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白薔薇は狼を捕まえる(1)

「ローはどこにいる?」  目の前のクルフィンに似た顔が愕然とした表情を浮かべた。 「メリドウェン様?」 「手短に行こう。わたしが理解しているのは、わたしが器を失い、発狂するか、それと似たような状態にあったのだろうということ。  それから、ローと《契約(インクルード)》を結んだということ。《契約(インクルード)》のもたらす恩恵と種族間での特性などは心得ている。  それから……何らかの事態が起きていて、それを回避する為には時間がないということだけだ」  目の前の顔が理解を浮かべて息を呑む。 「状況を判断するために手短に質問に答えてくれ。ローはどこにいる?」 「記憶の森に行きました」  記憶の森は王城の奥深く、隠された森の中にある、記憶を操作する森だ。禁断の知識に触れたエルフがその重さに耐え切れず、自分を破壊してしまいそうになった場合に使われる場所。 そこにローが行くということは──── 「何故、ローの記憶を消す?誰が望んだ?」 「ロー様ご自身です。自分のお力をすべて使う為には、自分の中にある優しさや弱さは不要だとおっしゃっていました」 「それまでにローの力を求められる事態とは何だ?」 「戦争です。ヤミ国との戦いで、エルフとヒトの国の連合軍は劣勢を強いられています。それによってメリドウェン様の看護をされていたロー様は招聘され、それを受けたロー様は一刻も早く戦いを終わらせるために、自分は兵器になるのだと」  目の前のエルフが顔を歪める。  自分の記憶を犠牲にし、あんなに恐れていた兵器になることを望んだのか。どうしてだ。そこまで追い詰められたのは何故だ。  いや……わたしはその答えを知っている。 「わたしの命を救う為の決断か?」 「はい……メリドウェン様はロー様の治療によって永らえている状態で……それでも徐々に衰弱されておりました。  いなくなれば……長くは……」  そうか。  器を失った魔法使いは長くは生きられない。  延命の為にローはわたしと番ったのだ。わたしの命が失われれば自分の命も失われるのに。  そしてまた、わたしの延命の為に戦争を一気に終わらせようとしている。  記憶を失い、自らが兵器となる選択をして。  どこまで犠牲になるつもりなのか。  怒りで指先が震えるのを感じた。  叫び出したい気持ちをねじ伏せる。  怒りに身を委ねている暇などないのだ。  賢く、そして素早く。クルフィンはそう言った。  それだけが起こされた奇跡を生かすことが出来るのだと。  胸をぎゅっと押さえると、そこにある温もりが揺れた気がした。  ローが起したという奇跡。  それは、今……ここにある。  わたしの中で揺らめく器。  どうやったのかはわからないが、わたしの中には今、破壊されたはずの器がある。ローの気によって貼りあわせられたつぎはぎだらけの器。それによってわたしはこの身体の中に留まることが出来ている。  ローは何を支払ったのか。  そして、何を支払おうとしているのか。  とても強くて、とても優しいわたしの恋人。  優しさを弱さと勘違いする愚かなオオカミ。 「わたしはローが兵器になることを望まない。  ローを止めなければ────間に合うと思うか?」 「いいえ」  エルフの言葉に偽りは感じられなかった。 「ロー様が出発されてからもう一刻が経っております。  あと半刻もしないうちに、記憶の森に到着してしまう。今から一番速いグリフォンを放ったとしても、追いつくことは叶いますまい」  何か出来ないか。何か……。  器の中に魔力を感じる。わたしという核が戻ったことによって回復しているのに違いない。  魔法……何か使える魔法はないだろうか。下準備なしの転移のような大魔法は使えない。せめて声だけでも届けることが出来たなら。視線を泳がせて、思考をぐるりと巡らせる。 ……ここはエルフの城だ。 「母上はどこに居られる?」 「臥せっておいです。昨日……王と言い争いをされて……」 「母上に会いに行く」 「ご案内致します」  一人で行ける。言いかけて、自分の状況を思い出した。  狂ったと思われているわたしが一人でうろうろとしていれば、誰かに止められるかもしれない。 「頼む」  扉を開けて城の中を風のように通り抜けながら、エルフに話しかける。 「あなたは楽師長のフェアロス?クルフィンの弟の」 「そうです」 「何故、あなたがわたしの側に」 「わたしは楽師長の座を退き、ロー様とメリドウェン様の側仕えとなっておりましたので」 「それは何故?あなたは楽師長である以外にネル兄様の恋人でしたよね?」 「……兄の慢心のせいであなたは妖精の国を去る事になり、器を失うことになった。償いをしたかったのです」 「……わたしは……」 「ロー様に兄を恨むなと言われました。  メリー様はそういった自己犠牲をお嫌いになると。  自由にして良いとは解っていました。