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白薔薇と狼の終わりの話
いい匂いがする……。
見えてきた家に鼻をひくつかせた。ローがパイを焼いているらしい。
果物の沢山入ったカスタードパイを思い浮かべて、湧いてきたつばを呑みこんだ。
「ローが料理上手とか……幸せだよねえ」
教本を抱え直すとるんるんとステップを踏む。
学園都市に引っ越してきて数年。
ヤミ国との戦争の後、一旦はオオカミの国に住んだんだけど、無自覚なローにボインボインのメスオオカミがおっぱいを押しつけたり、シンオウの座を狙ってマッチョオオカミがローに決闘を申し込んだり、そんな生活にもう辟易してしまったんだ。
決定打は《契約 》の相手であるわたしを拉致監禁しようとした輩がいたことだよね。普通にけちょんけちょんにして撃退しましたけど。
その後、今度はわたしまでオオカミ達のラブアタックを受けることになっちゃって、もうすったもんだして。
「わたし、もう禿げそう。退位して」
「いいですよ」
「いいの?」
「俺はメリーがいればいいんです」
ぎゅっと抱きしめてくれたローに感激の涙が止らなかったよね。
素直について来てくれたのは幸いだった。拉致監禁も辞さない構えだったし。ローを完全に安心安全に捕縛出来る魔法とか研究してね、病んでたなあ、あの頃は。
人の入れ替わりの激しい学園都市なら紛れて身分を隠して暮らして行けるだろうって、行く先に学園都市を選んで。運よくローの前の住んでいた家が空いてて、改めて新婚生活を満喫してたら、マーカラム師が教師をしないかって声をかけて来て。
ローは常人とは感覚が違い過ぎるし、やっぱり武芸関係は目立ちやすいから、そっちはお断りして、わたしが高い能力を持つ魔法使いの子供に魔法を教えることになった。後発的な魔力の増大はコントロールが大変で、それを実際に体験したわたしは、膨大な魔力に苦しむ子供達の面倒を見ることが必然のように思えたんだ。
とはいえ、ローの気によって器を支えられているわたしには、せいぜい週三日が限界なんだけどね。
「ロー!」
バタンと戸を開けてキッチンにいるローに飛びつく。
身体にフィットした黒い服に赤のチェックのエプロンをして、両手にミトンをはめたローがわたしを受け止めてキスを落とした。
「お帰りなさい、メリー」
銀色の瞳が嬉しそうに輝く。今日もローはすっごく可愛い。
きゅんとしながら、身体をすり寄せて深いキスをねだる。
ローがちょっと困った顔をして、わたしを見下ろした。
「パイが焦げる」
後ろから声がしてぎょっとして振り返ると、ソファーの上に女が横たわっている。真っ黒な露出過多なレースのドレスは喪服だ。真っ赤な巻き毛、白い肌に、緑の瞳……肘をついて頭を支え、片足を立てた姿は黒衣の寡婦 とはとても思えない。
鮮やかな緑の瞳がウィンクした。
「ちょっと!なんで他人の家に上がりこんでるんですか!しかも、そんないかがわしい格好で!」
「ローがパイをくれると言ったんだよ……なあ?」
細い指先がドレスを引き上げて、真っ白な足を見せびらかす。
「ルーカス王!」
「ルルと呼べ」
「ルルでもススでも構いませんけど、ローにちょっかいかけないでください!そもそも、あなたは死んだはずなんですよ?なんでそんな目立つ格好してるんですか!」
「……パトリックの趣味じゃないのか?」
妖艶な口元がくすくすと笑う。
「僧籍である聖騎士を堕落させるには、黒衣の寡婦 ぐらいのインパクトは必要だと思うがな」
「寡婦って、そもそもあなた、結婚したことないですよね?
