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Speak
「どこか行きたいところある?」
校門を出て暫く歩いているとふと愛 がそう聞く。
「え?行き先決まってなかった感じ?」
「ごめん、真白と一緒にいたかっただけだから」
何も決めてなかった、とちょっと恥ずかしそうに笑う愛は俺と繋いだ手を目線まで上げてそう言った。そんな愛を見て、俺の頬が少し熱くなった。
「じゃあ、」
──どっかカフェとか寄る?、そう言おうとした時、心臓がドクンっと鳴った。それは嫌な動悸で。思わず立ち止まった足に愛が不思議そうにしているのがわかる。けれどそれよりもこのバクバクと鳴る心臓が嫌になるくらい不快だった。
「真白?」
愛の声が遠くで聞こえるような感覚になる。思考や体外はぼんやりしているのに身体の内側は酷く敏感に研ぎ澄まされたみたいな、変な感覚。何か、俺は、しなくちゃいけないことが、あったような、守らなきゃいけない、"命令 "が、あったような。
命令 ──?
あれ、嫌だ、何か、気持ち悪いものが這い上がってくるみたいな、嫌、嫌だ、やめて、来ないで、さわらな──
「真白!!」
ハッと目に映ったのは愛の不安そうな顔だった。不快感がスッと消えていく。五感全てがもとに戻ったように愛の体温も匂いも鮮明に感じる。
「あ、ごめん、ぼーっと、しちゃった、」
愛を呆然と見つめながらぽろぽろと零した言葉。それに愛は不安そうにしながらも繋いでいない方の手で俺の頬を撫で、何も言わずに優しく微笑む。そして、俺の頬を撫でた愛の手がスッと離された。
離れていった温度は名残惜しげに俺の頬に残り、一抹の寂しさを与えた。
あれからどちらとも喋ることなく愛に手を引かれながら歩いた。なんとなく気まずい感覚に居心地が悪い。愛がどこに向かっているのかはさっぱりわからなかった。
「何か飲む?」
自販機の前に立ち止まった愛は俺にそう聞いた。小首を傾げながら俺を伺う姿は気まずさを感じていた俺をわかっていたようで、穏やかに微笑んで和ませようとしてくれているようだった。
「ストロベリーソーダ」
「うん。真白ってさ、いちご好きなの?」
「え、なんでわかった?」
「わかったっていうか、いちごのサンドイッチ持ってたし」
「あー、そっか、そういえばそうだ」
「で、好きなの?いちご」
「うん。いちごの商品とりあえず一通り買って試すくらいには」
「そっか、それは結構好きだね」
はい、どうぞ。そう言って差し出されたペットボトル。ストロベリーソーダと書かれたその鮮やかな赤のペットボトルを受け取り、ありがとう、と言葉を返す。愛の手に握られたもう一つのペットボトルにはチョコミントソーダ、と書かれていた。ミントブルーの爽やかな色が綺麗で目を惹かれる。
「愛は、チョコミントが好きなの?」
「ん?あぁ、皆歯磨き粉だって言ってくるけどね」
「確かに」
「真白はあんま好きじゃない?」
「いや、好きなほうかなぁ?チョコが多めじゃないと嫌だけど」
「あー、俺と逆だ」
「ミント多いほうがいい?」
「うん、口を爽やかにしたい」
「なんだそれ」
愛の発言に思わず吹き出す。笑う俺を見て、愛も同じように笑っていた。
「あそこで座って話そう」
穏やかに笑う愛は近くにあった公園のベンチを指差した。それに俺は軽く頷く。愛はまた俺の手を引いて歩き出した。
あまり人のいない公園は小学生くらいの子供が数人遊んでいるだけだった。子供達の声が楽しそうで気持ちが和む。ベンチに腰掛ければ愛との距離が思ったよりも近くて体温が上がった気がした。
「真白の誕生日っていつなの?」
「誕生日?12月。12月25日」
「え……」
「どうかした?」
「……だ」
「え?」
「一緒だ……」
「……え」
「俺も、12月25日」
「まじか」
「うわどうしよ、やばい、凄い嬉しい」
左手で髪をクシャッと上げて空を見上げた愛。その表情は腕であまりよく見えなかったけれど、口元は笑っていた。弾むような愛の声色に俺も嬉しくなって自然と笑みが漏れる。
「愛は兄弟とかいるの?」
「8歳上の兄がいる」
「へー、いいなぁ」
「真白は?」
「いない、ひとりっ子。あーでも、幼馴染みが二人いてその二人とはいつも一緒だったし兄弟みたいに育ったな」
「いいね、そういうの」
「幼馴染みとかいるの?」
「んー、あんまりそれっぽい人はいないかも。いつも周りには大人ばかりだしね」
「あ、そうなんだ……。そうだ、明日にでも紹介するよ俺の幼馴染み。同じ学校なんだ」
