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白薔薇は狼を捕まえる(6)
ローが縋るようにわたしを見る。
「軽蔑する?嫌いになった?」
ローが激しく頭を振る。
ローの耳がぴんと立っている。それをゆっくりと弄びながら、考えを巡らせた。
わたしの知るローの話は彼を打ちのめすだろうか。
どうしても耐えられないならば……そう、わたしはそれを消すことが出来るだろう。記憶の森の力を借りて、不必要な部分だけを切り取る。
今のわたしにはそれが可能だ。
「少し……話をしよう。ローの本性の話だ。
それにわたしが気づいていたことを、ローは恥ずかしく思ったり、情けなく思ったりするかもしれないが、わたしの気持ちは少しも揺らいでいないことを、心得ていて欲しいんだ」
ローの身体が緊張して、ゆっくりと頭が頷く。
「まず、聞かせて欲しいんだけどね。
わたしと|《契約》《インクルード》を結ぼうと思ったのはどうしてなのかな?
わたしはそれが呪いの類であると言ったはずだし、ローとわたしは異種族なのだから、圧倒的にローに不利であるとわかっていたはずだよね。
わたしが衰弱し、長くはないことは知っていただろう?そうすれば、ローは死んでしまう。なのに何故?」
ぼろりと、その瞳から涙がこぼれる。
切れるような痛みがその瞳に浮かんだ。
「……あなたに、置いて行かれるのが嫌だった。
戦が始まると聞いて…………あなたの側を離れなければいけないと知ったんです。
俺があなたの側を離れれば……あなたはきっと……
その時、あなたについて行きたかった。だから……あなたに自分を縛り付けたんだ」
正直に話してくれたローにほっとする。
震える身体を撫でると、少しだけ力が緩む。
ずっと気に病んでいたのだろう。幼いわたしにはローを許す力はない。
「ローは、自分の心を弱いと感じているのかもしれないが、実際の所、ローの心はそれほど弱くはないんだ。向いている向きが違うだけでね。
ローの心は愛するものを守るためや、一緒にいたい、愛し愛されたいという方向に向かっている。
そして、本性と言ったけれど……ローは、愛する人から束縛されることを喜ぶ性質を備えているんだよ。誰にでもそういう部分はあるのだろうけど、強さを至上とし、群れを統率することを善しとする、オオカミという種族の中では特殊なのだろうと思う。
そして、このわたしもまた特殊な存在だ。
わたしが炎の妖精を身に宿しているという話は聞いただろう?」
こくりとローが頷いた。
「炎の妖精は創世の神が、後から我々にもたらした属性だ。
わたし達の冷静さが気に食わないと言ってね。
創世の神というのは神というよりも、悪魔のような存在なのではないかとわたしは思っているんだけどね。嵐のようにこの世界を作り、沢山の理と愛と呪いを残して忽然とこの世から消えてしまった。今は何処にいるんだろうね……こうして、わたし達が自分の作った理の中でもがくのをどこかで高笑いで見ている気がして仕方がないんだけど。
炎の妖精は、他の妖精の圧倒的な愛を鼓舞して受け取りながら、自らの愛したものにたやすく自分の命を捧げるという性質を持っている。属性としては絶滅しているのに、こうやって時々、エルフ達の傷をえぐるように他の属性の中に紛れ込んで、愛され、悲劇の種になるんだ。
そして、このわたしも炎の妖精にふさわしく、ローを愛し、悲劇の種になった。
それはね、きっとエルフという種族が知識に溺れ、高慢にならないようにと組まれた仕組みなのだと思う。どうしようもない恋慕や訪れる悲劇によって、エルフ達がいかに愚かな存在なのかを思い知らせる為のね。
そんなわたしは、余すことなくローを求めている」
ぐいっとローの顔を引き上げて、その銀色の瞳に微笑んだ。
「ロー」
どこか怯えた目がわたしを見る。
「ローがわたしを愛し、わたしに従属しようとすることは、わたしにとっては幸運以外の何物でもないんだ。
わたしは、とても欲張りでローの全てが欲しいのだから。
溶けた銀の瞳、黒く波打つ髪の毛、素敵な耳に、ふさふさの尻尾。鍛えられた肉体も、甘く優しいその心も。それに……わたしを愛するが故に時折現れる荒々しい獣のローも。すべてを愛し、平らげ……────そしてもっとと欲する。
それがわたし、ローの恋人であり、今は伴侶であるわたしなんだよ」
ローの身体にさざなみのように震えが走る。
「わたしが怖いかい?もしそうならば、ローの記憶を消してあげよう。
ローの本性も、わたしの本性も。それから、ローを苦しめる幼いわたしの記憶もね。必要ならば……わたしが戻るまでの苦しい記憶も。
ローのくれたこの新しい力ならば、それも可能だ」
涙で潤んだ瞳がわたしを見上げた。
言いすぎてしまったかもしれない。
痛みと絶望に濡れた瞳を覗きこむ。
軋んだ声が囁く。
「俺は……俺は……メリーがそうでいいと言うならそれでいい。
俺はあなたのもので……どこまでも、すべてがあなたのものだというのなら。───離れなくてもいいのなら……それだけで」
ローの頬を涙が滑り落ちる。
その涙に舌を這わせると、ローがわたしを押し倒した。
「あなたが忘れろというなら、すべて忘れる。
覚えていろというなら……ずっと覚えている。
俺は……あなたに愛されたい。
メリー……俺をあなたのものにして欲しい。
