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赫の千夜一夜 34
「兄ではないよ」
大神からしてみれば、器にそこまで装飾を施すのは必要なのだろうかと思わせるほどの宝石を埋め込まれた優美な盃を傾けながら、からかうのはおしまいだとばかりに告げる。
「ハジメ曰く、『近所のお兄ちゃん』だそうだ」
口の中で近所……と呟き、セキとその母親が住んでいたボロ屋と言って差し支えないようなアパートを思い出す。
「母親に締め出された際、何くれと世話を焼いたそうだ。あれも兄だからな、放っておけなかったのだろう」
自分もそれどこどころではなかっただろうに……と続けて、王は盃をくるりと揺らした。
セキがまだあかで、情緒が不安定で男を引き入れることの多かった母親と二人で暮らしていた頃のことは、大神は報告と言う形でしか知らなかったがそれでも聞いて気持ちのいい内容ではなかった。
今の様子からは想像しがたい過去を、ハジメから聞いて知っているのだと思うと落ち着かない気分で大神は目の前の王に視線を戻す。
「そうでしたか」
「ゆえに、ハジメをあまり興奮させるな。大事な体なのだ」
大神がつい怪訝な表情を向けてしまったのは、これだけ濃密なαのフェロモンが香る中でもはっきりとわかるβの匂いのせいだ。
王の伴侶として迎えたのだから玉体と言われてしまうとそれだけだったが、王の物の言い方ではまるで興奮することが悪いことのような……
自分よりはるかに優位性の高いα因子を持つこの王が、ハジメがβであることに気づかないはずもないだろうに と、わからないことだらけな状況に更に一つ問題が増えたことに頭を抱えたくなる。
問うべきかどうか……本来ならば国のトップに出会えることなどあるはずのない人生を歩んでいるだけに、セキが繋いでくれた繋がりを手繰り寄せるために努力の一つでもしてみせるところなのだろうが、そうするにはハジメの言動が引っかかりすぎた。
自身からセキを引きはがそうとするそれを……
「 ────そう、国境の諍いの件だったな」
「……」
王にそう言葉をかけられ、大神の思考ははっと引き戻される。
国王の伴侶、ましてやルチャザと言うΩを庇護することを前面に押し出している国に保護されるならばセキの未来は安泰だと言うのに、余計なことを考えていたと首を振る。
「あの騒動で小悪党どもが捕まったのは知っているか?」
「……いえ」
大神はまた何かブラフでもあるのかと慎重に返事を返した。
「こちらとあちらを行き来して、ずいぶんとこずるいことをしていた連中でな」
そう言うと王は指先を示す。
「ハジメに言わせると、小さなトゲの方が大きなケガよりも気になるのだそうだ」
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