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狼は白薔薇は結婚する(2)
「よろしいですか?」
フェアロスから声がかかって、返事をすると、フェアロスだけが中に入って来た。
メリーは床に座り込んでしっぽをにぎにぎと握って遊んでいる。
ちらりとフェアロスを見たが、その存在には慣れているようで警戒はしないようだ。
フェアロスが静かにと指を口に当てた。
俺達が会話するとメリーが腹を立ててしまうのを心得ているのだ。
フェアロスが手早く服を整えていく。
エルフ達の手仕事は複雑で、とんでもない隠れた場所にボタンがあったりするのだと気がついた。
美しいオオカミの紋章の入った上衣を被って腰帯を大きな銀のバックルで止めるとフェアロスが満足げに頷く。壊れたドアから顔を覗かせていたフロドがうきうきと近づいて来て、俺の髪を丁寧に後ろに撫でつけた。
「いいじゃないか?ねえ??」
鏡に映された自分をじっと見る。
エルフの衣装を纏い、髪を撫で付けられた俺は毛色の変わったエルフのようだった。
自分が自分でなくなってしまったようで、何か居心地が悪い気がする。
無意識で尻尾が動いてしまったのか、尻尾が指からすり抜けてしまったメリーが鏡に映った俺の姿を見て立ち上がる。
どこか曇った水色の目が俺の顔を見る。
眉が寄って、唇が不満げに突き出てくる。
「メリー?」
声をかけると、優雅な手が持ち上がって俺の髪の毛をくしゃくしゃとかき回す。
「メリー!」
フロドが叫ぶと、メリーがフロドの顔を見て、がしがしと歯を鳴らした。
「せっかくやったのに」
そう言うフロドにメリーは唇をぶうと鳴らすと、俺に我が物顔でキスをした。その間も、フロドの作品をぶち壊すかのように、手が髪の毛をくしゃくしゃにしてくる。
唇が離れる。鏡を見て、ふうと息を吐いた。
髪がくしゃくしゃの俺は、異国の衣装を纏っていてもやはりオオカミの国のローだった。そう思えることが、国を離れている俺にどれほど安らぎをもたらすか、この人は気付いているのだろうか。
へにょりとメリーが笑う。
気づいていないのだろう。気づくはずもない。
それでも、こうやって何度でもメリーは俺を救ってくれる。
「そのままにするかい?」
ふうと溜め息をついたフロドが聞いてくる。
「構わないのであれば」
「メリーがそれを好きだって言うんだからしょうがない」
メリーがにこにこして俺に寄りそうのを見たフロドが笑う。
「さあ……やってしまいましょう」
フェアロスと女官達が宝飾品の箱を山ほど運んで来た。
目を丸くする俺に、フェアロスが微笑む。
「メリドウェン様の宝物庫が開いたのですから、少々のことでは済みませんよ?」
** ** **
すべての準備の済んだメリーはまさしく星のように美しかった。
豪華な衣装に数限りない宝石を身にまとい、霧のように薄いヴェールにティアラをつけた俺の愛する人。薄いヴェールの下から俺を見上げるメリーに心が痛くなるような恋慕を感じる。
「とても綺麗です。メリー」
当人はこの扱いに飽きて不機嫌になっているようだが、俺がメリーを見て顔を輝かせていたからどうにかこうにか我慢しているのだろう。不機嫌そうな顔で抱きついてキスをねだる唇にヴェールの上から触れるだけの優しいキスを落とすと、その顔がますます不満そうになる。
「これ以上のことをすると、おれはあなたをくしゃくしゃにしてしまう」
ね?と首を傾げると、腕にぎゅうと力が篭った。
優しく抱き締めると、首元でくーんとメリーが鼻を鳴らす。
「さあ、急ぎましょう」
フェアロスが俺を急かす。
メリーと手をつなぐと、エルフ達の祭壇の間へと案内された。
「参られよ、若い恋人達よ」
開いた扉の向こうから、妖精王の朗々とした声が聞こえる。
創世の神の祭られた祭壇は水晶のモザイクで出来たひどく美しい場所だった。外から入ってくるわずかな光を反射して、暗いはずの閉鎖された空間は幻想的な明るさを保っていた。
神の成した偉業を称えたモザイクの壁には創世に作られた、エルフ、オオカミ、ヤミの三つの種族とその上に立つ神が描かれている。
天井には不思議な光を放つ月を模した明かり。天井には無数の水晶の星。そして隙間を金色の粒の浮かぶ濃い青の石が埋め尽くしていた。
まだ昼下がりだというのに月明かりの下にいるような空間で、着飾ったメリーとその親族はまるで幻のように美しい。
沢山の人に怯えるメリーのためなのか、それともそれがしきたりなのか。王族以外の人はいないようだ。
メリーはきらきらと光る部屋の中をきょろきょろと見ている。俺が手を差し出すと、何のためらいもなくメリーがほっそりとした指先を乗せる。その手を引いてゆっくりと王の元へ歩み寄った。
メリーの美しい姿に兄弟たちが感嘆の声をあげる。
祭壇にはもう一人、メリーの母が白の装束を着て立っていた。
「私は王に求愛される前には、物見として司祭をしていました。
今日は私が司祭として、あなた達の結婚を祝福したいと思います」
知らない人に怯えるメリーの為にそうしたのに違いない。
俺は微笑んで頷いた。
柳の枝を振って、儀式は始まった。
共鳴によって奏でられる音楽、俺にはわからない古代の言葉で式は進行して行く。時々メリーが俺の服の袖を引く。
