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マッチ売りの娼年 38

「別に俺は、オメガとか興味ありませんよ と」  黒い画面にそう言って歩き出したこの日のことを、惟信はのちに後悔することになる。  予定を大幅に遅れて帰宅して一息吐いた時に届けられた小さな荷物、それがすべてを狂わせたと言っても過言ではなかった。  黒髪の和服姿の男が恭しくマンションの玄関で話し始めた時、追い返してやろうと言う考えがよぎるほど疲れていた。    けれど最後の理性を振り絞って荷物を受け取るとどうしてだかほっとした気分がして、惟信は不思議な思いをしながら荷物を開けて中から小さな小瓶を二つ取り出す。  親指ほどの小瓶が二つ、それぞれ黒と白の蓋がはめられていて、中に脱脂綿が入っているのが見て取れた。 「本日、代わりにいらっしゃいました神田友宏さまにご紹介しましたオメガの香りにございます。本日お顔を見ることが叶いませんでしたので、せめて香りだけでもとお届けに参りました」  そう言って深く頭を下げる男に返事を返せないまま……惟信は白い瓶を握りしめて離さなかった。  その後、金は用意したと言う惟信と、蛤貝はすでに他の者と契約を結んでいると言う『盤』の間でやりとりはあったが、けれどしきたりを重視する『盤』は一歩も譲ることはせず…… 「俺は、友宏の番になっているんだと思ってたんだ」  そう言って惟信は、瀬能が口をつけないだろうと思っていた酒に唇を触れさせた。 「友宏が、『盤』で一番の子を番にしたって自慢してきたから……」  唇の上で玉を結んだ酒が体温で溶けてほどける様子を見ながら、瀬能は自分も酒を口に運ぶ。 「番は……早い者勝ちだ」  ぽつんと漏らした惟信の苦い感情を含んだ言葉は、これまでの歴史の中で数えきれない人々が漏らした言葉だろう。  瀬能はかける言葉を見つけられないままもう一口飲み下す。  一度Ωの項に番契約の歯形がついてしまえば、それはもう消すことはできないし上塗りすることもできない。  番を結んだαのみに縛られ続けることになるそれは、いつ発情期を迎えて不特定多数に襲われる不安を拭い去ると同時にαに守られると言う安堵を与え、そして幸福感を与える。  けれどそれは番契約を破棄されなかった場合のことだ。  上書きのできない番契約を破棄されたΩは、番から離れた孤独感、無力さ、どうしようもない淋しさに責め苛まれてやがて衰弱死する。  「そんな顔するな、何はともあれ生きていてくれたことに感謝をするべきだ」  本来なら、何もケアを受けていない段階で自死を選んでいてもおかしくはなかったのだと、瀬能は思う。  

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