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狼と白薔薇は支度する(3)
立ち話もなんだからと、皆でテーブルの周りの椅子に座った。
椅子を引こうとするフェアロスを制して椅子に座ると、メリーが膝の上に乗って来る。フェアロスがネルの椅子を引くと、四番目の王子は嬉しそうに頬を染めてその椅子に座った。
残った椅子にフェアロスが座るのを待ったが、フェアロスは俺の後ろに控えて座ろうとしない。見上げると、彼は硬い表情で言った。
「仕事中ですので、わたしはこのままで結構です」
ネルが打ちひしがれた顔をする。
おどおどと視線を落とし、唇を噛んだ。
ひどく内気な性質なのだ。心の中で溜め息をついた。
煌びやかで存在感のある王族の中で、四番目の兄は特に穏やかな性格をしていて、目立たない。
彼の奏でる楽器はとても雄弁なのだが……。
「フェアロス。座ってください」
声をかけて、フェアロスの顔をじっと見た。
オオカミ族は完全な実力主義の上下関係があるから、上の者がこうして威圧している時には下のものは逆らわない。
もし、彼が俺を主としてして認めているならば、これには逆らってはならないと気づくだろう。
フェアロスが表情を殺して椅子に座る。
心の中でほっと息をつく。俺は本当にこうしたことが苦手なのだ。
だが、目の前で意気消沈しているネルの姿を見ると、何かしてあげなければと思う。それは、彼が母親に良く似ていて、返せばメリーにもよく似ているのが理由なのだろう。
メリーが俺の気をひくように、テーブルの上の果物を俺に手渡す。
それは皮をむくだけで食べられる酸味のある柑橘だったので、ネルが話し始めるまでの間にと思って、ぺりぺりと皮を剥き始めた。
あーんと口を開けるメリーに果物の房を入れてやると、口の端から果汁が零れる。
いつもの習慣でそれを舐めると、メリーがくすぐったそうに笑う。
もぐもぐと噛んで飲みこむと、無邪気に唇を重ねてきた。
逆らわずに受け止めて、お返しに軽くキスを返す。それは、俺達には普通のことだったので、フェアロスが咳払いをして、ああ、客がいたのだと思い出した。
ん~っとじれったげな声を出して開いたメリーの口に果物を入れてやると、フェアロスがさっと布を差し出す。
受け取ってメリーの口を拭うと、黙り込んでしまったネルをちらりと見た。
ものすごく羨ましそうな視線に出会って、戸惑ってしまう。
俺の視線に気がついたネルの顔が真っ赤になった。
「すいません……いつも人目がないので、お見苦しいところを……」
「あ、ああ、ち、ちがうんだ」
不快な思いをさせてしまったかと謝ると、真っ赤な顔のネルがばたばたと手を振る。
「な、仲が良くていいなあって…………思って」
ネルがちらりとフェアロスを見る。
フェアロスが渋い顔をすると、その顔が曇った。
「話とはなんでしょうか?」
フェアロスが俯いてしまったネルにじれたように言う。
ネルが顔をあげて、おどおどとフェアロスと俺の顔を交互に見て、また顔を伏せた。
「用事がないのならば……」
「フェアロス」
厳しい言葉を放つフェアロスをたしなめると、立ち上がりかけた震える兄の手をつかむ。
薄い緑色の瞳に浮かんだ涙に心が痛んだ。
「お話をお聞きします。ネル兄様」
兄という言葉を強調した。この人は俺の義兄だ。
フェアロスとの間に何があったとしても、メリーの兄として俺はこの人を敬わねばならない。そして、俺の召使であるというならば、フェアロスもまた、この人を敬わねばならないのだ。
椅子に座ったネルが何度か口を開けては閉じる。
その姿はメリーと十も歳が離れているとは思えないほど幼く感じられた。
ごほんとフェアロスが咳払いをすると、細い身体がびくんと飛びあがった。小さな声でせかせかと自信なさげに言葉を吐き出す。
「あ、あの……フェアロスがここで笛を吹いていると聞いたんだ」
「確かに。とてもすばらしい腕前です」
「そ、そうだよね!」
白い頬に色が差し、緑の目がきらきらと輝く。俺が微笑んで頷くと、メリーによく似た面差しがますますメリーに似て見えた。
勢いづいたネルが早口で言葉を続ける。