笑顔で見下ろすと、少し不安げな顔がへにょりと笑う。
最後にまた柳の枝が振られて、その葉の先が俺とメリーの身体に触れる。
「魂で結ばれた二人に、創世の神の加護がありますように。
さあ、キスをして」
ヴェールを持ち上げるとメリーにキスをした。
この人が本当に俺の物になったのだと思うと、喜びが身体をかけ巡る。
「愛していますメリー」
水色の瞳に囁きかけると、ぱっと笑顔が広がった。飛びついて来た細い身体を抱き締めると、メリーが我が物顔で俺の首に手を回してキスをする。
それに応えて何度もキスを交わしていると、妖精王が咳払いをする。
きっと俺はでれでれとにやけた顔をしているだろう。
メリーに寄り添いその手を握る。
「良ければ、国の者達に姿を見せてやって欲しい」
導かれて下を見渡せるバルコニーに出た。
沢山のエルフ達が顔を輝かせて俺達を見ている。
歓声はなかった。押し殺した小さなざわめき。
誰かが手を振ると、波が立つように沢山の手があがって、ゆっくりと振られる。
メリーが戸惑ったように俺を見る。
俺が手を振ると、メリーがまねをして手を振る。
堪えきれない喜びがエルフ達を震わせていた。
「エルフの国の皆さん。俺にメリーを与えてくれて、ありがとう」
俺が頭を下げるとメリーもひょこんと頭を下げる。
俺達がバルコニーから出て部屋の中に入ると、どっと歓声があがった。
怯えたメリーがぴいと鳴きながら飛びついて来た。ああ、彼らは幼いメリーを驚かさぬよう、その喜びの声を抑えていたのだ。
メリーを宥めながら、エルフ達の鳴り止まない歓声に耳を澄ました。
緊張していたメリーが、腕の中で少しずつ穏やかさを取り戻していく。
フェアロスが頃合を見計らって声をかけて来た。
「数刻後に、晩餐があります。それまでお二人でおやすみになられますか?」
晩餐にはもっと簡単な服が用意されると聞いて、メリーの複雑に編み上げられた髪を解きながら頷いた。フロドがやりたがったようだが、フェアロスが断ったようだ。
それからメリーをゆっくりと風呂につけた。いい香りの石鹸をつけて全身を洗い終わる頃には、メリーは疲れてうつらうつらし始める。フェアロスの魔法で髪が乾く頃には、メリーはすっかり眠たくなってぐずり始めていた。
「お昼寝しましょうね」
こっくりと頷くメリーを抱き上げてベッドに横たえた。その隣に潜りこむと、むにゃむにゃと口を動かして俺の上にメリーが乗って動かなくなる。
かすかな寝息をたてるメリーをじっと見てほっと息を吐いた。
沢山の宝石に飾られ、星のように美しいメリーを見るのは喜びだ。
だが、俺の隣ですべてを晒しているメリーが一番好きだと思う。身体に半ば乗ったメリーの重みが愛おしい。
俺はメリーの寝顔を眺めながら、銀色の髪を指ですいた。
晩餐の時間が来ても、メリーは目を覚まさなかった。
一足先に起きた俺は、メリーの為の菓子の仕上げをする。
エルフの好む果物の入ったパイは、昨日から仕込みをしていたものだ。空いた時間を使ってエルフの料理長が教えてくれた。甘く煮た果物も、周りの生地も俺が作った。果物と黄色いクリームを混ぜると敷いた生地の上に流しこむ。
細く格子にした生地に飾りの薔薇の形の生地を乗せた。焼くばかりになったパイをフェアロスが受け取って、部屋の外に控える料理長に渡すと、料理長が満足気に頷いた。
「とてもよく出来ています」
「ありがとうございます」
料理長が行ってしまうと、フェアロスが晩餐の為の衣装を持ってやって来る。すやすやと寝息を立てているメリーを見下ろして、俺はため息をついた。
「気を入れれば起きるのでしょうが……それをすると……」
メリーは俺が欲しくなってしまう。
そう言うのははばかられて口ごもった。顔を赤らめながら、ちらりとフェアロスを見ると、フェアロスが訳知り顔で頷いて言った。
「無理に起こす必要はないでしょう。メリー様の状態は皆知っています。
しっかり意識があって、怯えてしまわれるよりも、お眠りになられている方が良いかもしれません」
「そうでしょうか?」
「生意気なようですが、昨日の一件のせいでロー様も気の力を回復されておられないのではありませんか?」
「それは……そうなんですが。でも、大丈夫です」
「ロー様は無理を通すところがありますから……あてにならないというか……したくないというか……」
「かなわないな」
苦笑いをすると、フェアロスがにこりと微笑む。
「どんなメリドウェン様でも、居てくだされば私たちは喜びます。
眠っていらっしゃっても、起きていらっしゃっても」
「そうですね。俺もそうです」
すやすやと眠るメリーの頬にそっと触れた。
もにゃもにゃとメリーの口が動く。はくっと口が動いて俺の指を舐める。
「お腹が空いているみたいだ」
「ならば、ロー様のパイの匂いを嗅いだら起きてくださるかもしれませんよ?」
「ああ、そうならいいな。うまく出来ているでしょうか」
「妖精王の料理人のレシピですから。ロー様は器用でいらっしゃいますし」
「そうですか?」
「そうですとも」
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