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12.回顧
電車で再び東京に戻って、ばあちゃんのメモが記した地図までの道のりをスマホで検索する。そこはどうやら俺が通う大学の近所の住宅街で、でも大学に行く以外その街に興味の無かった俺だから、大学生になってからも初めて赴く場所であった。
『定食屋高杉』
住所とともに書かれたその名前に、ジリジリと脳髄が焼かれる感覚がする。少しふら付きながら住宅街を行って、スマホを見ながらそこに辿り着くころには朝の十時ちょうどだった。夢の断片が頭を過ってそこに座り込みそうになった時、定食屋高杉の中から三角巾とエプロンをした、映研専属主演女優の美女『響ちゃん』が暖簾を飾りに出てきた。ああ、そうか。『バイトと言っても実家の定食屋の手伝いなので』。響ちゃんは実家の定食屋でバイトをしているんだった。響ちゃんの名字は『高杉』なのか。皆が『響ちゃん』としか呼ばないから気にもしなかった。思いながら本当に座り込むと、『えっ』と響ちゃんの吃驚したような声が俺の方を向く。
「市原さん!? どうしてここに……えっ、大丈夫ですか?」
「ちょっと、ごめん……なんていうか落ち着かせて」
「また頭痛ですか? でも市原さん、どうして家のこと。まさか全部思い出して!?」
「違うんだ、ごめん。本当にゴメン、響ちゃん、俺、」
『高杉 響』が俺の背中を擦っている。心配そうにでも定食屋の中の様子を気にしながら、『高杉 響』が。
「ひーびきちゃん!」
「あっ」
二人で道にしゃがみ込んでいる所、知らない男の声がしたから俺もなんとか顔を上げる。そこにはサラリーマン風のスーツ姿の、大学を出たばかりといった感じの若い男がニヤニヤ顔で立っていた。
「服部さん」
「うん、おはよう響ちゃん。今日も最高に可愛いね」
服部と呼ばれた男は馴れ馴れしく響ちゃんの隣に立って、それから同じくしゃがみ込んで俺の様子を伺ってくる。響ちゃんの顔が強張ったこと、俺だってそれくらいは見逃さなかった。
「どうしたんだいこの男。もしかして仮病で君の、気を引こうとしているんじゃないかな」
「服部さん。違います、市原さんは本当に具合が悪くて、」
「へえ、市原っていうんだこの優男!! チャラついたなりで響ちゃんに近づいて、背中まで擦ってもらって気に食わないなぁ」
「あのっ! わたし、市原さんとお話がありますのでその、今日は遠慮してもらえませんか」
「んんん? どうして僕が遠慮しなきゃいけないの? 響ちゃん、僕はこんなに響ちゃんのことを愛してるのに」
「……わ、私は」
確定だ。響ちゃんは恐がっている。いつも結構つらっと冷静な、響ちゃんの声が震えている。睨むように目線を上げると、血走った服部のそれと目が合った。
「響ちゃん……もしかして宇都木とかいう男だけじゃなくて、この男のことも誘惑してるのかな」
「誘惑だなんてそんな、市原さんは私の大切な人で、」
「『大切な人』! やっぱり響ちゃん!! 僕と言うものがありながら君って娘は……少しお仕置きが必要なようだ」
「あっ」
服部が響ちゃんの腕を引っ掴んで立たせる。俺はまだ頭痛が止まなくて、でも響ちゃんが知らない男に腕を掴まれているからなんとかもって立ち上がる。男は通勤鞄から何か取り出して、俺と響ちゃんを見比べては『それ』をパチッと火花散らせた。
「響ちゃん、可愛い僕の響ちゃん……ちょっとビリッとするだけだからね? 怖くないよ、すぐにこんな男のことは忘れさせてあげるから」
「ひっ……」
「逃げないで、逃げたらもっと酷くするよ。だから少しだけ大人しくっっ!!!」
スタンガンだった。男が響ちゃんにそれを押し付けようとするのを確かに目にした俺は、響ちゃんの腕を横から引いて彼女の前にしゃしゃり出て、そのままモロに、腹の真ん中でスタンガンの電気を受けた。
「うっ、ああああああ!?」
