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狼と白薔薇は支度する(5)
それでも離さない噛んだ口が、またぎりぎりと動いてフロドが悲鳴をあげる。
「メリー。怒っていませんから……気の毒なフロドを離してあげなさい」
ぱっと口が開いて、メリーの歯型がついた指が出て行く。
フロドが手を振りながら、その辺をぴょんぴょんと跳ね回った。
きゅーんと鼻を鳴らしながらメリーが抱きついて来る。
「酷いじゃないか~メリー~!」
フロドが近づいてくると、荒んだ目をしたメリーがガジガジと歯を鳴らして威嚇して、フロドがひっと声をあげる。
「ど、どうしたんだい?」
「フロドが俺に触ったので、怒ったのだと思います」
「え、ええええ~~~。メリーの髪の方がローの髪よりずっとずっと気持ちいいよ?」
訴えるフロドにメリーがまた噛みつこうとする。
カシカシと鳴るメリーの歯に、ひゃあと情けない声をたてて、フロドが後ろに下がる。勢いあまって尻もちをついた。
ぎゃんと叫んだフロドに慌てて手を貸そうとすると、メリーが俺の目を両手で塞ぐ。
「め、メリー?」
椅子から立ち上がれずに戸惑っていると、メリーが泣き声をあげてキスをして来た。すんすんと鼻をすする音が聞こえる。
ふえっと泣き声が聞こえて、温かい息を感じた。
そんなに俺の髪を触られたのが嫌だったのか。それとも別の理由なのか。
泣くほど何かが気に入らなかったのは確かなのだが。
メリーの背中に回した手に力を入れるとゆっくりと引き寄せた。顔を傾けて近づけると、何をするのか気づいたメリーが唇を合わせて来た。
涙で震える唇を何度も舐める。
柔らかくて甘いそれを味わっていると、またすすんと鼻をすする音が聞こえた。ぱかりと手が開いて視界が開ける。メリーの美しくて細い手はまだ俺の顔の横にあって、俺達をその手のひらの中に閉じ込めていた。
何も見て欲しくないのだ。
自分以外は何一つ。
幼い独占欲でメリーは俺を束縛しようとしている。
涙でぐしゃぐしゃのメリーの顔。曇った水色の目には涙がいっぱいで、鼻の先が赤くなっている。うぇっと唇が泣き声を吐き出した。
「ろ、ろ……」
「いいんですよ。メリー……俺はあなたのものなのだから」
ますます泣きじゃくるメリーの頬を指でなぞる。
俺の顔を抑えていた手が外れて肩から背中に回る。
肩に押し付けられた顔がぐりぐりと動いて涙を拭っていた。
優しく背中を撫でていると、フロドがおどおどしている。
『すこしまって』
声を出さずに言うと、フロドが胸に手をあててほっとした顔をする。
メリーがおずおずと顔をあげて俺を見る。
目のふちと鼻の赤くなったメリーはとても可愛い。にこりと微笑むと、すすんと鼻をすすったので、フェアロスの手渡してくれた布で鼻をかんでやる。
フロドの編んでくれた髪をひょいひょいと振る。
「メリーもお揃いにしてもらいますか?」
ん~とメリーが唸って、ちらりとフロドを見る。
「フロドがやってくれますよ?」
じーっと見つめるメリーにフロドが決まり悪げに微笑む。ふんと鼻を鳴らすとメリーが俺の肩に頭を乗せた。嫌だとは言わなかったのでフロドに頷く。
「機嫌が悪くなる前に」
「わかってるよ」
こそこそと二人で囁き合いながらメリーの髪をくしけずる。
髪がひっかかると顔をしかめるメリーにキスをして宥めながら、ものすごい速さで髪を編んでいくフロドを見ていた。
フロドの顔が喜悦に輝いていて、時折、鼻息が荒い。賢いメリーが兄に髪を触られるのを嫌がっていた理由が分かった気がした。
「もっと細く編みたいけどね、嫌がるだろうから……こうして置けば明日の編みこみの時にくせがついて編みやすくなるんだよ」
ふふふと笑う義兄にかける言葉もない。
髪の上の部分を幾筋かに編み終わる頃には、感情の爆発で疲れてしまったのだろう、メリーは俺の肩の上で寝息を立てていた。
「はああああ~出来たぁああ~」
