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Come
その声を聞いた瞬間、心が震えた。
気づけばいつの間にか愛 の前で跪いていた。心臓がドクドクと脈打ち、高揚感で満たされる。
「Good boy 」
その言葉にゾクゾクと背筋から這い上がる快楽。今までに味わったことのないその感覚に全身が疼く。愛の細く長い指先が頬を撫で首筋へと滑っていく。くすぐったいその感覚に僅かに身をよじった。
「Look 」
放たれたCommand に反射的に顔を上げ愛を見る。合わさった視線にゾクリと背筋が震えて、ゴクリと息を呑んだ。呼吸が少しずつ乱れていく。それは期待感からだった。身体の内側が疼いて、次のCommandを期待している。
支配、してほしい。
ドクン、と心臓がその感情を知らせる。湧き上がる本能に身体が震えた。琥珀色の瞳はなおも俺を捉えて離さない。妖しく光るその瞳に思わず手を伸ばそうとした。焦がれるような思いだった。
ふわりと、伸ばしかけた手を優しく掴まれる。ハッと我にかえって掴まれた手を見た。
「あ……」
「俺に、触れたかったの?」
掴んでいた手を優しく撫で、そして包み込むようにその手を取って愛は俺の手を愛の頬へと持っていく。その一連の動作を目で追っていれば辿り着いた愛の頬。愛の手に優しく包み込まれながら触れる愛の頬は少しだけヒヤリとしていた。
「触っていいよ」
そう言って笑みを浮かべた愛はとても綺麗で妖艶だった。愛の琥珀色の瞳に映る縋るような俺の姿を認識すれば、乱れる心臓。鼓動が全身に訴えていた。
その瞳に支配されたい、と。
愛 が俺から手を離すと自然と俺の手も愛の頬から離れた。行き場を失った手に喪失感が宿る。目の前の愛は立ち上がり椅子を用意すると俺の目の前に置き、そこに座った。
「Come 」
ぽんぽん、と自分の膝を叩いて俺を呼んだ愛はじっと俺を見つめていた。その口元には薄く笑みが浮かんでいる。導かれるままに対面で愛の膝に座れば嬉しそうな表情を浮かべて俺の頭を撫でた。
「よくできました。良い子だね、真白」
優しく頭の後ろを撫でる愛の手が心地良い。頭を撫でながら同時に親指で耳を撫でられる感触に擽ったくて身をよじる。
気持ちいい。愛の手が、温度が、言葉が心地良く心に入り込む。愛のCommandと表情に全身が満たされていく。ぽかぽかと暖まるような感覚に包まれた。
「真白」
耳元で愛が囁く。心地良い声色が優しく鼓膜を揺らして痺れるような感覚がした。近づいた距離に、甘いバニラの香りをより強く感じて酔わされる。
「キスは、好き?」
問いかけられた言葉に脳裏がゾクゾクと痺れて鼓動が速まる。全身が目の前のDom を求めている。言葉を返そうと口を開けば呼吸は少し乱れていて、熱い吐息を洩らした。
「わ、かんない」
「そっか」
──じゃあ、試してみよう?
