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狼と白薔薇は結婚する(3)

 先ほどの正装よりは華美ではないが、それでも美しいエルフ達の衣装を身につけながら、微笑みを浮かべる。寝たままのメリーの着替えを始めようと、上掛けをめくろうとして手を止めると、察したフェアロスが部屋から出ていった。  俺がメリーの肌を他人に見せるのを嫌がるのを知っているのだ。フェアロスは本当に優秀だ。  上掛けの下には丸くなっているメリーがいる。はおっただけの部屋着からは滑らかな胸と、細く白い足が覗いている。  上掛けを剥がれて寒いだろうに、それでも動かないメリーは、まるで人形のように見えた。微かに指が震える。  ちらちらと器を失った時のメリーの姿が浮かんでは消えた。  それを断ち切るようにぎゅっと目を瞑る。  ん……メリーが微かな息を吐いて、布団の上に手を這わせる。俺を探しているのだと気がついて手を握ると、ふうとメリーが息をつく。  ころりと身体を転がして、帯をといて何も身につけていない裸の身体に下着を着せてやる。そうしても起きないメリーに心が痛んだ。  気を入れれば……そう囁く心の声を握り潰す。  発情を伴うその行為は慎重に行うべきだ。  気を流した後のメリーは媚薬を使ったのではないかと思うほどに乱れて俺を求める。そんな姿を両親や兄弟に見せられるわけがない。  下着を着せ終わると、弱気な心を隠してフェアロスを呼んだ。  美しい衣装を身に着けるのを手伝いながら、《契約(インクルード)》を結べばメリーはきっとよくなると自分に言い聞かせた。  眠るメリーを抱き上げて、祝宴の会場へ向かう。  フェアロスに案内されたのは、王の玉座の間で玉座には王と王妃が座っていた。  水晶と大理石で作られたその部屋の中は冬の今、寒々とした趣を保っていたが、よく見ると柱の中には水が通っていて、それが何かの術で暖められているようで、部屋の中は温かかった。  玉座から数段下がった場所には、沢山の食べ物の乗せられた長い卓と座り心地の良さそうな長椅子がしつらえてあって、そこが俺達の座る場所なのだろう。  両脇にも卓と椅子がしつらえてあって、目も彩な食べ物が沢山乗っていた。果物で作られた木に、たわわに実る細工された果実。蜂蜜の流れる川には、薔薇を模した菓子が浮いている。  透明なゴブレットには、黄色の酒が満たされていた。  そして、そこにはメリーの兄弟達と沢山のエルフ達が座っている。  開け放たれた扉をくぐると、ざわついていた場が静まった。  王が立ち上がり俺達を手招く。  しんとした会場を動かぬメリーを抱いて進む。  祝いの宴だというのに、静かな広間に不安になる。  ぎくしゃくと長椅子に腰掛けて、メリーの頭を肩に乗せて、目をあげると、皆が俺達をじっと見ていた。  戸惑うようにそれを見返すと、階段から降りてきた妖精王が長椅子の後ろに立ってメリーの頭を撫でる。 「起こしてはならんかと思ってな……静かにしている様に言ったのだが」  そうだったのかと思い、ほっと息を吐く。 「深く寝ている時には何をしても起きませんし、起きても俺がいますから……」  王が溜め息をつき、その場の空気が緩む。  やったというように、双子の王子が手を打ちあった。 「そうか……では乾杯をしても構わんかな?」  俺が頷くと、ガルムが立ち上がって杯を掲げる。 「黒い狼と白い薔薇の結婚を祝おう。  優しき狼と麗しき薔薇に幸運の訪れんことを!」  一斉に皆が立ち上がり盃を掲げる。  王子達を筆頭に次々とエルフ達がやって来て、祝いの言葉を告げていく。  ガルムはまだ俺との手合わせを諦めていないようだし、双子は相変わらず何か愉快でとんでもないことを企んでいるようだった。ネルはフェアロスを伴ってやって来て、内気な微笑みを浮かべて俺たちを祝福した。フロドは寝ているメリーを見て、髪をとても気にしているようだったが、皆の白い目に涙目で引き下がって行った。  その他のエルフの貴族たちもぞくぞくとやって来て、祝いの言葉を告げて行く。一生懸命彼らの名前を覚えようとしたのだが、数が多すぎてこんがらがってしまい、最後は曖昧に頷くだけになってしまった。  祝いの言葉が終わると、音楽が鳴り響き、夢のように美しいエルフ達が踊り始める。幻想的な照明の中二人一組で、くるくるとお互いの周りを回って踊るエルフ達の姿はとても優雅だった。  眠り続けるメリーを見下ろして、賢いメリーもああして踊っていたのかと思うと胸が締めつけられる。  ぼんやりと踊るエルフ達を眺めた。  指はメリーの腕を撫でていた。  前にメリーが俺に言った。俺は無意識のうちに常に微弱な気を体に纏い、敵からの攻撃に備えているのだと。  俺はメリーを無意識のうちに撫でていた。だから、自分が何をしているのか、全く意識していなかった。  音楽の切れ間に、ふと腕の中のメリーの体温が上がっているのに気がついた。目を下ろすと、腕の中のメリーの瞳がぱっちりと開いている。薄く開いたつやつやしたの唇の間から、蠱惑的に桃色の舌がちらりと覗く。ふわりと香る発情香にメリーが目を覚ましたのだと気がついた。  力では負けるはずがないのだが、不意を衝かれてあっと思った時には柔らかい敷き物に覆われた長椅子に押し倒されていた。  