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赫の千夜一夜 67

「ミスター大神は、ora infanoと言う存在を知っているかな」 「いえ、存じ上げません」  わずかにでも酒が減れば王が直接酒を注ぐ。  断るためにやんわりと手でグラスを覆っても、それを押し退けて注いで来る。 「王手ずからの酒を断ると?」 「…………」  相手が権力だけの小物だと言うのならば酒を浴びせて帰ることもできただろう。  けれど、目の前の男は王である前にαだった。  人間の作った枠組みの中以外の、生き物が本来持つ序列の中で……恐らく一番に近いと言えるほどの…… 「そちらの言葉だと金の子と言う」 「……残念ながら、心当たりはございません」 「そうだな、もう少し違う言い方をすると財を成す子とでも言えばいいのか」 「夢のようなお話ですね」  その会話の合間にも飲めとせっつかれる。 「これはこの国で、特別な人間が、特別な時にしか飲むことを許されない酒なのだから、堪能するといい」 「……では、陛下も」 「これは客人のためのものだ」 「……」  赤いグラスの中をとろとろと揺蕩い続けるコパルのような宝石の輝きに、溜息を吐きかけながら再び口をつけた。 「そう言えば、ミスターセキの母親はどうやって生計を立てていたのかな」 「……は……?」  やけに話が飛ぶとは思ってはいたが、次に着地した先がセキの母親だったと言うのが意外過ぎた。  大神はつい怪訝な顔をしてしまってから、さっと無表情へと戻る。 「……セキの母は、定職らしい定職もないまま売春やギャンブルで生計を立てていたようです」 「男に随分と貢いでいたそうだな。何度一山当てても足りないほどに」 「……運の……」  運のいい人間と言うのはいますから の言葉を飲み込んだ。  焼けつく喉に絡みつくようにして落ちていく感覚に眩暈を覚えて、大神は慌てて首を振って堪える。 「ora infanoと言うのはオメガのことを記した文献に時折現れる言葉であり、各代の王が探し求めたオメガだ。極々稀にオメガの中に出現する、血統ではない、どのオメガに出るのか誰にもわからない、目印もない、けれど存在した記録は残っている」 「……」 「そしてそのオメガは選んだ相手に、絶大な幸運をもたらす」    鼻で笑い、そうですかと言うのは簡単だった。  けれど素直に頷けないのは、ここにきてから王が話したとりとめのない話のせいだ。 「……何をおっしゃりたいのですか」  王は返事の代わりにまた指先で酒を煽るようにと促す。 「そう、『あげまん』と言うのだそうだ」 「っ!」  端整な唇から飛び出した言葉に大神は反射的に眉を寄せた。  

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