そう言って愛は微笑み、ちゅ、っと俺の唇に軽い口づけをする。それの甘さに全身が痺れて震える。初めてのその感覚に少し身体が強張った。それから愛は何度か軽く口づけを繰り返して、そしてある時、言った。
それは俺の身体の強張りが解けたタイミングだった。
「舌、出して」
それは優しい声色ではなくて、Subの本能を刺激するDomのCommand だった。交わる視線は逸らされることなく絡む。愛の瞳に浮かび上がるDom の気配に満たされていく。
熱い吐息が漏れる。ゆっくりと舌を出せば、愛は満足気に笑う。その表情にまた、本能が満たされた感覚がした。
「Good boy 」
俺の頬を優しく撫でた愛の顔が近づいてくる。甘いバニラの香りが鼻の奥を擽って頭がふわふわとした。愛の舌が触れる。
唇を合わさず舌だけが触れる感触に身体がビクリと震える。思わず吐息に混じり小さい声が漏れた。絡まる舌の感触が、空気に触れる吐息が気持ちよくて堪らない。
「気持ちいい?真白」
「教えて」
愛の琥珀色の瞳に俺のとろけた姿が映る。愛のCommand に頭がふわふわとして、鼓動が全身に響くように高鳴った。
「きもち、いい」
上手く口が回らず、熱に浮かされたような頭でそう言えば愛の瞳が歓喜に揺れたように見えた。瞳の妖しさが増して琥珀色が光る。妖艶な笑みを浮かべ恍惚な表情を魅せる愛に全身が歓喜で震えた。
もっと、褒められたい、喜んで欲しい。
本能が求める欲求にいつの間にか気づけば舌を出して愛を待っていた。それを見て愛は笑みを深め、優しく頭を抱き寄せる。
「いいよ。いっぱいしてあげる」
触れた唇の温度が混じって熱い吐息に溶けていく。甘いバニラの香りに包まれてふわふわと熱に浮かされる。愛の全てが心地良くて、溺れた。
「サブスペ 入っちゃった?」
愛のそんな言葉が聞こえた気がした。力の入らなくなった身体は息を上げ、ぽす、っと愛の肩に埋もれた。ぽんぽん、と優しく背中に触れる愛の手が心地良い。
良い子だね、と優しく甘く囁かれて脳内がとろけていく。快感が全身を包んで、心が歓喜に震えた。ちか、ちか、とうわ言のように名前を呼ぶ俺に愛はなおも優しく触れて甘い言葉を落としていく。
愛の腕に抱かれながら俺は瞼を落とし、眠った。
今までにない幸福感は俺を満たし、そして俺は愛に溺れた。
「目ぇ逸らすな」
穏やかな夢から醒めるように脳内に響いた声。ハッとして目を開けた。身体の震えが止まらず、どう息をしていいのか分からなくなった。荒い息を繰り返す俺に誰かが声をかける。誰かの腕の感触を感じた気がしたけれどそれ以上に暗く深い闇に引きずり込まれるような感覚がした。
いやっ、いやだ、だれかっ!!!
くるしい、くるしい、こわいっ……
反芻して聞こえる、目を逸らすなと言う言葉。脳裏に蘇る、" あの日 "の記憶。鼠径部の火傷がジクジクと、まるで忘れるなとでも言うかのように痛む。
「しろ、──ろ、ましろ!!!」
ぎゅっと、誰かに強く抱き締められる。甘いバニラの香りが柔らかく溶けるみたいに身体中に広がる。
「大丈夫、大丈夫だよ真白。ゆっくり、息を吐いて」
愛 の優しい声が聞こえる。抱き締められる腕の暖かさに光の中へ引き戻されるみたいな感覚がした。ゆっくりと息を吐く。
次第に呼吸が落ち着いていく。優しく背中を撫でる愛の手のひら。涙が出そうなほど優しいその手つきに緊張と恐怖がほぐされていった。
「真白」
幾分か落ち着いてきた頃。愛は俺の名前を呼んで顔を覗き込む。眉を下げ心配そうに揺れる琥珀色の瞳が大丈夫?とでも言いたげにこちらを見つめていた。
そこでやっと、自分と愛があの時の体制のままだったことに気づく。あのまま寝てしまったのだから長く愛の膝の上にいたことになる。ふと、愛の足が心配になった。
「ごめん」