恐らく俺は自分の自動反射の攻撃の対象からメリーを外しているのだ。  メリーがもし俺に殴りかかったとして、俺はそれに耐えることが出来るが、メリーは俺の反撃には耐えられない。だから、俺はメリーを攻撃しない。いや、単にメリーを傷つけることは出来ないと言うだけのことかもしれないが。  メリーが俺を傷つけたいならそうすればいい。  でも、俺はメリーを傷つけることは出来ない。  固まったままの俺にメリーがのしかかって、唇を奪う。  強引に割られた唇の間から、メリーの舌が中に入り込んだ。  とろりと官能を浮かべた瞳が、俺をますます動けなくする。くちゅりと水音をたてて絡まる舌が熱くて甘かった。  キスの合間にメリーの漏らす吐息を追って耳がぴんと立つ。  メリーが俺の上で体をくねらせて、せわしない両手が耳と顔を撫でながら降りて行く。服の上から身体を弄った指先が隙間から忍び込んで素肌に潜り込む。  熱い手のひらの感触に思わず声が漏れた。はぁと開いた唇に、嬉々とした舌が深く差し込まれた。ここではダメだと思うのだが、どうしてだったか思い出せない。  濃く漂うメリーの香りに煽られて頭が働かない。  口の中を這いまわる舌を吸うと、メリーが快楽の声をあげる。  素肌に触れたくてメリーの上衣を乱暴に引っ張る。絹の裂ける音がして、メリーが期待にくーんと鼻を鳴らした。 「いい加減にしなさい」  べりっとメリーの熱い身体が剥がされた。  急に奪い取られた熱に声をあげて抗議する。  伸ばした指が空を切って、急に思考が戻って来た。  ガルムに脇を抱えて持ち上げられたメリーがきいきいと叫びながらじたばたと暴れている。 「ろ!ろ!」  俺は何をしていたんだっけ?  ここはどこだ?  はあと息を吐いて思い出そうとする。 「メリー!」  凍りつくような声に目をあげると、王妃がメリーを睨んでいる。そのまなざしの冷たさにぴいと声をあげたメリーが暴れるのを止めて、だらんと身体の力を抜いた。  視線を感じてはっと目をあげると、踊りが止まっていて、エルフ達があっけに取られ顔でこちらを見ている。もう一度じたっと暴れながらメリーが俺の方に手を伸ばすが、がっしりと押さえつけられて動けないとみると、まただらんとぶら下がった。  口が山のような形になって唇がぷるぷると震える。  目にじわじわと涙が浮かんで、ぐすりとすすりあげた。  荒い息を吐きながらメリーを受け取ろうと手を伸ばすと、ガルムがメリーを高く持ち上げる。 「服をなんとかしなさい」  視線を落とすと前が腹のあたりまで開いている。  メリーは自分の服は脱ぐことが出来ないのに、どうやって開いたのか、腰帯が解かれていた。  ぎょっとして前を合わせると適当に腰帯を結ぶ。  メリーが本当に泣き出しそうになっている。  うえっと漏れる泣き声に、いてもたってもいられない気持ちになった。 「俺が悪いんです。無意識にメリーに気を通してしまって……  それをするとメリーは少し元気になって目を覚ますのですが……ああいう風になってしまうんです」  ああ、俺はどうしてこんなに馬鹿なのか。  メリーに恥をかかせるような真似をしてしまった。  ガルムの腕からメリーをむしり取って隠してしまいたい。  そうしない為には必死で自分を抑えないといけなかった。  それでも喉の奥から湧いてくる唸り声は抑えようがない。  戦いを挑まれたかのように全身が緊張していた。  ガルムが腕の中でメリーをくるりと回すと、前抱きにした。  嫌がったメリーが、ぴいと声を出す。  涙がその目に盛り上がってすがるように俺を見た。  ああ、泣かないでメリー。俺はきっと……『そいつ』を殺してしまう。  ガルムをメリーの兄として見られなくなっている。メリーに煽られて頭がしっかりと働いていないのだ。どうして俺のものを他の奴に触れさせているのかと、怒りが身の内をのたうち回る。  意識をしっかりさせたくて息を吸い込んだ。吸い込んだ息の中にメリーの香りを感じて歯を食いしばる。 「メリーを返してください」  軋るように囁いた。  ざわりとエルフ達がざわめく。俺の様子がおかしいのに気付いたのだろう。ゆっくりと震える手を差し出した。  奪い取らない為には理性を総動員しなければならない。  冷静な目が俺を見ていた。  それを見返す俺の目はどんな色をしているのだろう。  恐らくは怒りに満ちた目をしているに違いない。その怒りを受け止めてもその冷たい水色の瞳は揺らがなかった。  視線を俺から外さぬままに、その唇から声が漏れた。 「メリドウェン」  それは、支配する者の声だった。  古い歴史を持つ妖精の国の王家の正当な後継者。生まれながらにしてその地位にあり、それを当然の事として享受して君臨する皇太子。  その声がその場に落ちる。 「お前のした事がローを苦しめている」  メリーが潤んだ目で俺を見た。 「俺が悪いんだ!メリーは悪くない」  咆哮を放つように叫んだ。エルフ達の悲鳴が聞こえる。  だが、ガルムの視線は揺るがなかった。 「メリドウェン」  静かな声がする。 「ろ……」  メリーが俺を呼んだ。ぽろりと涙が落ちて、耐えられずにガルムに打ちかかる。

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