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赫の千夜一夜 3

 セキを連れてきているのだからもう少し慎重になるべきだった と胸中でごちながら部屋へと入る。  海外での取引で段取りが違った……などと言うのは言い訳に過ぎず、自分の考えの浅さが今の事態を招いてしまったことに自然と眉間に皺が寄った。        セキを連れて海から這い上がった瞬間に見た、セキの服に滲む赤い液体。  スーツの白いシャツを真っ赤に染めて、何が起こったのかわからない呆然とした表情をしたセキを……     「クソッ」  噛みしめた歯の間から漏らすように悪態を吐いた。 「────!」  声の代わりに気配が弾む。 「起きているのか?」  記憶の中の赤い色を振り払うようにそう問いかけると、狭い部屋の奥に押し込められたベッドの上の膨らみがもそもそと動き、ぷは と寝ぼけ眼でセキが顔を出す。  明るい光に目をしぱしぱとさせながら、きょとんと大神を振り返る。 「ぉ   が、み  」 「無理に喋るな」  自分を呼ぶ声の掠れ具合は酷く、自分以外では誰もその言葉を理解することはできないだろうと、大神は傍に腰を下ろして泣き過ぎで腫れた目元にそっと指を置く。  皮膚の薄い目の周りは、散々泣いたせいで赤みを見せて痛々しい。 「お、  出   」  はくはくと唇は動くが声はやはりはっきりとはしない。  セキはもう一度チャレンジしてみたようだったが、努力が無駄だとわかったのか肩を落としてもぞもぞと薄い掛け布団にくるまり直す。 「リンゴでも食べればマシになるだろう」 「!」  抱えていた荷物を小さなテーブルの上に置いている最中に、大神はその中に一輪の花があることを思い出した。  ふと見かけて、何のためにと言うわけではなかったけれど気にかかって買ってしまったものだ。 「……」  購入の際のあの男とのやり取りを思い出して顔をしかめつつ、飾り気も素っ気もない一輪のチューリップを掴んでセキの方へと差し出す。 「?   ⁉」  目の前に突き出されたものを、セキは一瞬理解できなかったらしい。  きょとんとした後に飛び上がり、ひとしきりうろたえてからそろりそろりと大神の手に持たれた一輪の花に手を伸ばす。  まるで餌付けされる猫のように警戒する様に大神は顔には出さないようにしながらほっと安堵の息を漏らした。      セキの体を伝う真っ赤な液体が足元に溜まりだすまで数秒もかからなかったと言うのに、大神はあの瞬間が人生で一番長く感じたと思っていた。  仕事先との取引中に巻き込まれたトラブルで、まさか拳銃が飛び出してくる可能性があることを考慮できなかったのは明らかなミスで、ましてやその取引にセキを連れてきてしまっていたのは、大神自身が自問自答しても答えを見つけることができないことだった。

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