ぺったんこな胸で何言ってるんですか!」
「膨らみはないが、感度はいいぞ?パトリックに開発されたしな」
「うげえ。パトリックのにやけ顔想像して吐きそう」
「メリドウェンの嫌そうな顔は最高だな」
からからとルーカス王が笑う。どこまで子供なんですか、この人。
ぐぬぬと拳を固めたわたしを無視して、ルーカス王がローに話しかけた。
「そうは思わないか?ロー」
「メリーはどんな顔をしていても最高ですよ」
ローがにこりと笑うと、かごにパイを詰めている。かわいい、かわいいよロー。ととっとローの側に近づくと後ろから抱きついた。
ソファーの方からけって聞こえるけど気にしない。
他人の恋路の邪魔をする奴は、馬に蹴り殺されればいいのに。っていうか、デバガメは帰れ。
ん?って振り返ったローが蕩けるような瞳でわたしを見た。
ああもう、朝から離れてたんだからロー成分が足りないよ……すすすっと前に回ってぎゅっと抱きつくと、くすくすと笑いながらローがわたしを片手で抱き上げる。
「気持ち悪い」
舌打ちと、悪し様に吐き捨てる声。
「新婚家庭で何言ってるんですか。吐くなら外でどうぞ」
「お前達は何年新婚をやってるんだ?いい加減にしろ」
「そちらがさめざめとしちゃってるのは、わたし達のせいじゃありませんからね!」
肩越しにベーっと舌を出すとルーカス王がにやりと笑って、妖艶に舌で唇をなぞる。むうっとしてローの目を塞ぐと、ローがまた笑った。
「王都には戻らないんですか?」
「国と言うのは生き物のようなものだ。
頭の二つある生き物がまともに動くわけがない。
わたしは戦死した。そして、兄上の子供であるグレアムが王になった。
もともと私は素行が悪かったし、いいタイミングでもあった。戻るつもりはないな」
コンコンとノックの音が聞こえる。かしゃりと鎧の鳴る音がする。
びくんと飛び上がったルーカス王が、しゃっと起き上がると、居住まいを正した。
「どうぞ。開いてます」
ローが声をかけると、どかどかとパトリックがやってきた。
ソファーに優雅に腰掛けるルーカス王を見るとわずかに顔が緩む。やだやだ、やに下がっちゃって気持ち悪い。
「ルル」
ソファーに歩み寄ったパトリックが手を差し出すと、ルーカス王がつんと顔を上に向けて腕組みをしたまま、ふんと鼻を鳴らした。
無言でパトリックがルーカス王をソファーから抱き上げて肩に担ぐ。
「な、な、なん……」
ルーカス王の顔が赤くなってじたばたと暴れたけど、パトリックはそしらぬ顔でこっちに近づいて来た。
「これか?」
籠に入ったパイを見てパトリックが言う。
「はい」
ローが頷くと、テーブルに銀貨を何枚か置いた。
「ああ……構わないですよ。ついでですから」
「ルルは口が奢っていて、なかなか口に合うものが少ないので助かる。
おれが学園都市の守護騎士になったのはいいが、ルルは暇を持て余しているようだし、相手をしてくれれることにも感謝しているしな。それから、妖精の国から注文が来ていたぞ」
懐から紙を取り出すと銀貨の隣に置く。
「ちょっと! また?」
怒りの声を出すと、ローが笑う。
「大丈夫ですよ。生地はこの間沢山作って、メリーが氷の魔法を唱えてくれたから」
「そういう問題じゃないよ! ローが忙しくなっちゃうじゃないか」
「ああ、そっちの余力は残してますから」
ローがはむっと唇を唇で挟んで、それからちゅっとキスをして来た。
「いやらしい」
パトリックの肩の上のルーカス王がぼそっと呟く。
「ルルはもう結構なお年ですもんね! 枯れちゃいました?」
「枯れてなどいない。いままでの遅れを取り戻しているところだ」
さらりとパトリックが言うと、真っ赤になったルーカス王がじたばたと肩の上で暴れる。ぺしぺしとパトリックが尻を叩くとくうと鳴いて大人しくなった。
「手伝いでも頼んで、菓子屋にでもなったらどうだ?」
「どうでしょうね。手伝いを仕込むのにも時間がかかりそうですし」
「気が向いたら、誰か紹介するぞ」
「その時はお願いします」
「じゃあな」
舌を突き出してあかんべーをするルーカス王にあかんべーを仕返すと、わずかにパトリックが微笑んだ。肩に妖艶な黒衣の美女を乗せたパトリックが籠を下げて帰っていく。
ローが扉に鍵をかけると、あちこちのカーテンを閉めた。
「メリーがいないと寂しくて仕方がない」
ローがベッドにわたしを降ろすと、服を脱がせて行く。
エプロンの紐を解くと、ローがシャツごとエプロンを脱ぎ捨てた。
「飯にしますか?」
優しく押し倒す腕に従いながら、笑い声をあげた。
「先に、ローにすることにするよ」
「いいですね」
熱いキスを交わしながら、お互いの身体をまさぐりあう。
お互いを追い立てあうように愛し合うのも、優しく愛し合うのも思いのままだ。
《契約 》がわたし達の間にある限り、わたし達は呪われた存在だ。
けれど、そうであったとしても、わたしは幸せだと感じているし、目の前のこのオオカミも同じであると断言できる。いずれわたしが死ぬ時には、それに耐えられずローも死んでしまう。番が死んだ動物が嘆きのあまり死ぬことがあるように、わたしたちの営みもそうである。それだけのことだ。
呪いはまたわたし達を伝説の中に送り込もうとするのかもしれないけれど、それはまた別の日の話。
<死にたがりの狼は薔薇の鎖で繋がれる> 終
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