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狼は白薔薇は結婚する(1)
朝早くから騒動の連続だった。
「伴侶の姿は式の前まで見てはいけないことになっています」
女官達が言って、俺に部屋を出て行くように促す。
不安を感じながらも、エルフのしきたりはそういうものだと言われるとなんとも反論できず、扉の外に追い出された。
「すぐに終わらせますので」
きょとんとした顔のメリーがついて来ようとしたが、衣装を着せる為の女官達がにこやかにそれを止めて、扉が閉まる。
耳を澄まさないようにするのに苦労した。
メリーは俺の恐れや不安を反映する。
心を穏やかに保たねばならない。祝福される喜びで心を満たそうとする。
だが、それは難しかった。
体術師として、精神の操作は慣れているはずなのに、メリーのことが関係すると俺は冷静でいることが出来ないのだ。
ふっとメリーの泣き声が聞こえた気がして、耳がぴんと立つ。
『ろ、ろ、ろ……』
涙の混じったメリーの求める声にうなじの毛が逆立った。
ざわざわと身の内を這いまわる不安のままに、扉の取っ手を引くと、内側から鍵がかかっていると気がついた。どさっと何かが倒れる音と、メリーのぴいと鳴く声。女官達の慌てたような声がそれに被さると、握った手にぐっと力が入る。
『ろ、や、や』
怒りに目がくらむというのはこういうことなのか。床に何かがぶつかる音がそれを煽り立てた。力まかせに取っ手を引くと阻む鍵がガチリと音をたてた。その音に背中を押されて、やみくもにドアノブを引っ張ると扉がミシっと悲鳴をあげた。もう一度力まかせに引くと、きしきしと扉が音をたてる。ずるりと扉が抜ける感触。そして壮麗な装飾の施された扉が枠ごと外れた。
力のままに扉を後ろに投げ飛ばすと、粉塵が辺りにもうもうと舞いあがった。
女官達が悲鳴をあげている。
部屋の中に進むと、怯え切ったメリーが床に丸くなっていた。
露になった肩に怒りがこみ上げる。
口から唸り声があがった。びりびりと窓ガラスが震えて、蹲ったメリーがぱっと顔をあげる。くしゃくしゃの泣き顔がほっとしたような泣き顔に変わる。
伸ばされた腕をつかむと護るように腕の中に抱き込んだ。
「ろ、ろ、ろ」
ぎゅっと首に回された腕と、安心してすすり泣く声。
頭に登った血が静まって、しんと静まり返った部屋に、大変なことをしてしまったと気がつく。
耳を押さえた女官達が恐怖にひきつった顔で俺を見ている。
破壊され、飛ばされた扉が通路の向こうの壁にめりこんでいた。
俺はなんてことをしてしまったんだ。
恥ずかしさと罪悪感で身体が震えた。
それを感じたメリーが俺の頭を抱きこんで隠そうとしている。
「メリー……」
どうしていいかわからず、部屋の中で俺達は立ちすくんでいた。
喜びで溢れた日のはずなのに、俺はそれを滅茶苦茶にしてしまった。
喉の奥に塊が詰まっている気がした。メリーの喉元に顔を埋めて、息を吐く。
メリーがぴいと声をあげて、誰かを威嚇した。
「これはまた、派手だねえ!」
けらけらと笑うフロドの声が聞こえた。
「どうしたのですか?」
フェアロスの厳しい声も聞こえる。ぼそぼそと女官の言い分を聞いたフェアロスが舌打ちをした。
「私が戻るまで始めないようにと言っておいたはずですよ?」
フェアロスの足音がして、ぴいとメリーが威嚇する。
がじがじと歯を鳴らすメリーにフロドが慌てたように言った。
「私はなにもしてないだろう? ね?」
何か言わなければならないと思うのに、何も言えない自分がふがいない。メリーに顔を覆われたままで身じろぎもしないでいると、フェアロスが心配そうに声をかけてくる。
「ロー様。不手際があり、申し訳ありません」
ゆっくりと頭を振ると、横目でフェアロスとフロドを見る。
「ごめんなさい」
掠れた声で謝るとフェアロスが頭を振る。
「メリドウェン様が動揺されれば、ロー様が心配されるのは当たり前のことです。わたしがもっとちゃんと指示を出していればこんなことにはならなかったのですから」
メリーのあらわになっている肩と胸が気になって、布を引っ張った。
メリーを床に立たせると、もたれかかって来たメリーが心配そうに顔を覗きこんでいた。なんとか笑顔を作ると、フェアロスに頭を下げた。
「メリーを……お願いします」
一歩離れようとすると、メリーが無言ですがりついて来る。
俺にはその手を振りほどくことなど出来なかった。
「俺は……」
「ねえ。これじゃメリーは衣装なんか着れないんじゃないの?」
フロドが溜め息をつくと、女官達に言う。
びくりとして俺が振り向くと、フロドがやれやれと言うように頭を振る。
「時間までに衣装をちゃんと着せてないと、母上がお嘆きになると思うんだけどね」
女官達の顔が蒼白になる。
「メリーの事情も特殊なんだし、この際、しきたりとかそういうのはいいんじゃないかな」
「そうですね、ロー様には、ここにいていただきましょう」
フェアロスが言うと、一斉に女官達が頷く。
結局、俺以外の人が手をかけようとするとメリーが暴れて仕方なかったので、俺が衣装を着せることになった。
「む、むこうを向いていてください」
俺が言うとくすくすと笑いながらみんなが後ろを向く。