「本当に?嬉しいなぁ」
俺の言葉にニコニコと笑う愛。綺麗に笑う愛の表情に無邪気さが見えたような気がして心がじわりと暖かくなる。お互い口を開く度に、お互いのことを知っていった。名前だけだった情報がどんどん増えて俺達を色付けていく。
それから日が暮れるまで俺達はお互いのことを話し合った。
――――――
「で、この状況はなんだ」
若干引き攣った表情をした椿生 がそう口にする。椿生の隣に弁当箱を持ったまま立つ明 は俺達を見て訳が分からないという表情を浮かべていた。クラスメイト達はこのおかしな光景に思わず、驚きのあまり言葉を失ったようにこちらを凝視している。
「はじめまして。花月 愛 です」
「え、あ、立木 椿生 、です……」
「あ……宝条 明 です」
「よろしくね」
ニコニコと笑う愛に目の前の二人は状況がうまく飲み込めないのか困惑した表情を浮かべる。すると突然、愛は俺の頭にちゅ、とキスをする。
「「「っ〜!!」」」
俺達二人以外のこの教室にいる全員が、息を揃えたように同じ反応を見せる。突然の愛の行動に驚きで固まっていた俺は皆の反応を見てハッと我にかえった。
「愛っ」
思わず俺を後ろから抱き締めている愛を見る。すると愛はどうしたのと言わんばかりに首を傾げてニコニコと笑う。その笑顔があまりにも嬉しそうで何も言えなくなってしまった。
小さく溜め息を吐いて困惑する二人に向き直る。すると俺を抱き締める愛の腕が強まったように感じた。
「悪い、場所変えて話そう」
俺の言葉に周りの状況を見て目の前の二人は頷く。流石にこの状況じゃあまともに話どころかご飯も食べられない。歩きだそうとすると俺を抱き締める愛が未だに動かないせいで俺もその場に留まってしまう。不思議に思って愛を見た。
「どうした?」
「……」
「愛?」
「、なんでもない」
ごめんね、そう言って愛は抱き締めていた腕を離して歩き出す。その背中をじっと見て俺もすぐあとに続いた。俺達の後ろを椿生と明がついてくるのを気配で感じる。教室を出れば、夢から覚めるかのようにクラスメイトの喧騒がざわざわと遠くの方で聞こえた。
屋上に向かう愛の背中を眺めながら思う。ごめんね、と言って腕を離した愛の表情はとても、苦しそうだった。厳密に言えば愛はあの時笑ってた。でも何故か俺にはそれがとても苦しそうに見えて。
まだ俺は愛に話してないことがある。それはもしかして、愛も同じなのだろうか。ならばいつか互いに話せる日が、来るだろうか。
例え、来なかったとしても離れたくは無い、とそう思う。こんなにも短時間で俺は愛に溺れたんだとそう自覚した。
目の前を歩く愛が、屋上の扉を開ける。夏の強い日差しが愛に降りかかる。キラキラと輝く光を背に振り向いた愛はあまりにも、綺麗だった。
「あっついね〜」
薄っすらと額に汗を滲ませた愛はそう言いながらパタパタと手を扇ぐ。屋上の日陰でお弁当を広げ座った俺達は今まさに真夏の暑さにやられていた。
「これなら裏庭のが良かったんじゃね」
「でもそれだと人が集まると思うけど」
「確かに」
「それよりさ、これ食べてみてよ」
チーズインソーセージ〜、なんて言いながら椿生の口にソーセージを放り込む明。そんな二人に思わず笑っていれば突然差し出される重箱。差し出した人物──愛を見れば優しく微笑む顔が目に映る。
「開けてみて」
そう言う愛に促されるように重箱に視線を戻す。椿生と明は愛が持ってきた重箱を凝視していた。例に及ばず俺も目が離せない。確かにここに来るまでに愛の手元にあったこの重箱の存在はとても気になっていた。一人で食べるには大きすぎるし、そもそも学校に重箱持ってきてる奴は見たことない。緊張と期待感で指先までドクドクと心臓の鼓動が伝わる感覚がした。そっと重箱の蓋を開ける。
「うわ〜」
なんともメルヘンチックな可愛らしい中身に思わず感嘆の言葉が漏れる。色合い豊かな食材とあちらこちらにいる子犬の姿をした食材達。食べるのが勿体なくなるくらいの可愛さに驚く。二段目、三段目、と開けても落ちることのないそのクオリティに思わず息を呑んだ。
「これ、どうしたんだよ」
「俺が作ったんだよ。良かったら二人も食べてね」
「すげ……」
「負けた……」
「てかなんで子犬?」
「え?あぁ、真白 に似てるから」
「え、俺!?」
「あー、わかるわ」
「うん、わかる」
うんうん、と頷く二人と、だよね〜、なんて言ってニコニコと笑う愛。そんな三人を呆然と見つめる。
全くわからん。俺子犬に似てるの?
