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【番外編】メリーズキッチン(3)

 図書室でいろいろな食材を吟味して、昼休みに食材を仕入れ、研究室にこもる。お肉の味=食べたことはないけれど、自分にとってきっと不味い味だったのがいけなかったのか。お肉の臭い=吐き気のする臭いが不味かったのか。いろいろな香料や植物を混ぜた結果、来上がったのがこのパイだ。  正直とても怖い見た目なのだが、いや、味はいい、いいはずだ。  自分にとって吐き気のする臭いのパイに鼻を近づけて、涙目でのけ反る。  いや、無理。無理だよこれ。  わなわなと震えてしまう指先に、吐き気のする臭いの再現率の高さを感じた。ゾンビの臭いだよね、だってゾンビパイなんだし。錯乱する思考を深呼吸で落ち着けて、またパイの臭いを吸って、胸が悪くなる。……もう、捨ててしまおう。……明らかにこれは失敗品なのだし、初心者の料理が失敗するなんてよくある話だ。ドンマイ、メリー。また頑張ろう。  問題は臭すぎて近寄りたくないということだ。縦横に貼られたパイの網目の隙間から緑と紫のマーブルが威嚇するようにどろどろと対流している。鼻をつまんでよろよろとパイに近づいた。どこに捨てよう……これ。  そう思った瞬間にコツコツとドアが鳴った。 「メリー、いますか?」  ぎょっとして振り返ってドアを見る。あまりのまずそうな物体に、ついに幻聴まで聞こえるようになったのだろうか。 「お昼を届けに来たんですけど……食べていないのでしょう?」  あああ、誰かが昼をすっぽかしたのをローに教えちゃったんだ。研究に没頭してるとよく食べるのを忘れて、学校帰りにフラフラしたりするから、心配したメリー親衛隊の生徒がローに教えに行っちゃうんだよね。しかし、最悪のタイミングだ。 「メリー、いますよね?」  心配そうな声が聞こえて、ローの気がふわりと身体に触れる。居留守は使えない。 「ああ、今、実験中なんだ。お昼はそこに置いておいてくれ」 「……あの……あなたの顔が、見たいです」  え、なんで?なんで素直に帰ってくれないかな。 「……誰かいるんでしょう?」  いないよ!ここにはゾンビパイとわたし以外には誰もいないよ!はっとしてゾンビパイを見る。あ、もしかしてこれ、すごく臭いし、肉っぽい臭いだから、誰か人がいるんだと勘違いしてる? 「蹴破ってもいいですか」  低く唸るようなローの声。ガンと扉が殴られてぱらりと埃が宙に舞う。や、扉破壊とか、人が集まっちゃうでしょ。このゾンビパイの存在が学園中に知れ渡って、メリー先生はマズ飯作りの嫁って噂が立っちゃう。高らかに嘲笑うルーカス王が頭の中に浮かんだ。いや!やめて! 「今、開ける!開けますから……」  ダバダバと扉に近づくと鍵を外す。ぐいっと割り込んできたローの身体がわたしをドアに押しつける。鋭い視線が部屋の中を見まわした。 「どこですか」 「どこって」  誰もいないよ。そう言おうとして、なじるようなローの瞳に言葉が凍りつく。 「隠すのですか」  隠したいです。そこのゾンビパイを。剣呑な臭いにローの鼻がひくつく。 「いますよね?誰か……いや、何か?」  いや、いますけど、ゾンビパイが。ふわあっと視線が泳いで、目敏いローが机の上のそれに気がつく。ああって思った瞬間に、ローは机の前に移動していた。  見られた、見られちゃったよ。ゾンビパイを。とりつくろおうと走り寄ると、ローがパイから視線をあげる。 「もしかして、これは俺の為に?」  満面の笑みのローが眩しい。いや、それ、どう見ても食べ物じゃないよね。 「そうなんだけどね。だけど……」 「ああ、ありがとう!メリー」  ひょいとパイをローがつかむと、がぶりと噛みついた。え、ちょっと待って、ちょっとちょっと待って。ひいとうろたえている間に、ローが、一口、二口とパイを食べ進めていく。 「ちょっと変わった味ですね……」  死肉の味だと思うんだ……いや、食べたことないからわからないんだけど…… 「どんなスパイスを入れたんですか?」 「い、いろいろ入れたんだけどね。お肉味にしようと思ってさ、工夫したんだけど、ちょっと失敗っていうか……入れすぎたかなって……」 「おいしいですよ。ちょっと不思議な味ですけど。苦みが後から来るかなあ。」  もう一口、口元に運んだローにひいって声が出る。緑と紫のマーブルが断面から見えて、ぷるぷると揺れた。臭いが強く漂って、もうこれ絶対やばいでしょって思う。ローを止めなきゃってびょんと飛び上がると腕にぶらさがった。 「どうかしましたか?」  にっこり笑うローに恐怖を感じる。