豪華な刺繍の入った薄絹を渡される順番にメリーに着せながら、ああでもないこうでもないと打ち合わせの指導をされて、もたもたとメリーに巻きつけていく。
そうやって布を巻きつけていく度に美しくなるメリーに俺の心は浮き立つ。メリーは布を不思議そうに見ていたが、俺が嬉しそうなのがわかったのか、大人しくしている。
最後に裾の長い銀と薄い水色の刺繍に覆われた白のドレスを着せると、銀で出来た腰帯をつけた。
「さあ、わたしの出番だね!」
フロドが指をならしながら、うきうきと近づいてくる。
メリーが、がしっと歯を鳴らす。びくつくフロドにくすくすと笑いながら滑らかな頬を挟んでメリーの瞳をのぞきこんだ。
「メリー。だめですよ?」
いい子にしてとキスをすると、メリーが頬を染めて俺をじっと見る。
小さく切った果物を食べさせたり、指遊びをしたり、メリーをあやしている後ろでフロドが髪を結い上げている。
どうやってやっているのか全くわからないが、複雑に編まれた髪が冠のようにメリーの頭を覆って行った。
「さあ、出来たよ!」
フロドが誇らしげに言う。
その出来栄えを見て、俺は言葉を失った。
細かい編みこみと編みあげをぐるりと頭に巻いたメリーは本当に美しかった。そこから流れる髪はまるで銀の川のようだった。
「これにヴェールとティアラをつけるんだけど、それはローが衣装をつけてからだね」
そういうフロドに頷くと、俺はメリーの手を引いて鏡の前に立たせた。
メリーは自分の姿を見てきょとんとした顔をしている。
鏡の中の自分と、俺の姿を順番に触って、ただ平らな感触に戸惑っているようだ。
メリーの頬にキスをすると、鏡の中の俺もメリーにキスをした。
その姿を見て、メリーが首を傾げる。
ぺたぺたと自分の顔に触り、鏡の中の自分がそうするのを見る。
鏡に触れて、中の自分をつかもうとして首をひねり、それから鏡の中の俺の顔に触れ、キスをしようと唇を鏡に寄せた。
「それは俺のものですよ?」
くるりとメリーを振り向かせると、軽く唇を合わせる。
されるがままにキスをしたメリーが、横目で鏡を見て、きいきいと怒りの声をあげる。
「ほら、あれは俺とメリーだ」
くすくすと笑いながらもう一度唇を重ねると、鏡の中の俺達も唇を重ねた。ん?と首を傾げたメリーが鏡を見ながら俺にキスをする。
鏡の中の俺達がまたキスをするのを見て、メリーが鏡に触れる。
差し伸べられたメリーの手と鏡の中のメリーの手が触れた。
メリーの腰に手を回すと、メリーが力を抜いて俺にもたれかかる。
美しい顔に微笑みが浮かぶ。
「あなたは本当に美しい」
掠れた声で囁くと、メリーがじっと俺を見る。
「さあ!急いでローも支度しないと!母上に殺されてしまうよ!」
手を打ち鳴らすフロドに、はっと我に返って周りを見回すと、フェアロスが慎ましげに顔を背けている。女官達は一様に頬を染めて胸を押さえていた。
邪魔をされたメリーがフロドに向かってがじがじと歯を鳴らす。
「ず、随分時間が押してるんだよ。メリー」
びくびくしながらフロドが後ずさる。
女官達が差し出す衣装を纏おうと、無造作に服を脱いだ。
それを見たメリーが急に俺に飛びついて来る。
「メリー?」
耳を塞ぎたくなるようなきいという声が響く。
メリーが薄く繊細な上衣を開いて俺を包み込もうとした。
ぎっと辺りを見回してまたぴいと叫ぶ。
衣が裂けてしまうと押さえようとすると、怒ったメリーがまた声をあげる。
「や!や!」
「すぐに下がりなさい!」
事態を察したフェアロスが女官達に声をかけた。
「フロド様も!」
ばたばたと皆が出て行く。
フェアロスが最後に外れた扉の枠から顔を出して言う。
「メリー様が落ち着いたらお呼びください。適当で構いませんので、肌は必ず覆って」
ぶうぶうと唇を鳴らすメリーを抱きしめて揺らす。
「俺を見られて怒ったのですか?」
ぎゅうとメリーが抱きついてきてすりすりと素肌に顔をこすりつける。
くすぐったくてと笑うと、俺の笑顔を見たメリーの頬が赤くなった。
「俺はあなたのものなのだから、怒る権利があるけれど……多分、俺を見て変な気を起こす人はいないと思いますよ?」
リスのように、メリーのほほが膨らむ。
膨らんだ頬を指でつつくと、ぶうと唇から空気が漏れてメリーがけたけたと笑う。
美しい衣装を着て、そんな風に無邪気に笑うメリーはとても可愛い。
キスをしようと身を屈めると、廊下から咳払いが聞こえる。
「早くしろと怒っている」
キスが熱くなるのは分かっていたので、身を起こして溜め息をついた。
頬を膨らませて怒った顔をすると、メリーが両手で俺の頬を押す。ぶうと鳴った俺の口にまた無邪気に笑い声を立てた。
しっぽにちょっかいを出すメリーを避けながら、大雑把に衣装を纏っていく。
黒で統一された衣装は確かに俺の為にしつらえられたものだった。ぴったりのサイズのそれは七色の光沢のある不思議な軽い布で出来ていて、しっぽのある俺に配慮したデザインになっていた。
王国風でもないオオカミ達の衣装とも違う、エルフたちのまとう衣装をはおると複雑な打ち合わせに戸惑う。
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