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赫の千夜一夜 29
「よい風が入るだろう? さぁ、今度こそ座るといい」
先ほどのできごとは白昼夢だったとでも言うような態度は、自分の行ったことに対して悪びれも反省もしていない。
いや、する必要がない立場なのだと大神は苦い思いを胸中で磨り潰し、「申し訳ありませんが、マナーもおぼつきませんので」と告げてセキの肩を抱く。
一国の王に席を勧められておきながら辞そうとする態度がどれほど無礼かはよくわかってはいたが、大神はセキを抱きしめたまま一瞬でもこの場を立ち去りたくてたまらなかった。
わからせられた、生き物としての格の違い。
この男が望めば、自分はあっさりとひれ伏すだろうし、セキは抗えずに王の腕に収まらざるを得なくなる。
それがはっきりとわかっているだけに、官能的な服装をしたセキを大神は隠すようにして前に立ち、この場から離れようとした。
「我らだけの内輪の茶会だ。マナーを誰も守るものなどおらん」
そう言うと王は無作法にグラスの台でコツコツと机を叩いてみせた。
早く座れと急かされているようでもあり、座らないとどうなるのかを見せられているかのようでもある。
「大神さん、とりあえず……す わ ────っ!」
言葉が途切れたのは腰にドン! と衝撃が来たからだ。
腕の中にいたセキの体が衝撃で吹っ飛び、大神がとっさに引き留めようと伸ばした手とわずかに早く伸びた手がセキを取り合い、セキを包んでいた薄衣がビッと立ててはならない音を立てた。
左右に引っ張られて、「う゛げぇっ」と色気のない声を発したセキは急にぶれた視界のせいで目が回っているようだった。
眩暈が収まったセキが顔を上げて見れば、華やかな彩の豪華な服に身を包んだ男が必死の形相で腕を掴んで引っ張っているところで……
「 な、な、な、……────お兄ちゃん!」
セキはその人物に向かってそう叫んだ。
セキから手を離さない男の顔を見て、大神は市場で声をかけて来た男娼だと思い出す。
随分とこなれた態度だっただめに気にも留めなかったが、よくよく注意深く鼻を鳴らして確認してみると、この男にまとわりついているフェロモンの持ち主は王だ。
「お兄ちゃん! まさかこんなところで会えるなんて!」
きゃあきゃあとセキは声を上げて喜んでいるが、大神は調べ尽くしたセキの経歴を何度か丁寧に思い出して「兄」なんてものが存在しなかったことを確認する。
セキは……あかは一人っ子で、母親との二人暮らしで、時折男が増えるがそれぞれに適当な時期に消えてしまう。
母親が再婚して兄ができたなんてこともなかったため、セキが兄と呼んだ人物の情報を大神は持っていなかった。
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