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【番外編】メリーズキッチン(1)

家のプリンターで外に出ずに本を作ろうという、ぼっちコピ本企画を断行し、希望するツイ友さんに無配しました。その為に書き下ろした短編というか中編というか。 本編を読んでいる人には不必要な説明がありますが、配った人の中に本編未読の方がいたせいです。その辺ご容赦いただける方のみご覧くださいませ。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆  ゾンビパイ。だよね、これ。  どうしてこんなことになってしまったのか。  ふっくら焼けたパイの網目の間からちらりと覗く毒々しい紫と鮮やかな緑のマーブル。香りだけはなにやら焼いた肉の香りがするが、何の肉が焼けているのかと聞かれれば、ほら、戦場なんかで感じる、あれ、という至極物騒な感想を述べるしかない。  エルフの国の王子であるわたしが、こんな失態を犯すとは……  しかし、言い訳をさせて貰えれば、わたしはエルフだ。  エルフは肉や魚を食べない。卵は無精卵のもの、乳は飲めるがその程度だ。果物や蜂蜜など、甘いものを好み、野菜が主食。  そしてわたしの伴侶であり、古代の儀式で結ばれている番でもあるローはオオカミ族で、肉や魚が主食。そして味覚的に甘いものが好きではない。  少しローのことを(本編未読の未来の読者諸君の為に)説明させて貰おう。ローは優秀な体術師で、オオカミ族の真王の親衛隊のモリオウであり、ヤミ国との大戦中に真王となった。その後、わたしの意向で王様はやめちゃったんだけどね。国を離れたとはいえ、どこの国軍に招かれてもおかしくないような腕前で、冒険者としてだってやっていけるだけの力を持っている。  だけど、わたしの中の魔力の器は一度破壊されていて、ローの気の力で維持されているから、ローはわたしと長い間離れることはできない。それで、二人で落ち着いたヒトの国の学園都市でわたしは教師、ローは主夫をしていると、そういうわけだ。  ローはわたしにべた惚れで、いつもおいしいごはんを振る舞ってくれる。身の回りの世話もしてくれているし、えっちにも手は抜かない。そう、らぶらぶいちゃいちゃ暮らしているんだよね。本当に幸せだよね。ふふふふ。えっへん。  ちょっとそこ、砂を吐かないでいただけますか。まあ、羨ましがってもいいんだけど、わたしのローに手を出したらえらい目にあいますよ? エルフの王子、当代きっての魔法使いとしてバラッドかなんかで白薔薇とかって歌われちゃってるわたしが、許しませんからね。どっかん火系の術とかは専門じゃないけど、じりじり縛り上げるとか、ゆっくり効く毒を打ち込むとかそういうの得意ですからね!  あ、話が逸れたが、つまり、わたし達の食生活は全く合わないのだ。  そのわたしが、ミートパイを作ろうとしたんだ、この結果は当たり前といえば当たり前なんだけど。え?どうして料理なんかしたことのないわたしがいきなり料理をし始めたのかって?  それは、昨日まで時間をさかのぼることになるんだ……。    * * * *  ええと、床の上に寝っ転がっているのは赤毛の女。自分に似合うからって喪服を脱がないパトリックの嫁。いや、男だから本当は嫁じゃないんだけど、炎のエルフの血が混ざってるんで、女にしか見えない都合のいい身体の持ち主だ。死んだはずの元国王って身分を隠すために女装して、ちゃっかりパトリックと結婚しちゃってる…………ルーカス王。  床に豊かな巻き毛がひろがって、黒いレースに包まれた腕が投げ出されている。その白い指先はかつては暗黒の剣を携え、思うままに敵を切り裂いていた。  まあ、それはいいんだ。傲慢なオカマなんかどうでもいい。  問題はその上に乗っている黒髪の男だ。柔らかく波打つ黒い髪にぴんととがった耳。細くひきしまった腰にふさふさもふもふの尻尾。  仰向けのルーカス王にぴったりと寄り添った、わたしの狼。  今朝はわたしを抱いていた体が、ルーカス王に乗っかっている。 「ロー?」  うんぎゃあとかふんぎゅうとか、妙な悲鳴がわたしの口から漏れた。  こ、これは!これは! 「うわき?」  ぽろりと飛び出した言葉。ぴくってローの耳が動いて、頭が持ち上がった。 「メリー?」  溶けた銀の瞳が驚きに見開かれてわたしを見る。 「動くな!愚か者」  ルーカス王のスカートから真っ白な足が持ち上がってローの腰に絡みつく。ローの腰からズボンがずれて、ふさふさの尻尾が揺れた。  しちゃってるんですか、それ。まさに同衾の最中ですか。  目の前が真っ暗になった。  じわじわと目の前が涙で曇る。  