ローってもしかして、味覚障害かなんかなのかな。愛の力にしても怖いよ。 「いやいや、結構失敗してるから、それくらいで……」  ローの頭がふらっと揺れて、ぱちぱちと瞬きをする。なんか頬が赤くなってないか?もしかしてアレルギーとか?ふうと息を吐いてローがパイをじっと見る。口が大きく開いて、もう一口パイを口に突っ込む。ぎゃあと悲鳴をあげて、ローの手からパイを叩き落とした。ごくりと喉が動いて、パイを飲みこむ。するっとローがしゃがみこんで、落ちたパイの前に両手をついた。ちらりと見えた舌が赤い。這いつくばって食べるつもりなんだと気がついてあわててローの顔をつかむ。 「やめて、ロー!どうしたんだ?」  ローが焦点の合わないとろりとした瞳でわたしを見る。 「……おいしいので……もっと……食べようと」  どこかろれつの回らない口で言われて、もしかして何かローの身体に合わないものを食べさせてしまったのかと思う。 「ああ、だけど……あなたのほうが……もっと……おいしそうだ」  ちゅっと音をたてて唇が重なって、ゾンビパイの味にぞわぞわと背筋が寒くなる。ぱかりとローの口が大きく開いて布を裂く音がしたかと思うと、肩に食いついた。はみっと噛む口の痛みに悲鳴のような声が漏れる。何が起きているのかわからなくて混乱していると、ぐいと腕を引かれて床に転がされた。 「ロー?」 「メリー……あなたは、いい、匂いがする……」  馬乗りに起きた身体、ローの溶けた銀の瞳が妖艶に輝く。大きく開いた口から真っ赤な舌が大きく差し出されて、ゆっくりと舌なめずりをした。。そのすべてをわたしは呆然として見ていた。  裂かれた上衣の中にいたずらな指が入りこんで、感じる部分を撫でる。優しいはずのその愛撫はとてつもない気をまとっていて、息も出来ないような快楽が全身に走る。声もなくびくびくと震える身体をローがうっとりと見ている。 「かわいい」  そう囁いて、くすくすとローが笑う。またぱくりと開いた口と、のぞいた舌に、これは正常な状態のローではないと感じた。解毒の呪文を口に乗せると、指を鳴らす。ローの身体が光で包まれてほっとした。これで、きっと……思った瞬間に喉元にさくりと立つ歯の感触がした。 「うっ、あっ……」  それは肌を切り裂くようなものではなく甘噛みではあったけれど、ローが絶対にしない攻撃的な行動でもあったのでびくりと身体が震えた。ローの頭が持ち上がって、情欲に潤んだ目で小首を傾げてわたしを見つめる。その中にある狂気に、解毒の呪文が効いていないとわかった。  つまり、これは毒ではないのだ。 「め、りぃ?」  ローが悲し気な声でわたしを呼ぶ。自分の状態が異常であると気がついているのか、ぶんぶんと頭を振って辛そうに息を吐く。解毒の呪文が効かないのだとすれば、ローの状態は命に係わるわけではないということだ。頭を振った拍子に、ローの身体が揺れてわたしの上にどさりと乗る。当たる欲望が腹を押してはっとした。 「め、り……俺を、縛って……魔法で……」  そう言いながら、ローがわたしの耳をべろりと舐めあげる。我慢できないというように、ローが息を大きく吸い込んでまた耳を舐めた。 「すご……いいにおい……メリー、ああ」  匂い。ゾンビパイで嗅覚が敏感になっているのかもしれない。くねりと動くローの腰にわたしも刺激されて、はあと大きく息をついた。開いた口に噛みつくようなキスを受けながら考えを回そうとするが、ローの指で身体を撫でられて快楽に頭がぼやける。命に係わるものではない。  ならば、欲望が満たされれば落ち着くのかもしれない。 「お、俺。おかしい、です。身体、あつい、鼻も……おかしくて、すごく、いい匂いだ。すごく、あなたが欲しい。いや、欲しいんじゃない。乱暴にしたい。こんなの、違う。俺は、あなたに……いつも、優しく。ああ、ちがう」  ローが苦しそうに顔を歪めた。身体を離そうとしているが、指はわたしをまさぐっている。 「大丈夫だ、ロー……いいんだ。したいようにしていいんだよ」 「でも、でも……」  いやいやとローが頭を振る。離れようともがく身体を引き寄せて、ゾンビパイの臭いの薄くなったローの口に舌を挿しこんだ。ローがやんわりとそれを噛んで、わたしの痛みに震える舌を舐めまわす。  それを感じて、大丈夫だと確信した。自分の命よりもわたしを大切にするローは、わたしを本当に傷つけたりできない。それをするくらいならば、自分の命を絶つだろう。これからわたしたちは熱烈に愛しあうだろうが、わたしにはそれを楽しむ心の余裕とローに対する信頼がある。  この身体はローのものだ。心も、命も。どこからどこまでもと際限を決めることなくすべてがローのものなのだ。  