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マッチ売りの娼年 17

 その場所にいた頃は、どこを見ても同じような景色に規則だらけの生活にとうんざりしていたのに、少なくとも我儘を言えるだけの自由を与えられていたのだ……と。  隣の建物の壁は経年劣化で薄汚れていて、お世辞にも綺麗な状態とは言えないはずなのに、ヒデアキはそれでも壁を見続ける。  石山のいびきが響く狭く汚れた部屋の中よりは幾分もマシだったから。  ジャケットを抱えているヒデアキを見て石山はいい顔をしなかった。  面倒そうに斜めに見やってから…… 「捨てろって言わなかったか?」 「こ これ、すごく高いものだから……」  金のことを持ち出せば石山の執拗な視線からジャケットを隠せるかと口に出してみるも、ヒデアキの思惑は外れて睨み返されてしまう。  反射的にそれを庇うように身をすくませ、ヒデアキはまた殴られるだろうかとぐっと腹に力を入れた。 「はぁ? なに言い訳してんだ? お前のものはなんもねぇって言っただろ? ……ああ、違ったか、アレはお前のだったな?」  顎をしゃくられた先にあるのは子供だましのようなクオリティーの熊のぬいぐるみだ。  食事を買った際のくじ引きで当たったそれだけが、ヒデアキのものだとはっきりと言えるものだった。 「……これ、は、オレのじゃない から」  手の中のジャケットを指し示すけれど、石山はそんなことを言いたいのではないのだと肌で感じて、なんとか話を逸らせないかとぐっと唇を引き結ぶ。 「そんなのを着る人間が何度もお前に会いに来るわけねぇだろ!」  どんっと足を踏み鳴らすと同時に叫ばれて、その怒声の勢いに負けてジャケットを差し出しそうになり……  ベンチの上で膝を抱えるようにして時間を潰す。  先ほど一人客が来たけれど、マッチを一本擦った途端に喚いて逃げてしまったためにヒデアキは結局何もしないままだった。  中途半端に弄った下半身だけが妙に熱を持っているような気がして…… 「  こんばんは」  柔らかい香水の匂いと共にかけられた言葉は感触を持っているかのようにやんわりとヒデアキの耳をくすぐる。 「お待ちしておりました」  こんな商売をしている人間に挨拶をする人を朧以外に知らなかったために、ヒデアキはぱっと顔を上げて声を弾ませた。  暗い中では輪郭しか見えないけれど、それでもその気配は朧のもので間違いはないようだった。 「今日もいい夜だね」 「はい」  近づいてきて差し出されたものを受け取り、数を揃えていたマッチを手渡す。  おつりのことを口に出さなかったからか、それとも頓着をしていないのか朧は黙って受け取って隣へと腰を下ろした。  

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