「ほら、真白」
呆然とそんなことを考えていたら目の前に差し出される玉子焼き。差し出した愛を見れば琥珀色の瞳が穏やかに俺を見ていた。その瞳に導かれるように俺は目の前の玉子焼きを口に入れた。
ふわっと広がる甘い味。俺好みのその味に思わず感動して愛を見る。そんな俺を見て愛は僅かに驚いたあと、嬉しそうにそして照れたように笑った。
「あ!!!」
和気あいあいと昼食を取る中、突然声を上げた椿生。驚きに視線を移せば椿生と目が合う。
「馴染みすぎてて忘れるところだった!」
「あ、そうじゃん!説明!してよ、シロ」
阿吽の呼吸の如く息ぴったりにこちらを見つめる二人の視線は逃さないと言わんばかりにギラギラとしていた。ギラつく二人の形相に思わず息を呑む。思わず隣にいる愛の制服の袖を掴んだ。
「パートナーになったんだ」
愛は、袖をちょこんと掴んでいた俺の手を反対側の手でそっと握るとそう口にした。愛の言葉に訪れる静寂。いつの間にか愛の両手に包まれていた右手はとても心地良くて、安心する。目の端に映る陽炎はゆらゆらと揺れていた。
「……シロ、お前──」
──大丈夫か、とたぶんそう椿生は口にしたかったんだと思う。けれどその言葉は飲み込まれ口に出されることはなかった。目があった椿生の瞳はゆらゆらと心配そうに揺れていた。
「……パートナーってことは愛くんはその、」
「うん、Domだよ」
静かに口を開いた明は答えを聞くのを躊躇するかのように言葉を濁そうとした。それに愛ははっきりと言葉を返す。目の前の二人が息を呑んだ音が、鼓膜にはっきりと届いた。
ドクドク、と自分の心臓の鼓動がよく聞こえる。言えもしない不安に浸かっていくみたいな感覚がした。
「俺が、」
──真白 じゃなきゃだめなんだ。
俺の震える手を優しく両手で握って愛はそう言った。優しく暖かいその声色は何故か今にも泣き出しそうな声にも聞こえた。
合わさった視線。琥珀色のその瞳は柔らかく細められ儚い笑みを作る。その笑みを見れば心臓がギュッと掴まれたように苦しくなった。
「俺、今幸せだよ」
その言葉が本心だったのかどうかは、分からなかった。本当は椿生と明に大丈夫だよ、って伝えるつもりで口を開いたのに実際に口から出た言葉は、誰に向けたものだったのか。
自分に言い聞かせたかったのかもしれないし、愛に安心してほしかったのかもしれない。けれど、方向の定まらなかった言葉は宙ぶらりんのまま口から出てただの薄っぺらい言葉になってしまった。
「花月 」
何とも言えない空気の中、椿生が静かに口を開く。全員の視線が椿生に向いた。
「シロを傷つけないって約束してくれ」
真っ直ぐに愛を射抜く椿生の視線はいつも以上に真剣で力強かった。
「私からも。シロを大切にして欲しい」
明も、椿生同様に愛を真っ直ぐ見つめる。二人の気持ちが痛いほど伝わって少し泣きそうになった。
「約束するよ」
ギュッと俺の手を握った愛は真っ直ぐ二人を見つめてそう言った。その顔に浮かぶ表情はとても真剣なものだった。初めて見るその表情に鼓動が少し速くなる。隣にいる愛の体温をより鮮明に感じる気がした。
愛の言葉を聞いて椿生と明は納得したように軽く頷いて笑みを浮かべた。それから何事もなかったかのように和気あいあいとしたお昼の時間を過ごした。
俺は、後ろ暗い何かが拭えないままその時を過ごした。
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