162 / 425

赫の千夜一夜 27

 目の前の男……この国の王であるアルノリト・セルジュ・ヴェネジクトヴィチ・ヴィレール・ルチャザはそれを知ってか知らずか、面白そうに目を細めてから向かいの場所を指さした。  そうされて、いったいどれほどの人間が素直に座ることができるだろうか?  言葉とは裏腹に押さえつけようとする重苦しいフェロモンが放たれ、この部屋では頭を上げておくことすら困難となっていると言うのに……  大神は、ここまで濃密で圧倒的な強者のフェロモンに触れたことはない……と、歯を食いしばるようにしながら思う。  まさに王にふさわしい圧倒的なフェロモンだったが、それでも大神はそれを振り切るようにして後ろからついて入ってこようとするセキを押し返した。  薄い布一枚が、セキをこのフェロモンから守っているのだと、大神は息苦しさに回りそうになる頭を振りながらぐっとカーテンを握る手に力を込める。 「お、大神さん?」  はっきりとは言わないまでも微かに漏れるフェロモンを感じ取ったからか、セキの声は不安を滲ませて揺れている。 「なに……なにが。ど、どうしたんです⁉」 「  ……っ」  来るな の声が出せないままに体のバランスを崩し始めた大神は、ふらりと傾ぎそうになるのをなんとか堪えてはいたがそれも時間の問題のようだった。   「ミスター大神」  静かな声で名前を呼ばれたと言うのに、全身に怖気が走る。 「素晴らしい。これで膝をつかないとは」 「  な   」 「けれど答えることはできるだろう?」  王は唇を湿らせるためか宝石のはめ込まれた銀色の盃を持ち上げて口をつけた。  その中に入っているのが酒か水かはわからなかったが、ゆったりとしたその動作に大神は不快さを感じる。  しかめられた顔を見て……王は酷く満足そうだった。   「答えよ」 「……」 「お前はオメガをどうしたい」  普段ならば鼻で笑い返すようなわけのわからない質問だ。  初対面で問われる意図もわからなければ、唐突にΩの話を出される理由もわからない。 「  オメガ、オメガ……は   」  出た言葉は意識の外で口をついたものだ。  Ω と口中の音が消えると、大神の中に残るのは枯れる寸前の花のような母親の姿だった。  政略とは言えお互いに望み望まれて婚姻を結んだはずなのに夫に顧みられなくなった大神の母は、病弱な体を懸命に鼓舞しながら留守がちな夫に寄り添って組を盛り立て……ある日突然狂ってしまった。  大神が背を向けた瞬間、砕いたガラス瓶を振り上げて……  幼い大神に傷を負わせて以降、母親は正気を取り戻したことはない。  大神を夫と思い込みながら窶れ衰え……

ともだちにシェアしよう!