どこにいても、何をしていても。この俺がメリドウェンのものであるとこの身に刻んで欲しい」
ローの苦痛に満ちた瞳をじっと見る。ローの心の傷はとても深い。
何度も何度も味わった絶望がローに傷をつけてしまった。
だが、それがなければ、恐らくわたしはここにはいない。
この苦悩と絶望、そして揺るがない愛がわたしを再構築する対価となったのだ。
「あの子のことは、覚えていてあげなさい。
確かにあの日々の中でローを支えていたのはあの子なのだから。
ローが苦しんでいたことは、胸が痛むけれど、その苦しみからわたしは産まれた。その過程を覚えていて欲しい。
そして、それに対してわたしはずっと対価を払うよ。ローを愛し、この身に縛りつけることで」
「……はい」
首筋に激しく吸い付かれて声をあげた。
激しいキスの合間に、蕩ける蜜のような声で囁く。
「わたしたちがお互いの本性を知っていることは……それを受け入れた上で愛し合うことは……本当に素晴らしいことだと約束するよ」
ローの熱い塊がぐりっと押し付けられて、身体をくねらせた。
熱く燃える銀の瞳の底をさらうように眺め、悠然と微笑む。
ローの首にキスをしようとして、巻いてある布をずらす。首をぐるりと彩る茨に指を這わせると、ローが硬い声で囁く。
「契約の証です。普通は小さな痕が出来るようですが……俺にはこんな風に現われた」
「これを恥じている?」
「いいえ」
はっきりと答えるローに微笑むと、首を彩るそれに唇をつけて吸い上げた。敏感になっているのか、はあとローが息を詰める。
「素敵だ。きっと……わたしのローに対する執着の形なんだろうね」
ローが息を呑んだ。
「わたしのものだという印だものね。こんな目立つ場所で、こんなにはっきりしていては、もう他の人のものにはなれないでしょう?────嬉しい?」
「とても」
「いい子だね……ロー。とても可愛いよ」
ぞくぞくとローの身体が震えて、密着した熱が大きくなる。
「ローがこの身体に教えたことを二人でおさらいしよう」
襟元を大きく開くと、咲いたばかりの薔薇の匂いが濃く広がる。
かすかに喉の奥でローが唸る。
獲物を狙う獣のような声にうっとりとしながら、口づけを交わした。
ローの指が全身を撫でて行く。もどかしい程優しい指が慣れた楽器を弾くように、快楽を引き出していく。
わたしが触れると、ローが微かに震える。吐く息が乱れてきゅっと唇を噛んだ。
幼いわたしはとても大事にされていた。
それは、交わりの場でもそうだったに違いない。
力を抜いて、ローのするがままに快楽を味わう。
この身体はもうその刺激に慣れていて、従順に与えられた喜びをなぞっていく。
ローが入ってくると喜びの声が漏れた。
戸惑ったようにローが動きを止めて、キスをして来る。
「痛くはないですか?」
「とても……とてもいい感じだ」
突き上げてくるローの動きにあわせながら快楽に身を任せる。的確にわたしのいい部分をゆるく突く動きに頭がくらくらした。
浅かった突き上げが徐々に深くなって、荒い息が漏れる。
「んあっ……あっ……んっ……ローぉ……イっあ。そこ……」
悲鳴のような声が漏れると、速くなりかけた動きが鈍くなる。ローが腕の中で震えながら、自分を抑えたのを感じた。
「メリー……声を……声を聞かせて」
ローが咽びながら囁く。
何を言われているのかわからず、ローの瞳を覗くとその瞳が涙をこぼした。ローはまだこの幸運を信じ切ることが出来ずにいるのだ。
そして、目の前のわたしが、本物であるのかを確かめたがっている。
「愛しているよ。わたしの狼……」
その声に強く叩きつけられたローを最奥に感じて声をあげる。
「んっ……すごく……素敵だ……」
ローが目を見開いて、わたしをじっと見る。ゆらゆらとその瞳に痛みが揺れる。引き裂くような声がその唇から漏れる。
「どうしよう……メリー……」
大粒の涙がその頬を伝う。
「寂しくない。寂しくなんかないんです。
俺は酷い男だ……幼いメリーは愛らしくて、それは一生懸命で。俺を愛していた。俺も愛していると思っていた。
でも、でも……あなたを見たら。
あなたのその澄んだ水のような瞳を見たら……。俺は……あなたを愛しているんです。あなたといたのは本当に短い間で、その後はずっと幼いメリーといたのに。それなのに。
あなたは戻ってきたんだ。それが嬉しくてしかたがない。
どんなに考えても……あなたが消えるくらいなら……」
震えるローを掻き抱く。涙を流し続けるローの唇を奪い、その涙を舐めとった。震える声でローが言葉を吐き出す。
「信じるのが怖い。奪われたらどうしよう。
この喜びを味わって……それからあなたが消えてしまったら……
俺は…………もう、きっと……ああ、壊れてしまう」
心配しないで。そう言ったところで、ローの不安は消えないだろう。よろりとベッドから起き上がると、ローが慌てて腕を差し伸べた。
その手をつかむと、素肌を晒したままでローの前に立つ。
窓からの太陽の光が部屋の中のほこりをちらちらと光らせている。その中に立つわたしはローの目にどう映るだろう。
美しく映っているに違いない。
ごくりと動いたローの喉を見て、誘うように微笑む。
「わたしは消えたりしないよ?」
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