錠の呪文を唱えて指を鳴らす。そして中からもう一つの鏡を取り出して差し出した。  ローがそれを受け取って、パトリックに渡す。 「もうないな?」  パトリックが聞く。 「ないよ!それ、結構複雑な呪文かかってるんだからね!」 「距離が離れても見れるのか?どれぐらいだ?」 「さあ?どこまで離れても見れると思うけどね。  二つの鏡の空間をつなぐイメージで作ったからね。呪文的に説明すると……」 「うんちくはいい」  パトリックがドアに向かって歩いて行く。ぴたりと止まったパトリックが振り向いた。 「最後になるとは思っていないが、お前のおしゃべりで一途でアホな所は嫌いじゃない。無駄に賢い所もな。  おれにはおれの事情があるが、忠告は忠告として聞きいれよう。感謝する。友よ」  凍るような冷たい視線が一瞬緩んで、この男が微笑んだのだと気がついた。視線が動いてひたりとローに合った時には、もう、その微笑みは陰も形もなく消えうせていたけど。 「ほどほどにしておけよ。狼」  ローがその視線を正面から受け止めて頷く。そしてパトリックは颯爽と出て行った。  おしゃべりとかアホってさりげなく罵倒してなかった。  上げるんだか下げるんだか、よくわかんない男だなあ。  ローが部屋を見回している。二人っきりだよね。 「結界かけちゃおうか」  本当は寮の中は魔法禁止なんだけど、わたしは他の生徒と違って特殊な魔法使いとして、部屋での実験許可が出てるから、部屋で魔法が使えるんだよね。  ローが頷く。  外側にいつも実験の時に使う簡単な結界を。内側に強い結界を張る。これだと、表面上はいつもの実験してるみたいに見えるはず。もちろん防音の結界もばっちりかけちゃうよ。  これを破れるのはこの辺じゃ結界専門のアダムさんか、マーカラム師くらいなはず。  次々に魔方陣が出ては消えるのを、ローが眺めている。 「そんなに魔法を使って大丈夫ですか?」 「難しい魔法じゃないからね。時を巻き戻す魔法は法則を曲げるものだから、魔法の中でも特に魔力を消費するんだ。  結界とかは元々微弱にあるものを強化するだけだから簡単なんだ」  最後の魔方陣が消えると、ローの腕の中に飛び込む。  ちょっとびっくりしながら受け止めたローにキスをする。 「緊張するよね」 「そうですね」  ドキドキしながら言うと、ローがゆっくりと微笑んだ。

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