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【番外編】メリーズキッチン(2)

「や、まあ、わたしのことはお気になさらずに、どうぞどうぞ」  両手で調理台を示す。 「急ぎましょう。まだ石窯は温かいですし、手で粉々に砕いたりんごもまだ残って……」 「こなごな」  ルーカス王がリンゴを粉々にしただと? 笑いを堪える頬がぷうっと膨らんだ。それを見たルーカス王の顔が真っ赤になる。 「お前だって、料理なんかできないだろうが! 狼に養われているだけの無能エルフのくせに!」  無能、このメリドウェンが。カチンと来て眉が寄る。 「このメリドウェンに出来ないことがあると思うのですか?」 「この間、薬の調合で学園の研究室を派手にぶっ飛ばしただろうが」 「あれは、新しい調合をためしていただけで、そもそも研究には失敗はつきもの……」 「不器用者が何を言う」 「なんですって!」  もう完全に怒った。きーと叫びながらルーカス王につかみかかる。さっと避けられて、差し出された足にひっかかった。転びそうな身体をローが素早く抱えこむ。 「ああ、メリー。無茶をしないで」  抱きかかえられて額にキスを落とされた。 「ロー!離して」 「いやです。あなたが傷つくことに、俺は耐えられない」  揺れる銀の瞳に視線を絡めとられた。 「怒っているあなたは、本当に美しい」  唇が重なって、あっという間に舌を絡められた。気をまとった指先が波のように身体をまさぐる。 「ん……ロー……っ……あっ」  快楽に慣れた身体が従順に反応する。あっという間に思考がおぼつかなくなって、ローのキスに応えてしまう。感じやすい耳を嬲られて、身体が熱を帯びた。たどる唇が喉を吸いあげて、絶妙な痛みを与えながら、とがった犬歯が鎖骨を滑る。そのすべてがわたしを煽り立てた。自分の身体が放つ甘い薔薇の香り。求めるように腰をくねらせると、ローが鼻の奥から甘えるような声を放った。 「そこまでだ」  唸るような声が聞こえて、ローが腕を持ちあげた。ぶんと振るった腕が火球を叩き落とす。くすぶるローの腕に悲鳴をあげると、ローが唇でわたしの唇を塞いだ。 「大丈夫です。メリー」  愛しさを湛えた銀の瞳がわたしの目を覗きこむ。しなやかな身体はあっという間に腕の中から消えてわたしの前に立ちはだかった。 「これ以上やるというなら……俺がお相手いたしましょう」 「面白い」  ルーカス王がくくくと楽しげに喉を鳴らすと優雅に黒い喪服の裾を引きあげる。白い脚には短剣が結びつけられていた。しゅんと音を立てて抜かれた短剣が剣呑な光を放つ。ふわりとローの周りに銀色の気が纏わりついた。低く腰を落として突き出された拳がその気を濃くする。 「離れて、メリー」 「行くぞ」  ローとルーカス王が間合いを詰める。ああ、どうしてこんなことに。わたしとルーカス王がぶつかり合えば長引く戦いの末にこの都市の半分が吹っ飛ぶかもしれないけど、ローとルーカス王が戦ったら一瞬でこの都市が吹っ飛ぶよね?  止めないと。  思った瞬間にばんと扉が開いた。 「何をしている」  凍りつくような冷たい声が響いて、ローとルーカス王がぎくっと止まる。二人がぎぎぎぎっと音を立てて入口の方を振り返った。学園守護騎士の制服にフードつきの外衣をはおったパトリックが、雪山行軍してる兵士みたいな怖い顔して立っている。 「やあ、パトリック」 「早かったですね、パトリック先輩」 「アホバカクソエルフが気分が悪いと学校をさぼったと聞いて、嫌な予感がしたんだが……何をしている」 「なんでわたしが早退すると嫌な予感がするんだよ!」 「この間は研究所を吹っ飛ばしたし、その前は学校でローとけしからん行為に及んで生徒を……」 「わああああ!言わないで!」 「その節はご迷惑をおかけしました」  ちょっと赤面したローがぺこりと頭を下げる。 「校内にローが出入り禁止になったら、今度は早退とは……」  やれやれとパトリックが短い金髪を振る。 「今朝、キスをし忘れたんだ、仕方がないだろう?」  大きく手を開いてぶんぶんと振ると、パトリックの顔がますます怖くなる。 「どこまでアホなんだ、バカエルフ。色ボケで国を亡ぼすつもりか」  なんか今、さらっと二回罵倒されたよね。 「ルル?どこへ行く」  裏口の前で赤い巻き毛がびっくんと飛び跳ねた。 「ちょ、ちょっと、お使いだ」  愛想笑いを浮かべた顔がこっちを見る。いつも高慢ちきな顔しかしないくせに、つくづくパトリックに弱いよね。 「その前にこれの説明をしていけ」  どかどかと革のブーツが音をたてて、テーブルの上の無残なパイを指さす。 「そ、それは……」  鮮やかな緑の瞳の視線が宙を泳ぐ。白い歯がきゅっと唇を噛んで、パトリックの顔がますます不機嫌になった。