手を噛まれたダメージをすっかり忘れたフロドが大きな声で叫ぶ。
むにゃっとメリーが声を立てて、もぞもぞと動いた。
「本当に本当にメリーの髪は綺麗だよねえ~」
感極まったフロドが怪しげな笑みを浮かべながら、メリーの編んでいない部分の髪を撫でる。メリーが水色の目を開いてぼんやりとフロドの手を見ていた。
「メリー……ベッドで寝ましょうか?」
眠そうなメリーに声をかけると、ん~と頭をあげて首を傾げる。
フロドはまだ嬉しそうにメリーの頭を撫でていた。
ちょっと、べたべたと触りすぎではないだろうか。フロドの手を避けたくて指がむずむずする。
だがしかし、相手はメリーの兄なのだし、いくら俺が嫉妬深いと言っても……いや、ちょっと待て。
フロドの顔が色づき、心なしか息が荒い。
そして……とてつもなくいやらしい目つきをしている。これは、ちょっと行きすぎなのではないだろうか。たしなめようと、口を開いた瞬間に、がじっと音がする。
「う、う、うわぁぁああああたあああああ!」
メリーがぼんやりと寝ぼけた目でフロドの手を噛んでいる。
「わ、解った。わたしが悪かった!もうさわらな……ってギリギリしないでぇえええええ!」
メリーが思い切り歯を食いしばっている。
きっと俺が嫌だと思ったせいだろう。
「メリー……」
おろおろしながら声をかけると俺の表情を見たメリーがぺっとフロドの手を吐き出して、俺に抱き着いてふんと鼻を鳴らす。
フロドがまた手を振りながら、ぴょんぴょんと跳ねている。
フェアロスが耐えかねて思い切り吹き出した。
俺もつられて笑い声をたてると、メリーがへにょりと笑った。
派手な歯型を二つつけて「また明日」と言って出て行くフロドの目は、それでもまだ輝いていて、フェチというのはそういうものなのかと寒気がする。賢いメリーがうんざりしていたのも頷ける気がした。
フロドが出て行って、ふうと溜め息をついていると、メリーが手を伸ばして俺の三つ編みのリボンを引っ張って取る。自分のも取ろうとしたが、それはだめですよと言うと、眠そうに目をこすった。
「あの……ロー様」
呼ばれて目をあげると、フェアロスが顔を赤らめて言葉を濁す。
「もしよろしければ、この後、ネルと明日の演奏の練習を…………」
「演奏してくれるつもりになったのですか?」
「もし……ロー様がお許しくださるのでしたら……」
「もちろんです」
「ありがとうございます」
深々とフェアロスが頭を下げる。
待っているだろうネルの元へ早く行くように促すと、フェアロスは足早に部屋を出て行った。
いよいよ眠くなったメリーがむずかるような声をあげる。部屋の明かりを落として、メリーをベッドに入れると横に滑り込んで上掛けを一緒にかぶった。
もそもそとメリーがいつものように体を半分俺に乗せて、あくびをする。
とろりとした目に向かって微笑むと、メリーがふにゃりと微笑み返した。
優しくその目蓋に唇をつけると、メリーの唇から溜め息が漏れる。
どこかから笛の音と、竪琴の音が聞こえて来る。
お互いに寄り添うような音が、夜の空気を震わせていた。
城の中は明日の準備と期待でざわざわと落ち着かないようだ。
あちこちから準備の時間の無さを嘆く声や、自分の作業が終わった安堵の溜め息が聞こえる。
だが、この部屋だけはそこから切り取られたように静かで平和だった。
明かりのない部屋の中は青白い月の明かりで満ちている。
美しい月の明かりは、メリーの髪は艶やかに輝かせ、頬を白い彫刻のように見せている。
ふと不安になって、指をそっとメリーの口に近づけた。
穏やかな息が指にかかって、ほっとする。
明日には祝福されて、メリーと俺は結ばれる。
慄くような喜びを噛みしめる。
その中には痛みが隠れていたが……俺はそれに蓋をすることを許した。
踊る心を抱えて眠れないまま、俺はメリーの顔をひたすら眺め続けた。
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