古代の契約で結ばれた番だと言ったって、それはオオカミ族の秘術で、ローがわたしを愛していなくても、わたしがローを愛してさえいれば術は成立している。だから、ローが心を移してもローは死なない。だけど、ローが本当に誰かに、よりによってこの性悪に寝取られるなんて……足から力が抜けて、へたりと座りこんだ。ああ、気絶してしまいたい。もだもだと起き上がろうとして、上衣の裾を踏んですっころんだ。  思いきり胸を打って、ぎゃんと声が出る。 「メリー!」 「狼!」  動くローの気配に、王の叫び声、そして……ひゅんと音をたてて何かが空を飛んだ。目の前にべしょっと音をたてて落ちてきたのは……ちょっと焦げ色のつきすぎたパイだった。おいしそうなリンゴの香りが辺りに漂う。 「まだ、帰って来ないと言ったではないか!」 「申し訳ありません」  くずれたアップルパイの前で地団駄を踏む黒衣の美女と、ぺこりと頭を下げる私の狼。 「どういうことなんですか!」  叫ぶわたしの方を横目で見ながら、面目なさそうにローがもぐもぐと言う。 「アップルパイの作り方を教えて欲しいと頼まれたんです」 「内密でというのを忘れているぞ」  ぎりぃと歯ぎしりをしながらルーカス王が言う。 「内密でアップルパイを作るのがどうして抱き合うことなんかに……」 「「落としたのだ」んです」  落としたところを二人して持ち前の身体能力で受け止めようとして絡み合ってしまったと。なにそれどういうラッキースケベ。いや、どっちも望んでないのはわかるけど、わかるけどっ! 「なぜ帰って来たのだ」  虫けらを見るような目でルーカス王がわたしを見る。あ、そうだった。ぽっと頬を染めると、両手を握りしめてもじもじと身体をひねる。 「今朝、寝坊をしてローにキスをするのを忘れたので、昼休み中にちょっと……」 「そうでした、もったいないことをしたなと思っていたんです」  ローの顔がぱっと明るくなって、わたしの顔を見てほころぶ。やだ、ローかわいい。すっごくかわいい。ふらふらとローに近づこうとすると、綺麗な足がどんと床を蹴って、二人揃ってびくっとした。 「毎日毎日、べたべたいちゃいちゃと暮らしているくせに、まだ足りんのか!」 「「足りません」」  んねっと二人で顔を見合わせて、でれでれと笑いあう。 「この馬鹿っぷるが!」  ぐぬぬと拳骨を握って、ルーカス王また足を踏みならした。 「まあ、お二人が冷めたピザみたいな関係なのは、わたし達のせいではありませんし」 「な・ん・だ・と」  ひそっとしゃべった言葉が聞こえちゃったみたいだ。地獄耳怖い。 「年増はこれだか……もぎゅー」  ローがわたしの後ろに立つと口を塞いだ。でも遅かったみたいで、ルーカス王のこめかみにびきびきっと青筋がたつ。 「よし、わかった、外に出ろ」 「喧嘩はダメですよ。防御型と戦闘型では勝負が長引きますし、本気でやりあったら学園都市の半分が吹っ飛ぶでしょう? 外に出たってこの家は壊れてしまう」 「では、ここで始めていいということだな?」  はははと高笑いをすると、ルーカス王が差し出した手をぎゅっと握る。開いた手の上には血のように赤い薔薇の蕾が乗っていた。薔薇の蕾が鮮やかに開きながら猛烈な炎を巻きあげる。 「わたしは別に構いませんけど。壊したものは弁償してくださいね。赤薔薇様」 「粉々にその身が焼け焦げるというのに、壊れ物など気にするな。白薔薇殿」  ローの気が濃くなってわたしにまとわりつく。本気でルーカス王が攻撃をしかけたなら、庇うつもりでいるのだろう。別に必要はないのだが。 「本当にやめてください。アップルパイなら作り直せばいい。パトリック先輩が帰って来るまでには、まだ時間がありますし、誕生日のプレゼントが街の破壊だなんてあんまりです」 「誕生日?誰の?」 「パトリック先輩のです」 「パトリック?……へえ」  パトリックの誕生日に手作りスイーツ。高慢で傲慢、残虐で知られたルーカス王が随分とまた可愛らしいことを。 「さらりと暴露してくれたな、狼」  ひやりと触れる慣れない気に肌が粟だつ。往年の昏い光を灯した緑の瞳がわたし達を睨みつけている。 「あ。申し訳ありません」  素直にローが謝ってぺこりと頭を下げる。わあ、可愛いね、ローってば。わあいと飛びつくと、力強い腕が受け止めて、愛し気な指先が髪の毛を撫でる。それを見てルーカス王の顔がすうっと真顔になった。 「でも、時間はまだありますし……」 「メリドウェンにばれたではないか!」 ぐるるっと唸るように叫ぶルーカス王に、にやけてしまう。ぷぷっと吹き出しそうな口元を隠すと、ぎりりっと音が聞こえるほどにルーカス王が歯をくいしばった。照れているんですか……顔が赤いですよ?

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