バチバチバチバチ!! 電気が散る音と俺の声が住宅街に響く。これはかなり、結構相当痛い。チカチカ目の前に星が散って、やっと俺からスタンガンを離した服部が『ハハッ』と空笑いをする目の前で膝をついて腹を押さえる。
「市原さん!!」
響ちゃんも同じく膝をついて、俺に縋って背中に隠れる……かと思ったら俺の前から俺を庇うように抱きついて、涙目で振り返っては服部に怒鳴りつけた。
「やめて、もう止めてよ!! 酷いことをするなら私にすればいいのに、どうして市原さんにこんなこと!!」
「いやぁ、そりゃあ僕だって君に『お仕置き』しようとしたさ。そいつが勝手にしゃしゃり出てきたんだろ?」
「響ちゃん、危ない、から……早く逃げて」
「市原さんを置いて逃げたりなんか、出来るわけない!!」
「おいおいおい、何を僕の前でイチャついてるわけ? 僕の話、ちゃんと聞いてたの君たち?」
再び服部がスタンガンを構える。今度は俺に抱きついている、響ちゃんに再びそれを向けようとする。俺は響ちゃんを暴力から守らないといけない。だから動かないといけないのに、身体が痺れて言うことを聞かない。だから、
「響ちゃん、逃げ……」
「ってか、何してんのお前ら?」
飄々とした、良く知った声が聞こえた。響ちゃんと一緒に顔を上げると、そこには大型犬のリードを持った、普通に犬の散歩中らしいあいつ、宇都木が居たのだ。宇都木は膝をついてる俺たち二人を見て『変な顔』をして、それから服部の方ににらみを利かせる。
「ヨォ、服部じゃねえか。まーだ響のこと、諦めてなかったのか、よっ!!」
「うぉっ、はぐっっ!?」
宇都木はそういえば、響ちゃんの幼馴染で近所付き合いがあると言っていた。その宇都木が軽々と服部の腕を捻り上げてスタンガンを地べたに叩き落し、更には服部の腹に重い一発をかますから服部もその場によろけて、膝をついた。一方の俺たちは、俺は響ちゃんに庇われながら立ち上がってジリジリする腹を押さえながら、服部を取り押さえてスマホを取り出し、警察に電話をしているらしい宇都木をぼうっと眺める。
「もしもし、すみません。事件です。ストーカー野郎がスタンガンをもって暴れていまして……はい、はい、場所はー、」
何だよ宇都木。あの合宿の日は大人しく俺に殴られておきながら、全然俺なんか敵わないくらい喧嘩ができるんじゃないか。思って眉を曲げていると、宇都木の飼い犬の黒いレトリーバーが『わふ』と鳴いて響ちゃんに纏わりついた。
「クロ、散歩中だったのね」
響ちゃんは俺をまだ庇いながら片手でクロ(レトリーバー)を撫ぜてやって、リードを離した宇都木に代わってそれを持つ。間もなくすぐ近くの交番から駐在さんがやってきて、服部は何やらゴタゴタ言いながらも警察に連れていかれてしまったが。
「市原、どうしてここにいる? 響のこと、俺のこと、思い出したのか」
不意に服部と警官を見送っている際、宇都木にそう聞かれて振り返る。腹がまだ痛んで眉を曲げたまま『いや、ごめん……』と謝ると宇都木は長い溜息を吐いて、それから俺のシャツを胸下までめくった。
「うわっ」
「あいつにやられたんだろ。熱傷が出てる、これは病院行きだな」
「市原さんっ!!」
「えっ」
宇都木が俺のシャツから手を離したと思ったら、今度は宇都木にリードを押し返した響ちゃんが俺にまた抱きついてきて、しかもよく見ると、少しだけ涙を流しているようであったからハッとする。
「私を庇ってこんな傷! あなたは本当にお人好しで、馬鹿な人……ねえ、もう二度とこんなことしないで!!」
「にっ、二度とって言われても、無意識でやっちゃうことだし」
「市原さんは、もう私を庇って怪我をしちゃいけないの! あなたが私のためにひどい目にあうところなんて、私はもう二度と見たくない!!」
「『もう二度と』……?」
そうだ。俺は昔、響ちゃんを守っていたのだ。それはひどい暴力から。そうだ、両親……とりわけ父親の暴力からだ。
「響ちゃん、君は、」
『高杉 響』。響ちゃん。そうだ。『高杉』は、俺の元々の姓だ。どうして忘れることなんかできたのだろう。どうしておれは大事な『妹』のことを、忘れることなんか!!