「そ、それでなんだけど……わ、私はメリーの結婚式で楽器を演奏することになっていて……それで、フェアロスも一緒にと思って」
フェアロスが眉をひそめる。すみれ色の瞳が細くなって、不愉快そうに瞬きをした。
「私はメリドウェン様とロー様にお使えする召使です。
その様な場所に出る事など、許されるわけがない」
「だ、だって、フェアロスは楽師長じゃないか!!」
「その座は退いています」
「そうじゃなかったとしても、フェアロスと私は音楽のパートナーで……」
「その関係は、解消をお願いしたはずです」
「私は嫌だと言ったよ?」
「──こういうことは、どちらかがやめると言えば、それまでのこと。妖精の国には優れた楽師が沢山おります」
「やめてよ!そんなの!……あれを他の人とやれって言うの?」
びしっと部屋の中の空気が凍りつく。
きゅうと、ネルの喉が鳴って、蒼白になった頬をはらはらと涙が落ちていく。
「ねえ?あれを他の人としろというの?」
痛ましい声が、雪の欠片のようにその場に落ちる。ぎりりとフェアロスが歯を食いしばった。沈黙がその場を支配する。不安を感じたメリーが俺の膝の上で体を縮めた。
「もし……」
「フェアロス」
致命的な一言を俺は遮った。
事情はよくわからないが、その続きは言ってはいけないことだ。その言葉はネルだけではなく、フェアロスも殺してしまうだろう。
「『メリドウェンはそういった自己犠牲を嫌う』そう言ったのはあなただ」
静かに告げた俺を、フェアロスがはっとして見た。
怯えるメリーを抱き寄せると、メリーが首筋に顔を埋めて来る。
悲痛な表情を浮かべるネルを見た。致命的な一撃をかわしたのだとしても、それを自分の想う人が繰り出そうとした事実は変わらない。
さて……どうするべきなのか。
ふうと溜め息をついて、考えを巡らせる。
「フェアロスは結婚式で楽器を弾くのが嫌なのですか?」
「私はもう楽師を辞しております」
「……思うのですが。俺が体術師を辞めると言ったところで、俺が体術を使えることには変わりはないし、俺はどうしたって体術師なのでしょう。だから、あなたが学師を辞めたのだと言ったって、あなたが楽器を弾けることには変わりはないと思うのですが」
「それでも、もう人前で楽器を弾くことは出来ません」
「なるほど……」
激しく言うフェアロスに頷くと、ネルに視線を移す。目を真っ赤にしたネルの姿は、打ちひしがれるメリーの姿を連想させて心が痛んだ。
「ネルは……他の人ではダメな理由があるのですか?」
ぐすりとネルが鼻をすする。
フェアロスの手が動いて、テーブルの上で握られるのを横目で見た。
先ほどの、魔剣に対峙したネルに動揺する姿といい、フェアロスはネルに与えている印象よりも、ずっとネルに執心している。
「わ、私たちは共鳴するタイプの奏者なんだ。心を重ねて楽器を演奏する。
そ、それは恋人同士が愛しあうのと同じだ。
わ、私はふぇ、ふぇあろす以外と……そんな……そんな」
「ならば、しなければいい」
苦り切った調子でフェアロスが言う。
「あなたはそれなしでも優れた奏者なのだし」
「で、でも。メリーの結婚式なんだよ?
さ、最高の演奏をしたいよね」
「私は、音楽の道を捨てた身です……今更……」
「お祝い事なんだよ?私の弟の結婚式なんだ……」
「私には、もうその資格はない!」
激しく遮られて、ネルが言葉を失う。
言ってしまったフェアロスが、短く息を吐いて俯いてしまった。
フェアロスは兄の贖罪の為とはいえ、何故そこまでしなければならないのだろう。他にも何か理由があるのではないだろうか。
だが、それを聞いたところで教えてくれるとは思えなかった。
しかし、先ほどの慌てぶりや怒り方を見れば、ネルへの愛がなくなったわけではなさそうだ。
元に戻るには、何かが必要なのだろう。
俺にそれを与えることは出来るのだろうか。考えをぐるりと巡らせる。
オオカミの国では恋人同士の痴話げんかなど日常茶飯事だった。
どちらかが腹を立てて、大声で相手を攻め立てて、怒鳴り合いの喧嘩になり、次の瞬間には大笑いしながらキスをして寝室に篭るといった具合だった。
しかし、まさか義兄に、フェアロスを寝室に連れて行けばよいのでは?
