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赫の千夜一夜 70

「そうか」  王はぽつりと返し、何かを吹っ切ったかのような表情をして中庭へと歩みを進めた。  さすがに急拵えと言う感が拭えないそこは、円形に地面が掘り起こされた簡易な相撲場に近いものに見える。  瀬能は興味深げに近づこうとしたが、兵士の一人に「神聖な場所ですので」と言われて遮られてしまう。 「turoはないのでしょうか?」  この儀式の際には四方に木製の柱を立てたはず……と、好奇心を隠せないままに瀬能は尋ねる。 「アレは制作に時間がかかるのだ」  簡潔にそれだけを返し、王は靴を脱いで掘り返された円形の中に進んでいく。  円形の中に入れない以上、これ指を咥えて見ているしかできないのかと肩を落とす瀬能に、大神が問いかける。 「……先生、これが何か……ご存じですか?」 「ああ! duelo de silentoだろう? この国の伝統でね、アルファ同士……と言うより、王族とアルファがオメガを取り合う時に行う儀式だよ。事前にびっくりするくらい酒精の強い酒を飲まされなかったかい?」  大神はすぐには答えず、何度か首を振るようにして間を取ってから呻き声を出す。 「その盃を飲み切った者だけが参加権を得るんだよ」 「  正気か」 「はは! 君が酔うなんて凄いね。水でもいただくかい?」 「……これから な にが?」 「相撲のような取っ組み合いと聞いたけれど? 剣は使わず身一つで戦って……判定は確か起き上がれなくなったら……だったかな」 「万が一、相手を死に追いやった場合は死刑だ」  瀬能の言葉に王が補足を付けたが、果たして王族が相手を死なせたとして罰は受けるのか甚だ疑問だと、にっこりと笑顔を返しながら瀬能は思う。  大きな手で口を押え、ぐぅっと喉を鳴らしてから大神はまた再び頭を振る。  まるで絡みついてくるアルコールを振り払っているかのようだったが、ゆっくりと足を前に踏み出した。 「ドクターストップかけてみようかい?」 「それは 俺に、負けろ と?」  幼い時は真っ直ぐに人を見る子犬のような目をしていたと言うのに、今にも喉笛に噛みつきそうな獣の目で見下ろしてくる大神に、瀬能は肩をすくめるしかない。 「何かあった時は僕がストップをかけさせてもらうからね」 「必要ない」  そう言って目をぎらぎらさせながら歩んで行く足元はおぼつかない。 「他の 決まりは?」 「特には? 武器はなし、殺すのもなし。まぁ、五体満足で生き残れたならばよしだろう」  ざっくりとしすぎた説明は緩いと取るべきなのか、それともその中に隠された残虐性に触れないのが重要なのか……大神はアルコールのせいでまとまらない思考を懸命に奮い立たせながら、そのことを考えようとした。

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