「市原? ここは不味いから早く病院に、」
「響ちゃん、響! 俺、おれはこの街に君を置いて、一人で今までのうのうと!!」
「市原さん……ううん、お兄ちゃん。思い出して、くれたんだね」
響ちゃんはもう完全に泣いている。ボロボロボロボロ、涙をとめどなく流しては、俺にぎゅうっと強くしがみ付いてくる。兄弟の感動の再会だというのに、しかし苛々している様子の宇都木が『おい!』と俺の肩を掴んだその時。
「何の騒ぎだ、響?」
『定食屋高杉』から、六十代くらいの料理人が出てきた。おれの、もう一人のじいちゃんだ。でも響をずっと独りにして、一人で過去を忘れて良い暮らしをさせてもらって居た手前、彼に向ける言葉がない。響をここまで育ててくれてありがとうございます、とでもいうべきか。戸惑っているとぐちゃぐちゃに泣きはらした響が『お兄ちゃん?』と顔を上げて、振り返ってハッとした。
「『お兄ちゃん』?」
響の言葉を復唱すると、じいちゃんは途端に表情を強張らせて、俺に縋り付いている響の腕を引っ掴んで俺から距離を取らせることをする。続けて俺に、大声で怒鳴りつける。
「お前は、あの人殺し女の家に引き取られた……何をしに来た!!」
「えっ、人殺し、」
「響、どうして透と会っているんだ!? お前が透を、ここまで呼んだのか!!」
「おじいちゃん、止めて……お兄ちゃんは何にもしてないのに、」
「透は人殺しの親に育てられたんだぞ! 何度も何度も、私は透には関わるなと!!」
「それを言うなら、私だってあの人の娘で、」
「響は何もしていない、お前は被害者なんだから! 宇都木の坊ちゃん、そっちの透をどこか遠くに連れていってくれ!!」
父親の暴力。響を守る俺。そしてそれから、人殺しの女? それって俺たちの母親のことか。そうだ、血の海を作ったのは母さんだ。母さんはある日、父さんをめった刺しにして俺たちの本当の実家を血の海にした。父さんは死んで、母さんは逮捕されて、だから俺たち兄妹は、響が父方の祖父母、俺が母方の祖父母の元に離れ離れになった。高杉のじいちゃんは、彼の息子を殺した俺たちの母親を憎んでいるのだ。そして延いてはその母親の両親、俺の育ての親のじいちゃんばあちゃんのこと、彼らに育てられた俺のことも、どうやら嫌っているらしい。色々と考えて思い出し、辟易している所を高杉のじいちゃんに言われた宇都木が『はいはい』と俺の腕を引っ張った。
「市原、とにかく病院に行くぞ」
「でも……じいちゃん、俺、」
「お前に『じいちゃん』と呼ばれる筋合いはない! 二度と家には近づくな!!」
「そういうわけだ、あの爺さん頑固だから。今は取りあえず行こう、市原?」
俺はじいちゃんに、響を独り任せたこと、それが彼らが希望したことだったとしても、それでも謝りたくて、お礼も言いたくて。腑に落ちないけど確かに高杉のじいちゃんは興奮していて話を聞いてはくれなさそうだから、仕方がなく宇都木に連れられて、宇都木の自宅にクロを置いてから、二人で大学最寄りの病院へと向かったのであった。
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