自分の不甲斐なさから気づけばそう口にしていた。目を伏せた俺に、愛はそっと頬に手を添える。その手つきはまるで愛しいと言っているかのようだった。
「謝らないで。俺の方こそ、無理させちゃったかな」
ごめんね、と謝った愛の表情が切なくて、胸がぎゅっと締め付けられるみたいに苦しくなる。
「ちがっ……無理なんて、してない」
ただ……と、言葉を濁す俺に愛はまた俺をぎゅっと抱き締める。宝物を抱き締めるかのようなそれに少し戸惑った。
「真白」
耳元で聞こえる愛の声。
「俺の側にいて」
弱々しくそう呟いた愛は俺を抱きしめる腕にまた力を込めた。縋るようなその腕に、懇願するように呟かれたその言葉に、きゅっと締め付けられる心の痛み。幼い子供のようなその姿が何故か痛々しく思えた。思わず、その身体を抱き締める。
「わかった」
気づけばそう、口にしていた。
ピクリと、その言葉に抱き締めていた愛が僅かに反応する。そして震える腕を隠すかのようにぎゅっと俺を抱き締めると、ありがとう、と小さく呟いた。
それは今にも消えてしまいそうなほど小さくて儚い声だった。開けた窓からは体育をしている生徒達の声が聞こえる。静かな室内には二人の呼吸音だけが響く。
暖かい愛の腕の中に安心する。近くで聞こえる呼吸音に胸の奥が疼いた。おかしな話だ。まだ、名前しか知らないのに。
こんなにも、愛の側が心地良い。
こんな気持ちはおかしいだろうか。間違っているだろうか。間違っているのなら、正しさはどこにあるのだろうか。
本能が、Dom を求める。そんな自分を嫌いになるほどあの日沢山の傷を負ったのに。目の前のDom に今も心臓が高鳴って、愛を求める。
なぁ、愛 。
俺を愛して くれる?
――――――
ゆっくりと、時間だけが過ぎていった。暖かい愛の体温と甘いバニラの香りに包まれて心が穏やかに溶けていく。俺も愛も、お互いに口を開くことはなく、ただただ穏やかな時だけが流れる。
ずっと、このままだったらいいのに。
ふとそんなことを思う自分に気づいて思わず笑ってしまった。急に笑った俺に愛が少し驚いててそれを見てまた笑った。
「どうしたの?」
「いや、なんか久しぶりだなぁって」
「久しぶり?」
「こんなに心の底から幸せだって思うの」
「……そっか」
俺もだよ、そう言って薄っすらと笑った愛の琥珀色の瞳はどこかゆらゆらと揺れていた。それに少しの不安定さを感じて思わずグイッと愛の両頬を両手で掴んで視線を合わせようとした。
思わぬ俺の行動に愛は驚きに目を開く。真っ直ぐに俺を映すその琥珀色に安心した。
「真白……?」
「愛、俺達男同士だけどいいの?」
その言葉に愛は優しく笑う。そして片手を愛の頬を包む俺の手に添えた。
「関係ないよ」
俺は真白がいいんだから。そう言った愛の瞳と視線が交わる。男とか女とかどうでもいいよ、そんなの。そう言う愛はもう片方の手で俺の頬を撫でた。優しいその手つきに、心にじわりと広がる感情。
「真白は気にする?」
真っ直ぐに俺を映すその瞳に思わず言葉に詰まる。なんと言えば良いのかわからなくて沈黙した。正直良くわからない。女を経験したことのない俺にはよくわからないし、そもそも恋愛もしたことのない俺には、男がいいのか女がいいのかもわからない。世間の目がどうかとかよりも、まず自分がどうなのかよくわからなかった。
「わからない」
沈黙の後、そう静かに口にした俺に愛はただじっとこちらを見つめるだけだった。その瞳を見つめて俺はまた口を開く。
「ただ、愛の腕の中は安心する」
それが唯一はっきりわかる、俺の本心。嘘偽り無い気持ち。
「そっか」
そう言って笑った愛は俺をぎゅっと抱き締めた。しがみつくようなそれに俺もぎゅっと愛を抱き締め返した。
何度目かのチャイムがまた鳴っていた。