しかし、あなた方には助ける手が必要でしたし、私はお仕えしている間にロー様のお心の美しさに心酔し、どうかこのまま側に置いてくださいとお願いしたのです。  ロー様はいつか戦争に行く日が来るとご存知でした。  その時には……見知った私にメリドウェン様の面倒を見て欲しいとお望みでした」 「ローはわたしのものだ」  嫉妬などしている場合ではないのは解っている。  でも。  吐き捨てるように言ったわたしにフェアロスがからからと笑った。 「勿論ですとも。それに疑問を差し挟むものはこの国にはおりません。  私も今はネルと婚約中の身でありますし」 「……そうか、すまなかった」 「大丈夫です。お戻りになられて、間のことが不安になるのは当然の事。余計な事かもしれませんが……ロー様はそれはそれはメリドウェン様のことを大事にされておいででした。見ている我らの心が痛むほど」  わずかな延命の為に命を賭けるほど。  じわりと込み上げてくる涙を呑みこんだ。  泣いている暇などない。ローの腕の中でなければ流す涙に価値はないんだ。 「わたしが知っていたほうがいいことをなんでも話してくれ。  今の状況を詳しく知りたい」  頷いたフェアロスがわたしが倒れた後のことを語り始める。  アーシュはもう亡き者になっていること。  その後にヤミの国の復興が明らかになった。  ヤミ国の復興は何年も前に起こったものであり、気付かれぬうちにあちこちにその手はあちこちに伸びていた。そして、復興が明らかになった瞬間から、その脅威が想像以上のものになっていることが露呈した。  特にいろいろな国との交流を行っていたヒトの国でのヤミの台頭は顕著なもので、ヤミと対峙しているはずの教会にまでその勢力が及んでいたのだという。それを一掃する為にルーカス王の血の粛清が行われた。  ルーカス王は軍を建て直し、ヤミ国の喉元まで詰め寄った。  しかし、そこには完璧に整えられたヤミの軍勢がいた。  黒い穴から湧き出すヤミの軍勢はヒトの国の軍勢を圧倒し、劣勢に追いやっているという。 「穏やかに暮らすお二人を巻き込むのは躊躇われた。  でも、もうそのような状況ではなくなっているのも確かなのです」 「戦況は悪いのか」 「沢山の命が失われております。セルウェン様も負傷され……」  セル兄が。剣を携えた陽気な姿を思い浮かべる。  双子であるナル兄と一緒にあちこちを飛び回っていた。  もし失われれば、ナル兄の嘆きは酷いものになるだろう。 「……死ぬのか」 「いえ。重症ではありますが……生きて国に戻られましたので。  治療に当たられています。何か後に残るものはあるかもしれませんが。……それを見られたロー様はお心を決めたようです」  自分が安穏と暮らす間に失われる命がある。  優しいローには耐えがたいことだろう。 「そうか」  歯を食いしばって足を速めた。  母上の部屋の前に立つと、母の侍女に取り継ぎを頼む。  わたしの様子に腰を抜かしそうな侍女がばたばたと走り去って行く。 「フェアロス」  頭を垂れるフェアロスが目をあげた。  わたしの命はいつ失われるかわからない。  ならば、彼クルフィンの弟に言っておかなければならないことがある。 「わたしはここに来る前、オオカミの黄泉の道の前に飛ばされた。  《契約(インクルード)》によって再構築されたわたしは、この体に器がなかった為にその場所に飛ばされ、縛りつけられた。わたしはローが死んでそこにやって来るまで、そこにいるはずだった。  そこからこの身体に戻してくれたのはクルフィンだ。  クルフィンがエルフの理から外れ、わたしの代わりにオオカミの黄泉路の前に残ってくれた」  フェアロスの顔に驚愕が浮かぶ。 「王子であることを憎むようになったわたしへの償いだと言っていた。  クルフィンのことで……苦労をしたのかもしれない。それについてはわたしが詫びよう。許せないならわたしを恨め。  それから……貴方から永遠に兄を奪ってしまったことについても詫びたい。理から外れたクルフィンはもうエルフとして転生することも、黄泉の国で逢うこともない。  本当に、すまない……」  見開いたフェアロスの目から涙が落ちた。  俯き、片手で額を押さえた彼が微かな嗚咽がを漏らす。 「兄は──相変わらず微笑んでいましたか?」  涙声でフェアロスが囁く。 「──ああ。静かで優しい目をしていたよ」 「私の覚えている兄はいつもそんな風でした」  顔をあげたフェアロスがゆっくりと微笑んで言う。 「私は……長い間、兄への恨みと苛立ちに囚われていました。  火の妖精を宿したメリドウェン様はエルフ族の宝であるのに、兄の軽率な行動でと、周りから言われるままに兄を恨み、自分を恨んでいました。  ロー様にたしなめられて……それから……私の勝手で別れたネルとの仲を取り持っていただきました」  フェアロスが手を心臓に当てた。

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