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赫の千夜一夜 38
あっさりと「否」と言ったところでこの王が聞き入れてくれるとは到底思えない。
これまでの人生において、一国の主からオファーを受ける状況を考えたこともなかった大神は、角を立てずにどう断るかを考えるためにさっと辺りを見回した。
よくよく見れば……人の気配はするが姿は見えない。
もしここでそんなことは受け入れられないと怒鳴り返したら……宿屋で銃を突きつけられた身にとっては、それは考えるよりも明らかな話だった。
ましてや王の目の前だ。
この場で王族侮辱罪か何かで射殺なんてことも起こりえる。
「先生は我々の研究ではなく、アルファとオメガの運命に関する研究をなさっています。ですので……」
「だから、君達なのだろう?」
ざわ と火傷をした時のような悪寒が腕を駆け上がってくる。
肌を焦がすようなちりちりとした感覚は、俗に言う「嫌な予感」だった。
「阿川しずるとその番が研究対象です」
これで興味がそちらへと移り、この嫌な予感から逃れられるかと息を詰める。
「だからだよ。あの研究所と同等のものをこちらに用意しよう、みなで好きに研究なりなんなりして過ごせばよい」
王は晩御飯に好きなものが出てくるよ! くらいの気軽な口調だった。
「理解できません。陛下の目的を教えていただきたい」
どれもこれも、この王の提案は児戯のようにとりとめがないし夢物語のように安易に実行できると思っているように感じ、大神は鼻に皺を寄せてしまいそうになる。
瀬能と大神がどれほどの時間と手回し、裏工作をして研究所を軌道に乗せたのか、この王はわかっているのか……とつい目に力が入ってしまった。
と。
「ただの酔狂と思うか?」
睨むような視線に気づいていたのか、王はまっすぐに大神を見つめ返して笑みを作る。
それは……力を持っている人間の笑い方だ。
「ミスター大神の金主になろうと言っているのだ」
金主 と言われて全身がこわばるかのようにギシリと音を立てる。
大神の活動の裏にある資金がどこから流れているか、それは安易に公になるようなものではなく、むしろ嗅ぎまわる人間がいれば全力で阻止せねばならない事柄だ。
「今の金主からこちらに鞍替えするといい、もっと自由に潤沢な資金と、研究に対しての自由を約束しよう」
さぁ! とばかりに広げられた両手は、もしかしたら世界を包むことができるのかもしれない。
けれど、そんなことは大神にとってなんの魅力でもなかった。
「そうなれば、スポンサーが黙ってはいないでしょう」
そう言うと大神はねめつけるように王に視線を遣り、不遜な様子で唇の端を上げる。
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