誘うように足を大きく開くと、ローが性急に突き上げるような動きをする。服を着たまま触れ合うもどかしさに声をあげた。布が音を立てて切り裂かれて、ボタンがはじけ飛ぶ。獣が獲物をむさぼるような動きに、ロー自身がショックを受けたように目を見開く。  ああ、新しいローが見られるなんて、なんて嬉しいんだろう。わたしは喜びに声をたてて笑った。  引き裂かれる下ばきに桃色に色づいたわたしが勢いよく飛び出した。咲いたばかりの薔薇の香りが色濃くたちのぼって、ローがそれを吸い込む。ぱたぱた床に手を這わせて、服と一緒に引きちぎられた腰袋をたぐりよせた。じれったそうに前をくつろげたローに袋から取り出した香油の瓶の中身を塗りつける。  ローが手の中でびくびくと震えて、透明な液をはきだす。煽るように、ゆっくりと音を立てながら指を上下に走らせると、ローの息が荒くなった。くらりと揺れた頭がわたしの横に落ちてくる。  荒い息が耳を嬲ってぞくりと震えると、ローがぺろぺろと耳を舐める。 「っ……」  顔の角度を変えて舌を突きだすと、ローが舌を舐めた。いつもより熱い舌が何度も行き交って舐める範囲を広げていく。喉の感じやすい部分を丁寧に舐められて、手の動きが止まってしまった。尻だけを持ちあげていたローがじれったげに腰をわたしにすりつける。ああと思って手を動かそうとしたのに、ローがその手をどかして、身体を脚のあいだにねじこんだ。  いつもならばぐったりするほど慣らされる場所にローの欲望があてられて驚いた。欲望に潤んだローの銀色の瞳が輝く。獲物を狙う瞳、舌が唇を舐めてぐぐっと圧力が増す。 「ああっ」  ずんと突かれて身体が弓なりにのけぞる。毎夜のように愛されている身体はこの行為に慣れていたが、これほど性急なのは初めてだ。貫く痛みに全身が悲鳴をあげた。その声がローには届いていないのか腰を軽々と持ちあげられて、最奥を突かれる。隙間なく密着した肌が音を立てた。こらえきれない悲鳴が喉を震わせる。反射的に身体がこわばって、ローを締めつけた。 「め、り」  ローがしわがれた声で呼んだ。ローも痛みを感じているのだろう。緩めようとしたが、はくはくと息を吐くことしかできない。 「ご、めん、ごめ、な、さい」  ぶたれた子犬のように、震えながらローがわたしの胸に頭を埋める。許しを求めるその声に震える手でその頬に触れた。びくりとローの身体が震えて、狂気と正気の間をさまよう瞳がわたしを見る。 「大丈夫。大丈夫だよ……」  息だけの声でそう答えると、ゆっくりと身体を開く。開き切ると、少しだけ痛みが楽になって息をはいた。その動きにローが息を荒げる。中でローが跳ねた。 「んっ……」  甘い声が漏れると、ローの瞳が蕩けた。 「動いて……」  密着したままで、ローがぬくぬくと腰を揺らした。揺らす度に身体はローを思い出し馴染んでいく。 「あっ、あっ……は……ロー、ろ……ひゃ、」  ストロークが長く激しくなっていく。いつもとは明らかに違う遠慮のない抜き差しに、息が続かない。 「っ……あっ」  ローの舌が開いた口の中に滑り込む、身体がふわりと浮いて、胡坐を組んだローの上に抱きこまれた。はあはあと肩で息を吐くと、ローがその背中を爪で撫でる。感じやすい肌を撫でる指先にしびれるような快感が全身を走った。 「ああ!」  さくりと肩を噛まれて、ぎゅうと身体に力が入る。ローが締まるわたしに声をあげた。腰をつかまれ突き上げられた。奥を抉られた瞬間に目の前に星が飛ぶ。自分が精をまき散らしたのを感じた。その後も何度もおもちゃのように揺すぶられ、快楽にただ声をあげた。 「ひゃあん。あっ、うあっ……ああ、ロー……すき、すきぃ……あ、あいしてる」  叫んでしがみつくと二度目の絶頂に身体を震わせた。ローが詰まったうめき声を出して、中を抉って最奥で弾けた。荒い息を整えながら、これでローは正気を取り戻すに違いないと思う。肩をまだ甘噛みしているローの耳にすりっと顔を寄せてため息をついた。ぎっと噛む力が強くなって、苦痛に声をあげた。 「ロー?」  怯えた声でローを呼ぶ。苦しいほどに抱きしめる腕が、いつもと違った熱を伝えて来る。ゆら、揺れる頭がゆっくりと持ち上がって、どろりと溶けた銀の目がわたしを見た。ぐるぐるとローの喉の奥から漏れる音。瞳が凶暴な色を放つ。警戒するようにぴんと立った耳がくるり後ろに倒れた。ゆっくりと揺れる尻尾が尋常ではない事態を伝えてくる。  もう一度解毒の呪文を唱えた。けれど、ローの瞳は和らがない。

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