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狼は白薔薇を愛する(1)
部屋の中を見回す。
机の上にも机の横にも俺には読むことの出来ない字で書かれた本が沢山あった。机の上に広げられた紙には複雑な魔方陣とそれの説明がびっしりと書かれている。
紙の横には皿が置いてあって、砂糖をまぶした果物や甘そうな菓子の包みが盛ってある。それを摘みながら書き物をしているメリーを想像すると、自然に頬が緩んだ。
やはり俺のエルフは甘党らしい。
衣装用のクローゼットの扉は開いていて、中には豪華な衣装が無造作に積んである。制服はきちんとかけてあるのに、普段着には頓着しないらしい。
「結界かけちゃおうか」
誰にも入られないように。
俺はきっとメリーに夢中になってしまうから、また邪魔されたら今度はそいつを殺してしまうかもしれない。俺が頷くとメリーがぴんと背筋を伸ばして立った。
矢継ぎ早に呪文を唱える。メリーの足元に魔方陣が展開して、消える度に光の粉が周りに飛ぶ。きらきらとした光に包まれるメリーはとても綺麗だ。
「そんなに魔法を使って大丈夫ですか?」
何度も魔法を使うから、心配になって尋ねた。
「難しい魔法じゃないからね」
時を巻き戻す魔法は特別なんだとメリーが微笑む。
そんな魔法を2回も使わせてしまった。
手から血を流して倒れているメリーの姿を思い出して気分が悪くなる。
注意が逸れていたから、突然、軽い身体が腕の中に飛び込んで来てびっくりした。甘い唇が重なって、誘う色を浮かべた薄い水色の瞳が俺の目を覗き込む。
「緊張するよね」
頬を赤くしたメリーが囁いた。
「そうですね」
俺はゆっくりと微笑んだ。何度も唇を重ねて甘い唇を味わいながら、メリーを抱き上げる。緊張しているのだろう、その身体は微かに震えていた。
羽根のように軽い身体を上掛けを跳ね上げて横たえる。咲きたての薔薇の香りが漂って、うるんだ瞳が俺を見上げた。流れる水のような髪を顔から払いながらキスをすると、メリーが柔らかく喘ぐ。
「あなたは本当に美しいな」
堪えきれずにそう囁くと、メリーがふふっと小さく笑う。
「前にもそう言ってくれたよね」
「あれはびっくりした。……気づいたら口から出ていて」
「そうなんだ」
きゅっとメリーが唇を噛んで、ぱちぱちと瞬きした目から涙が零れ落ちる。
「泣かないで」
「怖いんだ。怖くて堪らない」
俺と寝るのが怖いのだろうかと一瞬考えて、それを打ち消した。
指でその身体をなぞると、ふるりと身体が震えて、唇が開いた。求める瞳に嘘はない。
恐れているのは俺ではなく、俺を失うことに違いない。
「大丈夫」
それは嘘だったが、俺は微笑んで言った。
ルーカス王の強大な闘気に対峙した俺に、確実という言葉はなかった。
パトリック先輩の言ったことは嘘じゃない。
強大な力を持ち、それを自在に扱うことに長けた王は、今現在の俺より強いだろう。俺を殺すことを目的として戦うのであれば、俺は殺されるのかもしれない。
死ぬことは別に怖くはなかった。
怖いのは俺の死にメリーを巻き込むことだ。自分の死に、この人が打ちひしがれることが辛い。
ましてやメリーが自分を追って死ぬような事になったなら、自分を許すことは絶対に出来ないだろう。
生き延びることを考えなければいけない。もはや、自分の命は自分だけのものではなくなったのだから。
「ロー…?」
考え込んでいた俺にメリーが不安気に囁きかける。俺はメリーの隣に滑り込むと、上掛けの下で細い身体を抱きしめた。
「あなたを、どうすればいいんでしょうね?」
求められているとは思っていたが、はっきりとその言葉を聞きたかった。
「愛して欲しいんだ」
震える声が囁く。
メリーは本当に勇気があって、美しく可愛らしい。……俺はどれだけこの人を愛していることだろう。
「俺はオオカミ族なので……聞いたことはありますか?
俺達が愛し合うことに貪欲だって話は」
ふるふると銀色の髪が否定を表して揺れる。
「俺達は、異性と愛し合うことも同性と愛し合うことも教わります。相手に喜びを与える方法も、喜びを受ける方法も。
俺の教師はシンオウでしたから。
シンオウは好きな相手を選べるので……わかりますか?」
覗き込んだ顔から感情が消える。
頭のいいメリーがぐるぐると一生懸命考えているのを感じた。そして、その賢い頭が結論に行き着くと、顔が一気に真っ赤になった。
「ど、どっちも知ってるってこと? 経験済み?」
その動揺する様子に笑い出しそうになるのを堪えて、優しく答える。
「経験はしてないです。シンオウは大きすぎて、子供相手だと楽しめなかったので。シンオウ以外は俺と同格か下だったので、俺の合意がなければ寝ることは出来なかった。
俺は小さい頃から内気で、愛する人以外とはそういうことはしたくないと思っていた。……夢見がちでしたから」
「狼の巣に帰ったら、シンオウが望んだらしちゃうってこと?」
水色の目が嫉妬に細くなって煌いた。
「歴代のシンオウの中には、悪戯に愛し合っている狼同士を引き裂くようなことを好む王もいたと聞いてますけど。
そういう王は大体嫌われて、他の王に取って変わられるんです。
今のシンオウはそういうことはしません。真に愛し合っているつがいを引き裂くのは種族全体の忠義を揺るがすことになりますし。
おれはシンオウの養い子ですしね。
……おかしい話かもしれないが、俺はシンオウよりあなたの方が大事に思える」
ほっそりとした首に指を這わせて、メリーのあわせただけの服の前を開く。
「おかしいですね。シンオウは絶対なんですが。
……肌を合わせたいとは思わない」
本当に白い雪花石膏 石膏のような肌が見えて、鼓動が早くなる。
「ローはわたしのものだ」
メリーがなじるように言って口を尖らせる。
頭を抱えられると噛みつくようにキスをされた。
立ち上る爽やかな薔薇の匂いに頭がくらくらする。
ああ、本当にこの香りはいい匂いだ。
「その通りです」
微笑んでゆっくりと舌を絡めあう。手のひらで温めるように素肌を撫でた。敏感な身体が手の下でくねる。甘い吐息が誘うように唇から零れた。
動くたびに強くなる香りに、溺れるような気持ちになるのを感じながら、それでもと俺はメリーに語りかけた。
「メリーは痛みに弱いから心配です。痛みなしに愛し合いますか?」
本当はメリーの中に入り込み果てたいと思う。
でも、それが本当に負担のかかることだと、教えられて知っていた。そうしなくても快楽を得る方法はあるのだということも。
「全部だよ。ロー、知っているなら全部教えて欲しい」
だだをこねる子供のようにメリーが言う。
その言葉はメリーが未経験である事を俺に教えている。教えてしまったことにメリーは気がついただろうか。
挑むような目つきに、メリーが教えるために言ったのだと理解した。
そして、それに俺は酔うような喜びを感じている。
「俺は必要なものを持ってないんです」
ため息をついて自分の間抜けさを呪う。病院なら何か手に入っただろうに。来る途中の街の中でも。なのに、飼い主に首を引かれる犬のようにここまで来てしまった。
俺を見るメリーの顔がじわじわと赤くなる。その赤さは喉を伝わってメリーの体全体をピンク色に染めて行った。その様はとても美しくて、俺は呆けたようにそれを見つめた。
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