助け船を出そうとしたローを、パトリックが余計なことをするなという顔で睨みつける。ローの耳がしゅんと垂れた。ちょっと、わたしのローを虐めないでくれないかな。俯いたローの視線の下に潜りこんで、ふわりと微笑んで唇を合わせる。 「愛しているよ。わたしの狼」 「愛しています。俺の白薔薇」 「いちゃつくのは後にしろ」  言い放つパトリックに、ははと嘲りの声をあげた。 「何をいらいらしているんだか知らないけど、赤薔薇様はお前に夢中だよ。パトリックの誕生日に苦手な料理をして、アップルパイだってさ」 「メリドウェン!」  ルーカス王の叫び声を無視して、ローに抱きついて我が物顔でキスをする。ローの少し心配そうな瞳にひたりと視線を合わせたままで、切り捨てるように言った。 「ここはローのアトリエで、お前の女は生徒だった。過去形でね。なかなかうまく出来たようだが、落として台無しにしてしまった。というわけで、レッスンは終了だ。帰れ」  ローの瞳が驚きに見開かれて、それから、ゆるりと緩む。そっと抱きしめられて、わたしだけに聞こえる吐息が愛していると呟く。ローの肩に顔を乗せて、パトリックの視線が動くのを見た。ルーカス王を見ているのだろう。後ろから派手なうめき声が聞こえる。パトリックの雪山のような青い瞳が揺れて、ほんの少しだけ和らぐ。  その視線がテーブルの上の崩れたアップルパイに乗って、大胆にパイをつまみあげた。 「やめろ!」  ルーカス王の静止の声を無視して、パトリックはパイを口に運ぶ。だんと音がして、ふわりと飛んだルーカス王の身体がパトリックの腕にぶらさがった。 「ゆ、ゆゆゆか、床に落としたのだ」 「だからなんだ」  ぶらさがるルーカス王をものともせずにパトリックはパイを口に運んだ。 「うまい」  もっと大きな一片を取り上げてパトリックが口に含む。 「やめろ!やめろ!落としたものを食べるなど!」  真っ赤な顔でルーカス王が叫ぶ。味わって飲み込んだパトリックが、冷淡に言う。 「戦場では、カビの生えたパンを食べることもある。ここはローがメリドウェンの為に掃き清めている家の中だ。そこに落としたものが食えないわけがないだろう」 「だが……」 「なんなら、また作ってくれ」  勝手知ったる他人の家といった風情で、パトリックが籠にパイを入れる。そして、立ち尽くすルーカス王に手を差しのべた。 「レッスンは終わったのだろう。失念していたが、今日はおれの誕生日らしい。帰るぞ」  反抗的な目で見上げるルーカス王に微塵も表情を変えずにパトリックが言う。 「抱いて行った方がいいか?」  ばっとルーカス王が後ずさって、赤い髪をふるふると揺らす。そこまで嫌がらなくてもいいようなものだけど、パトリックの抱くは担ぐで、肩に粉袋みたいに乗せられてこれみよがしに権利を主張するものだから、超恥ずかしいんだよね。もう一度差し出された手に、むいっと唇を突き出してルーカス王が手を乗せる。ダンスのパートナーのように肘にルーカス王の腕を巻きつけて、パトリックがわたし達を見る。 「世話になった。代金は?」  ローがひょこっと耳をたてて顔をあげると微笑んだ。 「お代は俺からの誕生日プレゼントということでいりません」 「さっさと帰れ」  しっしっと手を振ると、ルーカス王がつーんと顔をあげて嫌味たらしく言い放つ。 「エルフの傲慢には全く天井がないな。家事も出来ぬ粗忽者のくせに」 「なんですか!その言いぐさは」  きいと叫んで飛びつこうとした身体をローが抱きとめる。 「メリー、メリドウェン。俺はほんのちょっとだって、あなたに不満なんかないんですから」 「ロー……」 「俺はなんでもメリーにしてあげたくて、あなたが喜んでくれる。それで幸せなんです。ルルはあれでいて、いい人だからメリーに本当に怪我はさせないと思うけれど、オレはあなたが傷つくのが嫌で堪らない。そう思うだけで、世界を滅ぼしたくなるんです」  そっとローの腕に力がこもる。きゅっと締まった腕の中はほんの少し苦しいけれど、その苦しさはローの力を持つゆえの苦悩なのだと思えた。ふうと息を吐いて、ローに身を預ける。 「参ったよ」  微笑むと、ローがほっとした顔をした。べえと舌を突き出すルーカス王に、指で目を引っ張って舌を突き出して、べえと返す。それを見たローがくすくすと笑った。ばたんとドアが閉まると同時に始まった激しいキスに身を任せながら、料理ぐらいたいしたことがないと思ったのはいい思い出。  落としたアップルパイを身を挺してほおばるパトリックに、あんな風にローがパイをがっついている姿を想像して、うっかりきゅんとときめいたのが運のつきだったというわけだ。

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