「授業全部終わっちゃったね」
やっちゃったなぁー、なんて言って笑う愛 。そんな愛の隣を歩く。あれからチャイムの音にハッとして時間を確認すれば授業の全てが終わったことを知る。愛はあっけらかんと笑っていたけど、俺は内心ヒヤヒヤしていた。多分、椿生がなんとか言い訳してくれたとは思うけど。
「そう言えば、愛目立つのになんで今まで知らなかったんだろ」
「んー、まぁ俺一週間くらい前に転校してきたばっかりだしね」
「……は?」
「ん?」
「転校してきて早々サボってんの……?」
「まぁ、大丈夫でしょ」
「嘘だろ……不良じゃん」
「ふふ、不良なパートナーはお嫌いですか?真白くん」
「いや、別にいいけど」
そっかぁ、なんて言ってニコニコと楽しそうに笑う愛を見て俺も思わず笑った。教室が近づくに連れて徐々に増える人の数だけこちらに向けられる視線が増える。
遠巻きに俺達を見る視線にちょっと溜め息を吐きたくなる。言いたいことがあるなら言えばいいのにと思うと同時に喋りかけに来ては欲しくないとも思う。僅かに頬を染めこちらを見つめる女子生徒も一定数いてなんとも言えない気持ちになる。
そんなことを考えていたらいつの間にか自分の教室の前まで辿り着いてた。
「あれ?愛の教室ってどこなの?」
「隣みたいだね」
「え?」
「隣」
そう言ってなんとも言えない表情で笑った愛もどこか驚いているように思えた。ていうか、隣だったのによく今まで会わなかったな。そんなことを思って少し笑った。
「俺さ、真白にもう一回会いたいなぁって思ってたんだけど、」
こんな近くに居たんだね。そう言ってふわりと綺麗に笑った愛に思わず見惚れてしまった。
「これから何か予定ある?」
「え?あ、いや、ないけど」
「じゃあ、デートしようよ」
愛の思わぬ言葉に驚く。それと同時に近くにいた生徒数人もその言葉を聞いて驚いているのが見えた。
「いい、けど」
「良かった。じゃあ鞄取ってくるよ」
「あ、うん。俺も取ってくる」
数人の生徒達が驚きで固まって俺達を凝視しているその横を通り過ぎて教室へと入る。
すると一番最初に目が合う人物。
「シロ、お前どこ行ってたんだよ」
呆れた顔でこちらを見る椿生。
「ごめん、ちょっと色々あった」
「色々ってなんだ、色々って」
「心配した?」
「当たり前だろ。てか、お前なんか顔色良くなったな」
「そう、かな」
「おう。まぁお前が元気になってんなら別に何でもいーけどさ」
「ありがと、椿生」
「おー。あ、そういや駅前のカフェ寄りたいって|明《あきら》が言ってたんだけどお前もどう?シロも連れて来いって言われたんだけど」
断ろうと口を開いた瞬間、ざわっと教室内が騒がしくなる。不思議に思ってクラスメイトの視線の先を追おうとした瞬間、その声が鼓膜を揺らした。
「真白」
その綺麗な顔に笑みを浮かべ、扉の前に立つ愛。そんな愛から目が離せなかった。
「ごめん、先約がある」
まじかよ、とそんな椿生の声が聞こえた気がした。俺はただ目の前の愛に向かって一歩を踏み出す。クラスメイト達はそんな俺達をただじっと驚きで見つめていた。愛の目の前まで来ると愛は俺に微笑む。その瞳が俺を褒めているようで、湧き上がる高揚感を奥歯で噛み締めた。
「行こう」
そう言って差し出された手を取って頷く。教室を後にすれば後ろからはざわざわと騒がしい声が聞こえた。
繋いだ手の温もりがじわじわと心に染み渡る。心地の良い感覚に気づけばいつの間にか口元に笑みを浮かべていた。
幸せ、だ。本当に。愛のこと殆ど何も知らないけれど、それでもいい。安心感に包まれるこの感覚は本物で真実だ。手放したくない、とそう強く思った。
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