とアドバイスするわけには行かないだろう。だが、恋人達の仲直りに二人きりというのは定石なのだし、とりあえず、二人で一緒の時間を過ごすというのはいい手だと思えた。
「人前での演奏はもう出来ないとしても、ネルの練習の手伝いくらいはできるのではありませんか?」
ネルがぱっと笑顔を浮かべる。
フェアロスが疑わしげに俺を見て言った。
「私には仕事が……」
「俺はどうも疲れてるようだ。気の力を使いすぎたのだと思います。
あなたがいつも言うように、疲れた時は休むべきですよね」
「ならば私がメリドウェン様をお世話します」
ん?と首をひねってメリーの目を覗きこんで、誘うように甘く微笑みかけた。メリーがへにょっと微笑んで、ぎゅっと抱きついてくる。
「メリーも昼寝がしたいようです」
恋人の銀色の髪を撫でながら、フェアロスに微笑みかける。
負けを認めたフェアロスが最後の抵抗をする。
「わたしは遠くへ離れるわけには……」
「続きのフェアロスの部屋ならば、大丈夫ですよね?
夕餉までなら良いのでは?」
「長すぎます!」
それは……そんなに長い時間一緒にいたのでは、理性が保てないということに違いない。
それはいい。
「準備の時間も少なく、人前で、しかも一人で演奏しなければならないネル兄様は、さぞかし心細いのでしょうね?」
ネルと目を合わせるとその瞳が感謝で輝く。
こくこくと頷くネルに微笑むと、フェアロスの苦りきった顔に主人ぶった顔で言う。
「ネル兄様は内気なのだから……助けてあげてください。
長すぎるというのなら、ネルが飽きるまでで構いません」
ね?とネルに尋ねると、首がもげるのではないかというくらいに縦に頭が揺れる。フェアロスがぎっと俺を睨みつけた。
「夕餉までちゃんと寝床でおやすみいただけるのですよね?」
「はい。もちろん」
フェアロスの敗北宣言に、俺は微笑んだ。メリーを抱き上げてベッドに向かおうとすると、メリーが果物の残りをさっとつかんだ。
フェアロスが、ベッドで食べるつもりですか?と小言を言おうとして口を噤んだ。呆れたと言うように肩をすくめると、いらだたしげに自分の部屋に向かう。
がちゃりと扉を開けて、ネルを待っている。
「あ、ありがとう!ロー」
ネルは優雅にお辞儀をして、小走りでフェアロスの部屋に入っていく。頬を染めたネルがうっとりとフェアロスを見上げる。フェアロスが怒った顔でこちらを一瞥するとバタンと扉が閉じた。
「怒っているようだから、ベッドで大人しくしていないと」
人差し指を立ててしーっと言うと、メリーが果物を持ったままで口をふさぐ。ベッドの上でメリーに果物を食べさせていると、フェアロスの笛の音が聞こえてくる。
怒りそのものを表現した音色に、メリーが耳を塞いできいきいと声を立てる。それに応えるネルの竪琴の音はおどおどとして悲しげだ。
余計なことをしてしまったのだろうか。
音楽のことはよく分からない俺でも、ふたりの不和を音から感じることが出来るほどならば、二人の仲は修復が不可能なほどこじれているのかもしれない。
不安を感じながらベッドに潜り込むと、メリーが抱きついてくる。柑橘の混じった、メリーの咲いたばかりの薔薇の香りを嗅ぎながら、ほっと息をついている自分に気がついた。
体が楽だ。やはり気の力を使いすぎたらしい。
そうしていると、楽器の音色が変わった。
嘆くようなネルの竪琴の響き。
訴えるような旋律が何度も繰り返される。
それに宥められるようにフェアロスの笛の音が穏やかになる。
どちらからともなく、音が止まった。
緊張した静寂。
やはりどうにもならなかったのだろうか。
その瞬間。
心が震えるような音楽が流れ始めた。すべてを清めるような美しい音色が辺りに漂う。
メリーが満足げに喉を鳴らした。
これが共鳴した奏者の音楽なのか。
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